「───アアァ、ンギャア」

 赤ん坊の鳴く声が、千年アイテムの閃光の中で聞こえた気がした。
 なまえを包み、視界を覆っていた光は、大きな月となって天に輝いている。誰もいない、荒廃した遺跡のような場所で、赤ん坊の鳴き声だけが月明かりだけの夜を揺らす。

「……ここは」

 ザリ、と砂をすり潰す音に振り返れば、ついさっきまで対峙していた大男が立っていた。
「……ッ マリク」
 身構えても、その腕にデュエルディスクはない。それどころか男の手にも千年秤や千年ロッドはなく、敵対心や闘志も見当たらなかった。“マリク”の目にあるのは、ただ呆然とした悲しみの色だけ。

「……あなた、」

「これは、私の記憶なのか」
「……!」

 赤ん坊の声の方を見れば、白い服を纏った人影が、井戸のあたりに立っていた。その背中が蹲み込んで赤ん坊を置くと、まるで幻影のように消え去る。呆然と見ていることしかできなかった。すぐに誰かが出てきて赤ん坊を抱き上げ、またどこかへ去って行く。それを見届けてやっと、なまえはリシドを見上げた。

「あれがあなただった」

「そうだ。私はイシュタール夫人に拾われ、生を繋いだ」
「あなたの本当の名前は」
「……リシド。私に姓はない。マリク様にお仕えし、影として寄り添うのが私の役目。だが、なぜ神はお前に私の記憶を見せた」

 ミシ、と軋む音に足元を見れば、ガラスの床の底で暗い神殿のような空間を月明かりが照らす。足をずらせば、そこに大きな亀裂が入っていた。リシドもそれに気がついて、慌てたように後退する。

「怖がらないで」

 大きな手を、なまえの手が取って握った。心からの慈しみを向けられたのはいつぶりだったか。リシドは脳裏で、イシュタール夫人が最期の瞬間に伸ばした手を握れていたら、こんなに暖かい手を享受できただろうかと思った。
 自然と、リシドは手を握り返す。足元を奔る亀裂や不安を煽ろうとする悪魔の声すら耳にしておきながら、赤紫色の瞳を見つめているだけで、心は驚くほど静かだった。

「そう、いい子ね」

 バリ、と砕けた床になまえとリシドが吸い込まれる。一緒に飛び散り落ちて行くガラス片が体を裂き、血が降り注ぐ。なまえのその血を浴びて、リシドは目も開いていなかったはずの頃の感覚としての記憶を、呼び覚ましていた。



***

「───ッ」
「……!」

 ほんの一瞬の出来事だったのか。リシドは見開いた目で自分が振り上げた千年秤を見上げた。しかしなまえもリシドもガラス片で裂かれた傷など一つもない。それでも、リシドはなまえの目に、共感覚があったことを悟った。
 自らの正体を知られたことも。

 なまえは汗を拭って、フィールドにただ1体残されたブラック・マジシャンを見上げた。ブラック・マジシャンも振り返りその目を合わせると、なまえは小さく微笑み返す。

『どうした、さぁ神を呼べリシド!!!』

「……! 私は、……ッ 《聖獣セルケト》《神殿を守る者》そしてお前の《魔導法士ジュノン》を、神聖な儀式の生贄に捧げる!!!」

 マリクに急かされて我に帰り、リシドのリリース宣言と同時に3体のモンスターの魂が天を貫いた。祭壇の聖櫃から現れたカードがリシドの手に舞い込んだ瞬間、マリクはリシドの勝利に笑う。

「待っていた」
「……!」
 だがなまえの顔は、決して敗者のものではなかった。

「待っていた、この瞬間を!!!」

 全員の目を眩ませていた閃光は弾かれ、外野に立っていた城之内達も目を開ける。だが予想していた“なまえの敗北”という姿はどこにもない。遊戯と海馬も、一体何が起きようとしているのかと言葉も出なかった。

「いまさら何を───」

「神のカード、《ラーの翼神竜》はいかなるトラップ魔法マジックも効かない。だけど《王家の神殿》の封印効果を受けれていたのは、《ラーの翼神竜》が召喚されていなかったから!!!」

「……!」

「私は待っていたのよ、《王家の神殿》の封印から解放され、《ラーの翼神竜》が“カードとして”あなたの手に戻る瞬間を!!! みせてあげるわ、これが私の起死回生の一手!!!

 リバースカードオープン!!! 速攻魔法発動───《ゲーテの魔導書》!!!」

「なんだと?!」

「《ゲーテの魔導書》は、墓地の『魔導書と名のつく魔法カード』を除外する枚数によって効果が変わる。私は墓地から2枚の《グリモの魔導書》、そして《ヒュグロの魔導書》の合計3枚をゲームから除外して効果発動!!!

 《王家の神殿》の封印を解かれた《ラーの翼神竜》、そのカードを、───ゲームから除外する!!!」



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