なまえは窓から身を乗り出してそれを見ていた。
 海馬の“詰み”を確信したのだ。
「海馬…!」


「マンモスの墓場の攻撃力は1200。つまりアルティメットドラゴンは1ターンにつき1200ずつ攻撃力を失っていく。形勢は逆転したぜ!海馬!」

「よっしゃー!起死回生の一発逆転コンボだぜ!海馬を倒せる!倒せるぜ!」
「見たか海馬!遊戯に死角はないぜ!」
 遊戯の完璧な逆転劇に、本田と城之内をはじめ外野の4人は歓声にも似た声を上げる。
「(遊戯…!どんなに追い詰められたって、絶対信じてた!もう1人の遊戯の強さを!)」
 杏子の目は “もう1人の遊戯”に集中していた。

「まだ…まだ決着がついたわけではないぞ!」
 海馬の顔は動揺を隠しきれずにいるのを見て、遊戯は勝利の確信を得ていた。
「攻撃しろ!アルティメットドラゴン!」
「無駄だ! 機雷化し、増殖を続ける俺のモンスターを、全て葬る事は不可能!…俺はカードを1枚引いてターンエンドだ。」

「(遊戯め…!このままターンを流すつもりか…!)」

 海馬はただ攻撃力が下がり続けるアルティメットに攻撃命令をして、一向に数の減らないクリボーで悪戯にターンを過ごすしかなかった。
 次第にその気力も絶望へと傾いていく。

「(モクバ…俺が負けたら……モクバは……)」

 そしてその絶望が口を開けて海馬を飲み込まんとしたとき、海馬には“敗北”という闇が再びその心を支配しようとしていた。どんなに何かを背負おうと遊戯に勝つ事はできないというのか。
 ある1つの応えを求めて挑んだこのデュエルにすら、いま海馬はまた絶望と屈辱を刻まれる事を予感していた。そしてその脳裏に迫るのは、腐敗するアルティメットに飲まれんとするモクバの姿だった。

『助けて…!助けて兄様…!』

 眼前に広がる重たい闇の中で、こちらに手を伸ばすモクバを追いかける幼い頃の自分の背中を 海馬はただその場から動く事なく眺めていた。
 ついに声も出せないモクバを飲み込んだまま崩れていくアルティメットを目にした幼い頃の自分自身が、恐ろしい形相で振り返り海馬を睨みつける。

『何故だ!何故助けない!自分の命を賭けても、何故助けようとしないんだ!』

 ハッとして伸ばさなかったその手を見ると、アルティメットドラゴンと同じように腐敗して溶け出す。
 遊戯に打ち負かされた瞬間が脳裏に蘇る。その海馬の心はまた闇へと突き落とされようとしていた。

 だが海馬はもうその闇に膝を折らなかった。その目はまだ決着を諦めてはいない。

「(モクバ…、なまえ…。)」

 何かを決心した目をしたのを、なまえは見逃さなかった。遊戯は弱っていくアルティメットドラゴンを視界に入れつつ、そんな海馬を見据えている。
「(海馬…、何もせずただターンを消化するつもりか?)」

「海馬のヤロー、さっきからボーッとつっ立ってるだけだぜ。」
「負けを認めたということか?」
 城之内と本田も、普段通りの威勢のない海馬に遊戯の勝利を確信したのか 幾分か饒舌になっている。
「こうしている間にターンは過ぎていく。アルティメットドラゴンの攻撃力も、どんどん落ちていくよ…。」
 獏良は少し納得のいかない風に呟いた。

「(よし!今のアルティメットドラゴンの攻撃力なら倒せる!)」
 遊戯はカードを引き、目をやるとハッとして デュエルディスクを引き戻した。
「俺のターン!新たなモンスターを場に出すぜ! “エルフの剣士”!」


「やめて!!!」


 その声に全員が城壁を見上げた。
 城壁にあいた窓から身を乗り出し、風で赤い髪を翻したなまえの姿を、ついに海馬の目が捉えた。
「(…!なまえ!…見ていたのか。)」

「あ、あれはなまえじゃねぇか!」
 本田が指差す先のなまえの姿を、城之内と杏子も捉えた。
 先程から彼女の存在を感知していた遊戯と獏良も、“隠れて見ていた”という認識から ついに彼女自身からデュエルに干渉して来た事に驚いた顔をしている。

 少し離れてはいるが、声を少し張り上げれば向こうにも聞こえない事はないようだ。

「遊戯も海馬も、…もうやめて!…海馬はただペガサスに…」
「それ以上何も話すな!」
「…!」
 グッと息を飲んだ。海馬の鋭い目がなまえを射抜いたのもあるが、これ以上の口出しは海馬のプライドに関わると なまえは理解していたからだ。

「確かにこれはペガサスに組まれたデュエルだ。だが俺と遊戯の持つ闘いの宿命に変わりはない。」
「…海馬」
 遊戯の紫に光る目が海馬に向けられる。

「…でも……」
「続けろ!遊戯!!!」
 小さく開かれた口から溢れかけたなまえの反抗も、海馬の闘志に閉ざされた。

「…エルフの剣士の攻撃!」

 アルティメットに駆け寄ってその剣を振り下ろすエルフの剣士を見つめながら、なまえは思い出せる限りの海馬のカードを頭の中に広げて、起死回生のチャンスを探し続けた。
 だがそれにたどり着く前に、アルティメットの真ん中の首に一閃疾ると 嫌な音を立ててその首が落ちた。

「よっしゃあ!」
「やった〜〜!」
 背後からのなまえの視線は気になるが、遊戯の“城入り”の賭かるこの一戦に 遊戯側へ立つ城之内ら3人は、遊戯のエルフの剣士による一撃に歓声を上げる。
「(やっぱり強い!もう1人の遊戯…!)」


「…海馬……」
 なまえに事情を話す権利など無い。ただ海馬自身が嗾けて闘いを挑んだこの状況に、なまえはただ呆然と立ち尽くして見ているしかなかった。

 海馬も様々な考えを頭の中で巡らせているのだろう。アルティメットのクビが1つ落ちたところで、もはや動じる事もない。

 そしてアルティメットドラゴンが消滅しない事に遊戯達も違和感を覚え、獏良が先に口を開く。
「アルティメットドラゴンはまだ死んでないよ!」

 遊戯もハッとしてアルティメットに目を戻した。
「そうか…!アルティメットドラゴンは、“青眼の白龍” 3体の融合体…。3つに分かれた頭にはそれぞれ攻撃力を備えているのか。」
 アルティメットの向こうに無気力に立つ海馬を遊戯がその目で捉え、海馬のライフポイントが残り400になったのを確認する。

「(だが海馬のライフポイントは確実に削れる。次のターンで“エルフの剣士”がもう1つの頭に攻撃をすれば、それで俺の勝ちだ!)」


 海馬の雰囲気が変わるのを、なまえはハッキリと感じ取った。だがそれは海馬の足元で口を開ける心の闇が、さらになまえの足元にも忍び寄ってくるような不安となって彼女を畏れさせた。

「…遊戯、ゲームはこれからだ。」
 重苦しい雰囲気の海馬が、ゆっくりと口を開く。やっと遊戯も海馬の不安定な眼光に違和感を覚える。

「今の攻撃で俺は500ポイントのライフを失った。そこで…この床のマス目1つを、俺のライフポイント100と定める。…失ったポイントの分のマス目の数だけ、俺は後ろへ下がっていく。」

「!!!」「なに?!」
 目を見開いた遊戯となまえの視線が海馬に集中する。

「500ポイント…つまり5マス退がる。」
 海馬の足が、ゆっくりとマス目のラインに準じて擦り退かれて行く。それをただ漠然とめにするしかないなまえは、恐怖による震えが自分の身体を支配しはじめている事を自覚した。

 海馬が塔の端に立つ。その背後には広大な島の景色が海馬を飲み込まんばかりに広がり、海馬の踵のすぐ後ろは目の眩むほどの絶壁と 更にその下の崖が死の影を落としていた。

「海馬!!!」

 なまえは蒼白の顔で海馬を呼ぶ。
 城壁に隔たれた2人の視線が交わるも、海馬は顔を向けず横目にその赤色の髪を風に任せて身を乗り出すなまえの姿を見るに留まった。

 …今、なまえをまじまじと見てしまえば、この決心は揺らいでしまう。それはなまえに対する意識を海馬自身、死を目前にハッキリと自覚したからであった。
 そしてなまえがこうも自分に肩入れする理由も、薄ぼんやりとではあるが核心に近いものを感じている。…この場合海馬の自身過剰によるものであるが、今回ばかりはそれが当たっているだけであるが。

「すまない、…なまえ。」

 小さく呟いた声は誰にも聴こえる事はなかった。しかしなまえは海馬が自分に詫びた事をハッキリと感じた。そしてそれが何を意味しているのかも…。

「海馬、…やめて」

 唇の上端が震える。
 海馬の群青のコートを強い風が撫でる度に、なまえの心臓は痛いほど怯えて足を竦ませる。

 それは遊戯も同じだった。
 遊戯の中でもう1人の器の人格の遊戯が、同じ視界をもって海馬の行動への衝撃に動揺していたのだ。
 そしていま闘っている遊戯も、自分の良心との葛藤している。

「俺に後はない。次のターン、貴様の攻撃で俺は真のライフポイントを失うというわけだ。」

 腐敗の進むアルティメットから更に後ろへ下がった海馬は、ハッキリと遊戯をその鋭い視線で射抜いていた。動揺を隠せない周囲の騒めきすら海馬にはどうという事でもない。…ただ1人、なまえの視線だけを気にしながら。

「海馬!」
 遊戯の声に海馬は口角を緩やかに上げた。

「俺はデュエルで死ぬなら本望だ!」

 海馬はどこかなまえを気にしているのか、城壁の窓から覗く彼女に聞こえない程度の声で話している。…だがその事に城之内や杏子ら外野は気付かない。なまえも幾分か海馬の話す内容が聞き取れず、ただ不安な顔で何も出来ない自分を呪うしか出来ない。


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