「遊戯、アンタも気付いてんだろう? ……なまえはおそらくこのデュエル、勝てない」
「そんな、舞さん」
 声を掛けた遊戯以外の者が、舞に振り返った。当の遊戯はただ黙って腕を組み、なまえを見上げている。そんな後ろ姿に向けた杏子の目は、周りとはまた別の色をしていた。
「舞さんの言う通りだ」
「御伽、テメェまで……!」
 冷静に同意を見せた御伽に本田が突っ掛かりそうになるのを、「やめな」と舞が静止する。
「フィールド魔法、《魔導書院ラメイソン》は墓地からデッキ残数を補填するためのもの。それを封じられたいま…… なまえのデッキ枚数は、たったの4枚」
「……!」
 ハッとした杏子や城之内、本田が見上げた先、汗を流すなまえのデュエルディスクにその目が注がれた。セットされていたデッキは薄く、舞の言う通り残り4枚しかない。
「しかも、あの《魔導書の神判》の効果で手札に加えられたのは全部魔導書と名のつく魔法カードだった。つまり2枚の伏せカードも、手札の7枚中6枚が魔導書のカードだって事も見破られてる。デッキだって4枚中の1枚は、さっき墓地から戻した《魔導書の神判》。マリクがそれを看破していないわけがない」


 舞の言う通りだった。聞こえていないわけがない。地獄耳とかでなく、微かな話し声だけでも考えている事が同じなら脳が勝手に補完するのだ。
「(それに、私の7枚の手札のうち2枚は《グリモの魔導書》。これは《封魔の呪印》の効果で発動出来ない…… かと言って、手札に腐らせておけばただ邪魔なだけ。できれば墓地に捨てたいけど、手札から墓地に捨てるには《ルドラの魔導書》でのドローコストにするしかない。……でもそんな事をしたらデッキ残数はたったの2枚。《光の護封剣》が切れるあと2ターンが過ぎれば、攻撃をするより先にデッキ切れで、……私は無条件に敗北する)」
 それに─── 目を細めて見つめるのは、伏せられた3枚のカード。


「デュエルをすれば、必ず勝者と敗者に分けられる。誰もが、……自分が敗者になる覚悟を決める時がくる。そんなことわかってんだ。だがよぉ、負けるまでその覚悟を決めなくっても良いじゃねぇか。負けるって分かってて闘うデュエリストがいるかよ!」
「城之内……」
 舞や杏子の視線を振り払うように城之内がフィールドを見上げる。城之内の言う通り、なまえは決して諦めてなどいなかった。城之内の背中越しに激しく闘志をぶつけ合うなまえとマリク(リシド)を仰ぎ、舞は自分の心に渇望さえ抱いていることに気がつく。


「(凡骨がデュエリストを語るか)」
 視線だけで静かに城之内を一瞥すると、鼻で笑ってなまえに向き直る。海馬は腕を組んだまま一度も姿勢を変えたりなどしていない。それとは対照的に、足元でコロコロ表情を変えるモクバが海馬に代わって盛大に彼女を応援していた。
 それでもモクバにすら反応を返さず、まして少しも海馬へ振り向かないことに今さら不快感などは感じてはいない。“あれ”が今さらブラック・マジシャンなどというカードのモンスターに心を奪い返されるはずもないという自信。そして、勝つまで海馬に顔を向けまいという彼女なりのプライドの高さ。
 海馬は僅かに笑った。


「(墓地から魔導書を戻し、デッキ枚数を補填する効果を持っているのは、《魔導戦士フォルス》と、この《魔導書院ラメイソン》だけ。《神殿を守る者》がいる限りラメイソンは封じられ、……フォルスは《ネクロの魔導書》の効果でゲームから除外している。攻撃力1100ならジュノンとブラック・マジシャンの敵ではないけど、……それも《光の護封剣》によって、攻撃手段も封じられてる。
  私に残された手は少ない。デッキの残り4枚は《魔導書の神判》、《ゲーテの魔導書》、そしてこの状況を唯一打開できるキーカード。それと ───まだ一度も使った事のない最後の魔導士。マリクのライフは6500から少しも削れていない。……いまあの魔導士を使えば、敗北するのは…… 確実に私の方)」

 次のドローで引くべきカードは、たった1枚……!


『どうやら、あの女を甘く見ていたようだ』
 頭をフル回転させているなまえに対峙したまま、リシドは影から迫るマリクの囁きに一筋の汗を流した。見上げればなまえのフィールド魔法《魔導書院ラメイソン》にはリシドの《神殿を守る者》の体に彫り刻まれたのと同じ紋様がはしり、その効果を封じているのが分かる。フィールドにはさらに《光の護封剣》が突き立てられ、なまえのモンスターは全て身動きが取れない。
 それでもなお、マリクは不愉快だと言う。

「(マリク様、……ご安心ください。次のターンであの者は必ず《光の護封剣》と《神殿を守る者》の破壊をしてきます。全ては私の張った罠の通りに……)」
『僕はそんな事を言ってるんじゃないよ、リシド。お前は僕の影だ。僕を名乗る以上、このトーナメントで最強のデュエリストでいてもらわないと不愉快なんだ』
「(……! 申し訳ございません)」
『まぁいいさ、あの女がしぶといのは分かっていた。だが残るデッキは4枚。どう足掻いてもリシド、お前が勝つに決まっている。でも、問題は勝ち方だ』

 突然、腰のベルトに差した千年秤が冷たくリシドを抱きしめた。ゾッとして見下ろせば、自分の意思に反して左手が千年秤を抜き取る。

『リシド、千年秤の闇の力を解放し、あの女を─── 神のカードで倒せ!!!』


 ドク、と大きく跳ねた心臓は首筋にまで息を吹きかける。ついに掲げられた千年秤のウジャド眼がなまえを見下ろした。フィールドを挟んで遠く光るその眼は、脳裏に別のものを思い出させる。
「千年秤、……」

 ───『つまらない。あなたは欲しがるばかりで、与えようとはしない。』

 そう、リシドの振りかざした千年秤のウジャド眼は、あの眼を思い出させる。あれは私…… いいえ、少なくとも私と同じ顔をしていた。だけどあれは、同じ姿をした、まったく次元の違うもの。
「お前はクイーンの座を失い、この千年秤も失った。だがお前が失ったものはそれだけでは無い」
「……、」
「お前はデュエリストにあるべき冷酷さをも失ったのだ。それがお前の判断を誤らせ、自らを敗北へといざなう」

 ───『善良な部分の私。だけど臆病で、愚かで、脆弱。』

「今のターン、お前はその《魔導法士ジュノン》の効果を使えば《光の護封剣》を破壊する事ができた。私に与えたこの1ターンこそが、お前の善良さと傲慢さが招いた敗北の岐路となる。お前は“女王”の器では無い」

 ───『 “私の容れ物”として、空っぽのまま誰のことも愛せない。』

 リフレインする記憶に酷い動悸が胸を叩く。まるで心臓が「もう嫌だ、ここから出して」とでも言うように。千年秤から目が離せず、チラチラと煌めくウジャド眼を前にして、無防備で千年アイテムを前にすると言う事がどれだけ恐ろしいものかと改めて思い知らされる。
 ふと、目が醒めたときの光景が目に浮かんだ。デュエリストキングダムでペガサスに敗北した海馬は、ミレニアム・アイの力を前に少しも怯んではいなかった事を。

 黄金色の太陽の手がなまえの背中をひと撫でする。その感触を得たところから、なまえは背を伸ばし、千年秤にはりつけにされた視線を剥がして、リシドと目を合わせた。

───『お前の“一つ目の願い”は叶った。』

「……!」
 リシドの見たものが何だったのか、マリクには分かるだろうか。対峙するなまえの目から恐れは消えていた。千年秤を失った焦り、自らを蝕んでいた力への畏れ、デュエリストとしてのプライドへの固執…… それがいま彼女の目には何も映っていない。言い知れぬものにリシドはただ喉を鳴らして冷たい汗を流した。

 心の部屋の鏡面の床に走っていた亀裂から、小さな破片が溢れる。


「……ッ、私のターンは終わっていない……! お前に残された僅かなターンも既に封じられた。お前が与えたこのターンで、私は儀式の準備を終えたのだ」
 リシドが両腕を振り上げる。伏せられていた3枚のカード、そのうちの2枚が開かれた。

「見るがいい! これこそが《ラーの翼神竜》を祀りし聖なる《王家の神殿》を真に守護する力!!!
 《封魂の聖杯》、《セルケトの紋章》───そしてこのフィールド魔法《王家の神殿》!!! 三種の神器たる3枚の魔法カード揃いしとき、神器の儀式により聖獣が召喚される!」

 王家の神殿の祭壇から炎が上がり、振り翳された千年秤のウジャド眼が呼応して大きな光を放つ。外野のほとんどがその閃光を手で遮る中で、ただひとりなまえだけが瞬きもせず煌々とした二つの目が祭壇より現れるのを見つめた。

「聖域を侵すもの、お前の従える魔術師は神の守護神によって焼き尽くされる。いまその姿を現せ、───《聖獣セルケト》召喚!!!」



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