「遊戯が負けた?!」
 事情を聞いた舞が目の色を変えた。

「ふざけないで!アンタがこのまま城に入れず終わるなんて、そんなのアタシが許さない!」

 俯く遊戯に厳しく叱咤した舞だが、すぐ目の前に差し出した手にはスターチップが輝いていた。
「…!」
 遊戯の顔は変わらないが、ドキリとしたらしく少し怯えた色をする。

「そんな事したらお前が…」
 城之内の声に、舞は自信たっぷりに横目で答える。
「アタシを誰だと思ってるの…?」

 グローブをした方の手を掲げる。そのリングには10個のスターチップが輝いていた。それを遊戯を除く全員が覗き込んで驚いた。
「スターチップが全部で16個…!」
「スゲェ…さすが孔雀舞!やるな!」
「1個だがなまえより多い…!」
 獏良、本田、城之内が口々に感嘆の声をあげた。舞は得意げに口の端を上げ鼻で笑うと、すぐ遊戯に視線を戻した。

「当然でしょ。今 ここで借りを返すわ。その代わり私と城で闘いなさい。」

 遊戯は舞の手にあるスターチップに目を向けはするが、その口は頑なに閉ざしたままである。それをなんとか和らげようと、城之内が覗き込む。
「ラッキーだぜ遊戯!もらっとけもらっとけ。これで城に入れるぜ!」

 だが遊戯の目は遠く自身の内側に向けられていた。…心の底に眠る闇の人格への畏れ。それと対立する畏れ、それを失う事への畏れ。
 為すべき事を見失い、ただ呆然と思慮に及ぶ事もできない。

 幾分待っても何の反応も返さない遊戯に、舞も痺れを切らしまじめる。
「フン!見損なったね!タカが1回デュエルに負けたくらいでへこんでるようじゃ、アンタも大した事ないね!」
 それに杏子が慌てて割って入ろうとする。
「違うの舞さん!遊戯が負けたのは私の…」
 しかし舞は聞く耳も持たず、遊戯に向き合ったまま続ける。

「わかった。ただ受け取るのがイヤってんなら、今ここでデュエルするのはどう?それなら文句ないでしょう?…さぁ!」

 舞は時間も気にしていた。とにかく一刻も早く進まなければならない。何とかして遊戯を急かすが、それでも遊戯はどこかを見つめたまま動く事が出来ないでいた。

「〜〜〜〜!!!!」
「待って!!!」

 舞がまたもや痺れを切らす瞬間、杏子が大声を出す。
 全員が振り向く中、杏子は舞に詰め寄った。

「舞さん、…そのデュエル、私が受けるわ!」

 ***

「今度こそ大人しくしてろよ」
 黒服の男に背中を押され、先ほどの部屋へ入れられると、また鍵を掛けられて閉じ込められてしまった。

 なまえはひどい頭痛を覚えてフラフラと足を運び、鏡の前に置かれた水差しを手にすると、洗面器に半分ほど水を入れて目を冷やした。…長い髪が流れ落ちて所々水に浸る。
 顔を上げて鏡に向き合うと、髪の先から水が滴って胸元やジャケットを濡らした。

「(ひどい顔…)」

 瞼が少し腫れ、目も赤く充血している。
 …なぜこんなにも、海馬のせいで心を掻き乱されなければならないのか。もはや呪いのようなその恋煩いに溜息もままならない。

 なまえの心中の殆どの割合を占めていた“ブラック・マジシャン”の存在も、すっかり海馬に喰われてしまっていた。

 ペガサスが言っていた『ブラックマジシャンと海馬瀬人を天秤に掛けて選んだ答え』も、なまえは最初から秤に掛けたつもりなどなかった。
 海馬という存在が、いきなり心を奪った。
 それが正しい言い方であったろう。

 ブラックマジシャンは相変わらずなまえの呼び掛けに反応せず、魔導士達のように現れる気配すら感じない。
 …やはりその事にショックは隠せないでいたが、あの後の海馬を心配する気持ちが大きかった。
 目を閉じて集中する。

「(海馬ではペガサスに勝てない。…私も、勝てる見込みなんてない。…それでも私には千年秤と魔導士達がいる。それだけでも海馬よりはアドバンテージがあるはず。)」

 フと目を開けると、鏡に映る自身の後ろに青い肌と装束の男が立っていた。
「ブラックマジシャ…!」
 振り返ると、なんとブラックマジシャンはなまえの唇に自身の唇を重ねた。

「!!!」

 冷たくヒンヤリとした、だが奥底に熱を持って震える唇が、確かになまえの唇を押し包んだ。

 脳裏に誰かが蘇る。


「───誰?」
 もう目の前には誰もいなかった。
 太陽が水平線の彼方へ眠り、灯りもなくただ薄闇がこの部屋を支配している。

 今一体何があったと言うのか。

 突然口元を押さえてなまえはその場に崩れ落ちた。わけもわからず大声を上げそうになったのだ。…ただ必死に声を押し殺して泣いた。
 誰かを喪ってしまったような胸の痛みに耐えながら、吸って吐く空気ですら呪われたような深い苦しみを味わって、ただわけもわからず鼻をすすった。

 なにか大切な事を輪廻のように繰り返した。なまえの本能が 時折堪えきれなかった声を出して体中の水分が無くなるまでそれを吐き出す中で、なまえの理性が冷静にそう答えを出した。

 千年錠を携えた男は私に、ブラックマジシャンは私の運命の男だと告げた。…確かに私の運命の男だった。
 でもそれは、“失う運命の男”。
 海馬と出会い、海馬に心を奪われた。そのために失うべき男がこのカードだと言うのか。

 まるで何かを繰り返している気分であった。
 なまえは次第に激しく声を上げて泣く自分と、冷静にそれを見ている自分がいる事に気付く。
 だが身体は1つしかないので、身体中を引き裂かれるような痛みに耐えながら、心の中にいるその女を見ていた。

 だがその顔は暗闇に溶けて見えない。

「───誰…?」

 突然千年秤のウジャド眼が光り、眩しさでその心理の目を閉ざす。

 ハッとすると、薄闇に包まれた部屋になまえは座り込んだままぼうっとしていた。涙はもう溢れてはこない。

 びっくりするほど頭がスッキリしていた。

「(私、いま…どうしてたっけ…)」
 自然と指先が自分の唇に伸びる。
 冷たくなった指先が触れると(もしカードのモンスターがカウントに入るなら)ブラックマジシャンに自分のファーストキスを奪われた事を思い出す。

 自分の中に誰かいる…?

 フと足元に倒れる千年秤が目に入る。
 思い当たるとすれば、遊戯や獏良と同じ“闇の人格”。だがなまえは千年秤を手にした時から10年以上その片鱗はない。彼女自身それだけは自負していた。

「(色々ありすぎて…疲れたのかな。…)」
 なまえは溜息をつくと、ふらりと立ち上がってジャケットをベッドへ脱ぎ捨てる。

 部屋の灯りを付けると、海馬を案じながら鍵の掛けられたドアの前に立ち、その隔たりに手をやって撫でた。


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