二日目、由貴は寝不足をひしひしと感じながらもドリンク作りに励んでいた。寝不足の原因は大体分かる。今朝の夢と、気を張っていた所為だ。影山由貴の体になってからは、以前よりも体力の衰えを感じていたし対人関係に気疲れを覚えていた。だからかどうもこういう場所は苦手なのである。
「(それもこれも全部あいつの所為だ…)ボトル………と…」
「はい」
「ああ、悪い」
――何故、ボトルがこっちへ来た?
「っ!?」バッと横を見ると、どういうことなのか赤葦が佇んでいた。
「今のがきみの素?」
「…あ、いや……………」
彼から渡されるボトルを何の違和感もなく受け取ったのは、間違いなく“以前の経験”が関係している。(何で来るんだよ)という悪態は心に留める。一応彼のほうが先輩なので敬意は払わねばならない。“以前の彼”が由貴に対しそうしてくれたように。
「さっきのほうが影山さんらしいから、俺とか木兎さんには別に遠慮しなくていいよ」
「…そうですか。ところで……、赤葦さんはここで何を?」
問えば赤葦は自分のボトルを軽く振る。空になったからドリンクを調達しに来たようだ。予備なら梟谷のマネージャーが作っている筈だが、何故ここまで来たのだろう。疑問が顔に出ていたのか由貴が質問を重ねる前に、マネージャーが他の選手の治療で忙しくて予備を用意できなかったらしいと赤葦が答えた。
「私が作りますよ」
「ありがとう。良かった、俺作り方分からなかったから」
それでよくここまで来たなと思いながらも、由貴は黙ってボトルを受け取ろうとした。
「…………それ……」
「え?」
「どうしたの、その…傷?」
しまった――咄嗟に隠そうとしたがその前に赤葦に腕を掴まれる。「傷、というより痣みたいだね」怪我じゃなくて良かったと呟く彼に、由貴の心臓は早鐘を打つ。
由貴の右掌にはくっきりとした横一文字の痣がある。それは生まれた時からあったもので、後天的な怪我によるものではない。双子の兄にはなく由貴のみにあったので大人たちは不思議がった(まあ、これは“前”の時に負った傷跡であるため兄になくて当然だが)。その旨を話せば赤葦はへぇ、と驚きの声を上げたものの、次には大人たちと違う反応を見せた。
「俺も似たようなのあるよ」
がつん、と頭を殴られたのかと思った。「似た、ようなの…?」僅かに声音が震えてしまったが赤葦は気づかなかったようで何事もなく頷く。

「俺の場合は痣じゃないんだけど……時々右腕の感覚がなくなるんだ」

まあ本当にたまにだからバレーしてても支障はないんだけど。医者も問題ないって言ってたし―――と続ける赤葦の声を、由貴は平生の心で聞くことはできなかった。
こいつは…この男は、覚えているのか?由貴は混乱する。いや、この男が覚えてなくとも体は覚えているとでも言うのか?新しい、まったく別の名を与えられた体が?
「影山さん……ちょっと、影山さん?」
「!」
「大丈夫?気分悪くない?」
顔青いよ、と心配そうにする赤葦に何でもないと答え、由貴は手早くドリンクを作った。
「…………………あの」
「なに?」
「腕は…本当に大丈夫なんですか?」
目線を下げて問う。赤葦の目が怖いのかはたまた手元が気になるのか、自分のことなのに由貴は分からなかった。
「うん。今までバレーができなくなったこともないし、本当にふとした瞬間だから大丈夫」
「そうですか………それは…良かったです」
「心配してくれてありがとう」
心配するのは当然だ。何故なら、右腕の感覚がないのは由貴が原因なのだから。
だがそんなこと言えるわけもなく、由貴は曖昧に笑って赤葦の背中を見送った。


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