「久しぶりですねぇ、凌牙」

 安全柵と骨組みだけの建設中のビルで、吹き抜けの街並みを背に凌牙が振り返るのを、Wは待ち構えていた。
「いえ、シャークと呼んだ方が良いのでしょうか」
 金色の前髪から濃いピンク色の目が光る。その顔を見た途端に、凌牙は一瞬息を飲み込んだ。
「お前は……」
 だがすぐに、手にしたカードを差し向ける。
「こいつはいったい何の真似だ」
 バイクで走行中だった凌牙に投げられた1枚のカード、そしてそれを投げられたであろう場所で待ち構えていたW。そのカードは、以前の大会で目に焼き付いたトラップ───《聖なるバリア -ミラーフォース-》。
「ただの挨拶ですよ。デュエルカーニバル前のね」
「俺は大会には出ない」
 Wの言葉にすぐ目を逸らした凌牙に「おやおや」とWは嘲笑まじりでため息をついた。
「まだあの時のことを引きずってるとは」
「なんだと」
 苛立ちに低くなった凌牙の声とは打って変わって、Wは軽やかな声で言葉を返す。
「じゃあ面白い話をしましょう。あの決勝戦、あなたは私のデッキを盗み見て失格となった」
 苦々しい記憶に凌牙の眉間に皺が寄る。それを前にしても、Wは淡々と続けた。
「だがあの時のあなたは、普通の精神状態ではなかったはずです。……大切なひとの、不幸な事故を目の当たりにして。そんな状態のあなたに、もし対戦相手がわざとデッキをばら撒いたとしたら?」
「……ッ」
 口の端を上げたWに、凌牙の脳裏で記憶が蘇る。───全身を包帯で覆われ、ベッドに横たえられられた妹の無惨な姿。心電図の無機質な秒針。酸素マスク越し、聴き取りにくくなった声。
「そもそも、彼女の事故が偶然ではなかったとしたら?」
「お、……お前、まさか」
「妹さんはまだ入院してらしたんですねぇ。お花は気に入って頂けましたか? 高かったんですよ、あの花。まぁ私の趣味じゃなかったんですが」
 鼻に残った甘い匂いが凌牙の首を撫でた。看護師から聞いた言葉を反復するように、Wはやっと正面を向いてその右の頬を凌牙に見せる。
 足元から何かが崩れ去る音がした。茫然とする凌牙の表情が変わっていくのを、笑いを堪えたWがとどめとばかりに続ける。
「俺を嵌めるために……!!!」
 凌牙の手からカードが滑り落ちる。《聖なるバリア -ミラーフォース-》、そのカードがコンクリートの床に抱き留められたと同時に、凌牙が拳を握った。
「テメェぇ!!!」
「暴力はいけません」
 背を向けたWに凌牙の足が止まる。その視線を背中に感じながら、Wはついに堪えきれなくなった笑い声をあげた。
「フッハハハハ…… ですが笑えますねぇ、あの一件であなたはデュエルの表舞台から追放、一方私は今では極東エリアのデュエルチャンピオン、随分と差がつきました。……悔しいでしょうねぇ」
「てっ……テメェ!!!」
「なら俺を倒してみろ! デュエルカーニバルでな!!!」
 Wが投げて寄越したものを、凌牙は咄嗟に受け止める。金のハート型のふちに、Wの瞳と同じ色に輝く宝石、……デュエルカーニバル参加資格であるハートピースが、太陽の下でいっそう煌めいていた。
「待ってるぜ? フッハハハハ……」

「……ワールド・デュエル・カーニバル」

 ハートピースを握り締めた凌牙の手が、ぎち、と軋んだ。




「望み通り、凌牙はデュエルカーニバルに参加する」
 高層ホテルの最上階。Wが凌牙に接触し、トロンにそう報告したのは昨日のこと。

 そして今日、\は個別に呼び出された。相も変わらず一日中エンドレスループ再生される子供向けアニメが映し出された壁面に向かって手を叩くトロンと、その横に控えるX。
 WとVがいないのを確認する\の視線が、Xの視線とぶつかった。少し気まずそうにしたあと、\は何事もなかったようなフリをしてトロンとXのもとへ足を進める。
 他の兄弟達とは違う、ミドルヒールの少し軽い音。トロンはそれに振り返るでもなく、クスクスと笑ったまま\を呼んだ。
「待っていたよ、\。君にも、僕のためにしてほしいことがあるんだ」
「はい」
 従順に返事をする\に、トロンはやっと視線を向ける。
「\、君も神代凌牙に会って来るんだ」
「……!」
「何を話すべきか、分かってるね?」
「……ええ」
 そう短い返事をするだけで、\は軽く頭を下げてトロンとXに背を向けた。部屋を出ていく彼女の背中をXが見送る。重い木製扉が閉められたとき、アニメを笑う子供の声とは違う色の声で、トロンは笑った。




 窓の向こうでは、頂点を過ぎた太陽が航路をわずかに西へ向け始めている。エレベーターを待つ\は、ガラスに反射する自分の顔をぼうっと眺めていた。僅かに逸らした自分の横顔は、あの写真に写っていた幼い頃の自分の顔と重なる。
 だけど、もうあの頃の自分はいない。
 そっと左側の顔を撫でたのと同じタイミングで、エレベーターがベルを鳴らして口を開けた。自然と動いた体に任せて足を踏み出した瞬間、視界に入り込んだ赤い服の裾にハッとして顔を上げる。
「姉様、お出かけですか?」
 まん丸の目でにっこりと笑うVに、\はぎこちない笑みを返しそうになり、すぐ同じように微笑み返す。
「ええ」
「お気をつけて」
「ありがとう」
 何気ない会話。ドアを押さえてエレベーターを降りたVと入れ替わるように乗り込むと、\は中からボタンを押す。「いってらっしゃい」と笑って手を振ってくれるVに\も手を上げるが、いざ振り返す瞬間には完全にドアが閉まってしまった。
 密閉された、狭い箱の中。たった数十秒の時間だけだと言うのに、この世から隔絶されたような気分。目の前には、鏡面のドアに映った、手を振り損ねた自分だけがいる。
 ニコニコとした顔を剥がせば、やっと左のケロイド跡に似合う顔になった。



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