自分がした舌打ちの音が意外と響いた廊下で振り返った看護師やどこかの病室の見舞客を、凌牙は睨み返した。

 自分が頗る機嫌が悪いのは承知の上だ。それでも手の中でチャプチャプと音を反響させる花瓶に当たり散らす気にはなれない。……あのあと、凌牙は璃緒の部屋に飾られた豪華な花を処分した。殺風景なテーブルには慣れていたはずなのに、あの花のせいで余計に寂しく感じられるようになってしまった璃緒の病室。それを思い出した凌牙はつい、学校の帰りに花屋へ立ち寄ってしまった。
 店頭に飾られていた、決して豪華ではない“作り置き”のブーケを買って、ナースステーションで借りた花瓶に水を汲んで。凌牙はらしくない自分にも苛立っていた。


 目元を包帯で覆った少女が眠るベッド。彼女の元の顔を見たのはたった一度だが、彼女の病室を訪れるのはこれで二度目。あまり覚えているわけではないが、少なくとも傷なんてなかったはずだ。今はどうだろうかと、\はつい、その包帯の下が気になって覗き込む。

「誰だ」

 緊張感と、敵意さえ感じられる張り詰めた声に、\はゆっくりと左側の顔から振り向いた。
「……ッ アンタは、」




「V、\を見なかったか」
 どこか機嫌の悪い兄の声に振り返ると、案の定太い眉毛をこれでもかと歪ませたWが、椅子に座っていたVを見下ろしていた。
「姉様なら、お昼過ぎに出て行きましたよ」
「どこへだ」
 「出て行った」、そう聞くや否や下瞼をヒクリと動かしたWにVは「また始まった」と言わんばかりにため息をつき、テーブルに向かい直して広げていたカードに目を落とす。
「知りませんよ、姉様だってW兄様と離れたい時があるんじゃ無いですか?」
「チッ」
 聞いておいて返事もろくに返さず部屋を出ようとするWを、Vは呼び止める。
「兄様、X兄様とトロンは……」
「わかってる。……V、\が帰ってきたら俺に連絡しろ」




「また会えるなんて嬉しいぜ。アンタの方は、もう大丈夫なのか?」

 安堵した笑みで花瓶を置き、ブーケを包み紙のまま適当に生ける凌牙に背を向けたまま、\は璃緒を見下ろしていた。
「会うのは…… あれ以来、だったね」
 凌牙の手が一瞬止まる。璃緒が救急搬送されたと聞いて飛び込んだ病院、硬く閉ざされた処置室の扉の前で顔に大火傷を負った女が1人、その場で治療を受けていた光景を見て、凌牙は「妹はもっとひどい状態なのだ」と悟った。その瞬間のことを思い出す。
 璃緒を炎から庇ったのが彼女だと救急隊員達から聞いた頃には、その女は転院していた。左の顔に残った大きな染みが、紛れもなくあの時の女だと言う安堵感を凌牙に与える。
「そういえば名前も知らねぇよな。俺は───」
「神代陵牙。……そして、妹の璃緒」
「……! な、なんだよ、誰かから聞いてたのか」
「今はシャークと呼んだほうが良かったんだっけ」
 は?、と声が漏れかけた。そしてすぐに違和感に気付き、顔を上げる。左側の横顔だけ一度見せただけで、あとは背を向けたままずっと振り返りもしない彼女に、なぜかWに似た空気を感じとる。
 それはすぐに明確なものとなって、彼女自身の口から返された。
「私の名前は\」
 ……\? 声に乗せず凌牙はその名前を喉の中で反復する。数字を表す名前に、大きな影を落として。
「ねぇ、この前の花束捨てちゃったの?」
「───ッ この前の、花束だと」
「そう、綺麗だったでしょ。……高かったのよ? 私が選んだの」

 ───『お花は気に入って頂けましたか? 高かったんですよ、あの花。まぁ私の趣味じゃなかったんですが』

 嵌っていたと思っていたパズルのピース。凌牙はそれを力任せに嵌めていただけだと知る。肝心なことを、見て見ぬ振りしていたのだ。

 ───『顔に傷があったわ、

 ───2人とも。』

 \はようやく振り返ってその正面を見せた。色が違えども意匠の同じ服装やブーツ、それを、凌牙は一度Wで見ている。それも一番の宿敵の姿ならば、なおさら凌牙の目に焼き付いているだろう。
「\、て、お前の名前、……まさか!?」
「皮肉なものね、あなたとWは“双子の兄”同士。私たちに出会わなければ、あなたも妹もこんな目に遭わずに済んだのに」
「双子、だと……?!」
 夕日の差し込む病室が赤く燃え上がる。逆光で大きな影に塗りつぶされた\の顔に、ふたつの瞳だけが怪しく光った。
「お前がWの双子の妹だと?! なら、璃緒を助けたっていうのは───」
「助けた? ……あぁ、そうだったね。そういう事にしてたっけ」
「……!」
「まさか、その場でわざわざ加害者ですって名乗ると思った? バカねぇ」
 \は髪をかき上げて、大きな染みとなった火傷痕を凌牙に見せる。
「ホラ、私も治療してもらう必要があったからさぁ」
 見ず知らずの女が、妹を助けるために負った顔の傷。凌牙はずっと心の中で彼女の存在に感謝していた。していたはずだった。だがそれが妹を傷付けたためのものと知った途端に、凌牙の感情もひっくり返される。
「て、テメェえ!!!」
 胸倉を掴んで引き寄せたが、振り上げた拳は一向に振られない。少しも動じる事なく冷たい目で凌牙の震える拳を一瞥すると、Wと同じ様に口の端を吊り上げた\が鼻で笑った。
「Wが言ってた通り、すぐ手が出るタイプなんだ」
「……!」
「どうしたの。女の顔は殴れない? それとも、眠ってても妹の目が気になる?」
 小馬鹿にしたような振る舞いをしていた\だったが、堪えきれず心底面白いというように目を細める。
「ンッフフフ、良いこと教えてあげようか。Wはあの大会であなたを陥れようなんて考えてなかった。必要ないもの。アンタみたいなお子様相手にそんなこと」
 呼吸をするだけで精一杯の凌牙に襟を掴まれたまま、\はそのキャパオーバーになりそうな顔を覗き込んで続けた。
「だけど私、いかにも一卵性双生児ですって兄妹を見るとムカつくんだよね。私とWだって双子なのに、全然似てないんだもの。決勝戦が双子の兄同士だなんて、きっと世間が注目しちゃう。ソックリなあなたたち兄妹と、全然似てない私たち兄妹が並んで比べられるなんて耐えられない。だから私がWに持ち掛けたの。……どっちか片方、潰したらどうなるかなーって、遊びたくなっちゃってさァ」
「!!!」
「まさか両方潰れちゃうとは思わなかったよ、凌牙」
 盛大な音を上げ、\がテーブルや椅子を巻き込んで床に倒れる。驚いた看護師達が駆け付けて凌牙を取り押さえるのを横目に、\は左の顔を摩りながら血をペッと吐き捨てる。
「痛った…… マジで女の顔殴るかよ、フツー」
「テメェ、……テメェが元凶だったのか!!! 璃緒をこんな姿にしてよくも!!!」
「凌牙君落ち着いて! 病室ですよ!」
 女性看護師が3人がかりでも止められず、男性医師を呼ぶ声が響く。それを横目に立ち上がり、\は服を払って悠々と襟を直した。
「はーあ、もうバチ当たってるからいいじゃん。一生治んないのよ? この顔。ったく、よりにもよって“こっちの方”殴りやがって。痣が濃くなったらどうすんのよ」
「\!!! テメェもWも許さねえ!!! テメェら2人、俺が必ずデュエルカーニバルでカタつけてやるぜ!!!」
 その叫びを聞いた途端、\がまたニッと笑う。そして挑発でもするように、看護師達に押さえ込まれた凌牙へ歩み寄って見下ろした。
「ハッ、デュエルカーニバルぅ? へぇ、表舞台から追放されたアンタが。……いいよ、私を殴った分はその時たっぷり返してあげる。まぁせいぜいWか私のどっちかにはたどり着けるよう頑張ることね」



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