影山飛雄には双子の妹がいる。昔からやけに大人びた言動をする、変わった妹が。とはいえ影山自身、幼少期は然程その浮世離れした妹の側面に違和感を覚えることなどなかったし、他の子供たちと変わらず接していた。両親も妹の一面に戸惑っていたものの影山と同じように愛情を注いだ。
しかし妹がそれに応えることはなかった。
影山が一番最初に違和感を覚えたのは年長組の時だった。同じ組の男の子たちがミミズで遊んでいた折の、妹の発言がふとしたきっかけだった。
『…大差ねぇってことか』
何気ない、その一言。当時の影山では“大差ねぇ”の意味が分からなかったが、その声音が、瞳が、雰囲気が、それまで接してきていた妹と遥かにかけ離れたものであったことにどうしようもない恐怖を抱いた。一体どういう意味なのか未だに分からない。そのあと幼い影山は妹に何がタイサネェのだと訊いてみたが、
『人を殺すことと、ミミズを殺すことだよ』
と言われ、余計に分からなくなった。だがそう答えた時の妹の瞳はひどく昏くて、その時漸く自分は拒絶されているのだと知った。
小学校に上がってからは、家族と妹の溝がどんどん大きくなっていくことを悟る。どうしてそうなったのかはさっぱりだが、いつも妹は遠くを見ていた。隣にいる影山のことなんてまったく視界に入っていなかったのである。二年生、三年生と学年が上がる中、妹の視線は更に遠くなった。まるで風に飛ばされたらもう戻ってこないのではないかというくらい、兄妹の心は離れていた。


妹との間に沈黙が流れるのが当たり前になった小学校六年生の冬、ある事件が起こった。
あの時もいつも通り、成り行きで一緒に帰路についていた暮れ六つの寒空の下。車と信号機。喧騒と店から流れる安っぽい音楽。ばらばらの足音。二人は噛み合わない速度で雪道に足跡を残していた。
そんな折、他にも通行人がいるから認識が遅れたが、影山は妹が自分の後ろをついてきていないことに気づいた。振り返れば妹は背後を微動だにせず凝視している。
「…?おい、どうしたんだよ」
妹は答えない。痺れを切らし、影山は妹の肩を掴んだ。「なあ早く帰ろ――――…」その時見た妹の横顔を、影山は今でも鮮明に覚えている。
あの、期待と不安、感動が入り混じった、歓喜に似た横顔を。
それは妹がこれまで誰にも見せたことのなかった、初めて見る表情だった。
「っ!!」
「あっ!どこ行くんだよ由貴!?」
妹は影山の存在を忘れたのか、彼を置いて走り出した。「由貴!待てよ由貴ってば!!」慌てて追うも、人混みが邪魔をして上手く前進できない。
「由貴ッ!!」
漸く小さな姿を見つけた時、彼女は高校生か大学生くらいの男の人と対峙していた。会話しているのかわからないが、男の人の口が動く。すると由貴は暫しして踵を返すとまた駆け出した。男の人は怪訝そうにしていた。
影山の呼びかけにも反応を示さず、由貴は走る。方向は家。このまま走って帰るらしい。意外にも速くて簡単に追いつけなかった。帰宅してから由貴は玄関で立ち竦んでいたのかと思えば、静かに靴を脱いでリビングを通り過ぎた。
「……………由貴………………?」
キッチンへ向かった彼女を追いかけるのが怖かった。だけど今追いかけなかったら後悔すると、影山は心のどこかで確信していた。
――――予感は的中する。
「なにやってんだよッ?!!」
妹の小さな手の中にある刃に、影山の背筋は凍りついた。細い肩を掴んで振り向かせれば妹の手から包丁が落ちた。ゴトンと鈍い音が鳴って床に刺さったそれに玄関の時に抱いた感情がぶり返す。
「ばっ…ばかじゃねーのお前!!いきなり何しようとしてたんだよ!!」
杞憂であってほしかった。野菜を切ろうとしていたんだと言ってほしかった。当たり前のことを言ってほしかった。だけど妹は何も言わない。まったく動かない表情筋、視線。だが、黒曜石のような彼女の美しい瞳から、一粒の涙が零れた。初めて見た涙だった。
「えっ」
「―――」
零れる、零れる。涙は止まらない。彼女の白い頬を伝って床に落ち、消えてゆく。その間、彼女は何も言わない。ただ瞳だけが影山に哀しさを告げていた。
彼女は誰なんだろう。目の前にいる少女はまごうことなき自分の妹の筈なのに、涙を流しているこの少女を影山は知らなかった。この少女は妹ではない。まったくの、他人だった。
不意に妹が右掌に視線を投げた。影山もつられて見てみれば、そこには彼女だけにある横一文字の痣があった。これがどうしたんだろうともう一度妹の顔に視線を戻せば、どうしてか妹は目を見開いていた。
「…こんな…………」
「え?」
「こんなの……いらない……」
その言葉の真意を、影山は汲み取ることができなかった。

それからというもの、二人は口裏を合わせたかのようにこの日のことを話すことはなかった。中学に上がっても溝が埋まることはなく、沈黙の日々が続いた。
あの日見た少女の正体を知らぬまま、影山は今日を過ごしている。


- 1/3 -