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みゃぁお。
繁華街の喧騒から少しばかり外れの細い路地裏。いつもとは違う店に入ってみようかと、ふらりと歩いた末にたどり着いたこの場所はいやに猫が多い。
特に寄ってくるわけでもなく、そこいらで俺を値踏みするかのように横目で見つめてくる猫らは、このへんの人たちが餌でもやっているのだろうか。
猫の多い道の先ひっそりと足元に灯るライトは、そこに店があると教えてくれる。
『居酒屋 ねこ』
それが店の名らしい。猫の多さはここから来ているのか。いやそうだと決めつけてはいけないだろう。
ひとり失笑を溢し、ここまで足を運んだのだからと扉を引く。ちりんと小気味良くドアベルが鳴った。
落ち着いた店主の声と共に良い匂いの立ちこめる店内に歩を進めると、壁の至るところにはスケッチブックの切れはしに描いたアーティスティックでいて緻密な鉛筆画が飾られている。
路地の果てにある店だというのに、少しばかり手狭な店内にはお客が多く入っていた。丁度よくカウンターの端が空いたようだったので、片付けを済ませてもらいそこに腰かければ、目に飛び込んでくるあまり見たことの無いような組み合わせの素材や調理法にて記される料理名のお品書き。
どうやら店主一人で回しているらしく、とりあえず冷酒と早く出せるという無難なスピードメニューを頼んで店内が落ち着くのを眺めていた。
「すみません、お待たせいたしまして。」
はじめに頼んだメニュー、ねこサラダと、ねこおにぎりが届く。美麗に盛り付けられたサラダの上には自家製だというハムと、トマトの赤ワイン漬けが乗っている。おにぎりは可愛らしくゆきだるまを模して作られており、頭部と胴体で内容が違ってまた面白い。
それらに舌鼓を打っていると漸く落ち着いてきたので、せっかくならばと面白そうなものにも手を出してみればそれら全てが旨いときたもんで。
始めて食す創作料理たちに俺は大層気を良くし、メニュー全てを食べ尽くし飲み尽くさんばかりの勢いでいると、隣から小さな笑い声が。
「お兄さんすごい食べっぷりやねぇ。ここ始めてなん?」
恐らく常連さんなのだろう女性と男性がこちらを微笑ましげに見ているではないか。
美味い美味いとあまりにがっつきすぎたかと恥ずかしくなり反省していると、控えめな笑い声と共に小皿が差し出される。
「これ、よー通っとるとたまーに貰えるんよ。もし良かったら食べん?うちらぼちぼち出よう思てて。」
猫の形をした皿に盛られていたのは、なめろうのような、魚のたたきのような。
聞けばねぎとろらしい。ねぎとろといえば、ネギと鮪のトロなのではとはてなを浮かべていたが、本来のねぎとろの始まりは、お客に出せないような魚の切れはしや細切れを賄いとして出していたものなのだそう。
酒が入っていたのもあり、大袈裟にも素直に声をあげて感心を表に出せば、今度は男性の方から酒を勧められる。
喜んで杯を空にして向けると、今までせかせかと動いていた店主から制止の声が。
「タカトラさんあかん。ホラこっちの新しく仕入れたほう奢ったりや。」
「…ほぉ。いや、ほんまやな。すまんなにーちゃん何も飲みさしやるなんてケチくさかったなぁ」
一瞬何かに気がついたように止まる男性だったが、すぐにまた笑顔に戻り、最近入ったばかりと言う日本酒を注文してくれた。
それもまた料理に合う素晴らしい出来のもので、見たことのない酒だったがあれよあれよと一合空き二合空きと、そろそろ帰ると言っていたというのに、思った以上に盛り上がってしまって気がつけば閉店30分前のラストオーダーの時間が迫ってきていた。
「ふふふ。楽しい時間はあっという間やね。お兄さん、いい機会やし内緒の話教えてあげるわ」
すっかり上機嫌になった女性が耳打ちするように手で戸を作るようにしてきたので、同じく美味い飯と美味い酒で上機嫌の俺は耳を傾げる。
店主と男性はどうやら野球か何か、やれあそこのチームはどうたらあそこの頭はどうたらと話し込んでいる。
「ここのお店、0時までなんやけど、時間過ぎてしまうと店主猫になるんよ」
ねこになるんよ。言い終わるとだめ押しにか口許に人差し指を寄せて、隣の男性に声をかけ店主に会計を言い渡し帰り支度を始めた。
ねこになるんよ?ははあだからいざかやねこと言うのかぁ。可愛らしい嘘をつくもんだと笑いを漏らし、彼女らの後ろ姿を見送るべく俺も立ち上がる。
「ありがとうね付き合うてくれて。この人がこんななるの久しぶりやわぁ」
「兄ちゃん、もしまたおうたら一緒に飲もうなぁ」
足取りの危なくなった彼を支えながら二人して闇に溶けて行く様を暫し見守り、さて俺もそろそろ帰ろうかと会計をしに店内に戻ると、酒瓶を入り口近くの戸だなに戻す店主と肩がぶつかってしまった。
今しがた帰って行った彼に負けず劣らず酔いが回っているとは言え、あまりに勢いが付きすぎていた。その旨を詫びればおおらかに笑ってくれる。
あれ、そういえば店主の持つそのお酒は始めあの男性が勧めてくれたあれじゃないか。どうして店主はあの時制止したのだろう。今になって疑問が沸いてきたので、銘柄を盗み見るくらいはばちは当たらないだろうとこっそり見てみれば、ラベルがない。
『あれ、ない。なんて名前なんだろ』心の中で呟いたと思っていたその一言は、どうやら口に出てしまっていたようで、店主は苦笑いを溢しながら教えてくれた。
「お客さん大分酔っぱらってはるから教えてもきっとすぐお忘れになるでしょうし、ええかな。これ、うちで作ってるお酒なんです」
ああ、なるほどなあ。そういう事で教えてもらえなかったのか。造酒とはなかなかに趣あるが悪どいことだ。
へえ。ここは飯が驚くほど美味いから、きっとあんたが作る酒だし、それもまた美味いんだろうなあ。今度飲ませてよ。
と言うと、店主は困ったように眉を下げて笑いながら、機会があれば。と歯切れ悪く言った。
機会ならまた作れば良いやと、俺も先に帰った彼らに続くように会計を頼む。手渡された金額に驚いた。高額で、ではない。あんなに美味い飯たちをたらふく食べたのに一番大きな紙幣で幾らもお釣りが来ることにだ。
ちょっとサービスが過ぎるのではもっと取っても良いのでは。こんな一見の男、あの料理の数々ならば多少っぼったくったって誰も怒りゃしないよと詰め寄るように捲し立てれば、店主は目を瞬かせたあと本日一番とも言える大笑いをした。
「ありがとうございました。もし良ければまたお立ち寄りください。」
ご馳走さまでした。是非また来ます。ふわふわした気持ちでホテルに向かって歩き出す。
そうだ、あの酒。原料はなんだろう、米か芋か…。機会があれば飲ませて貰えるというそれ。俺は忌々しくも麦系の酒が体に合わなくて飲めないのだ。せっかく飲ませて貰えるという時が来たとき、もし苦手なそれだったなら相当に落ち込む。
店主、最後に教えてくれるかい。あの酒は一体何で作られているんだ?
「…またたびです。さ、夜も更けてますし、お気をつけてお帰りください。」
へぇまたたび。これまた珍しいもんでお作りになられて。飲んだ事の無いものだなあ。飲める日が楽しみだ。
俺を見送った店主は誰も居なくなった店内に直ぐ様戻って行った。時刻は早くも日付を跨ぐ頃となっている。
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