「由貴チャンってさ、可愛いよな」
唐突に何を言いだすんだこの人は――赤葦の心中は穏やかではなかった。
練習後、黒尾は先の発言を何の脈絡もなく言った。この場に彼女がいなくて良かったと思う。彼女が聞けば黒尾は絶対冷徹な視線を貰うに違いない。
「突然何だよ」
「いやふと思っただけ」
「ふーん。まあ確かに可愛いよな」
木兎まで同意しだす始末だ。これは長くなるぞと赤葦は悟る。
「顔がっつーか…まあ顔も可愛いけどよ、フンイキ?まとう空気っての?それが構いたくなる感じなんだよな」
「分かる!木兎たまには良いこと言うな」
「だろ?俺ってばマジ最強すぎ!!」
本当に何を言っているんだこいつらは。
「赤葦は?」
ここで何故か赤葦に振る木兎。
「赤葦は由貴のどういうところが好き?」
何故言わなければいけないのか。いやそもそも好きなところがある前提で訊いてくるのがおかしい(別に彼女が嫌いというわけではないが)。
「……そんなことよりも片づけなくていいんですか」
「フーン、赤葦は由貴チャンのこと好きでもないし興味のかけらもないってことかァ」
にやり、挑戦的に笑う黒尾。これは挑発だ。乗ってはいけない。そう思うのに、彼の発言は予想以上に赤葦の心を乱した。
「別にそんなこと一言も言ってないじゃないですか」
「えー?でも好きなトコないから言えないんだろ?」
「違います。……ていうか大体黒尾さんは影山さんをからかいすぎです。彼女はそういうの好きじゃないだろうしやめてあげたらどうですか」
言ってから後悔する。こんなの、まるで黒尾に嫉妬しているみたいな言い草じゃないか。違うのに。彼女はただの後輩の筈だ。それ以外何でもない関係だ。なのに何なんだ、この心情は。この気分の悪さは一体何だ。
「…赤葦さァ」
それまで黙っていた木兎が口を開く。
「何でそんな頑なに否定すんの?」
「、は?」
「良いじゃん、好きなら好きでよ。何で好きじゃないフリしてんだ?」
自分からコクるの恥ずかしいから?あっけらかんとした口調で訊ねてくる木兎に反応できない。
彼はどうしてこんなにも、赤葦は由貴のことが好きだと言い切るのか。黒尾と違って好意的な素振りなんて見せていない筈だ。不思議に思っていると「重症だな」「ああ、こりゃ駄目だ」と黒尾と木兎が呆れた。
「赤葦さァ、ほんとに由貴チャンとは初対面なわけ?」
「……そうですけど」
「うーん…その割には仲良すぎっていうか…パーソナルスペースが狭いというか…」
「まあ単に馬が合っただけかもしれねーけどよ!もっとお近づきになりたいんならお前のその態度なんとかしたほうが良いぞ!」
でねーと黒尾辺りに由貴を取られるかもな!と笑って言い放った木兎に、赤葦は珍しく青筋が立った。
「ご心配なく。彼女が黒尾さんを好きになる可能性なんて万に一つもありませんから」
「ハァ!?おま、それは言い過ぎだから!もしかしたら好きになるかもしれねーだろ!」
怒る黒尾に「そんなのあるわけないでしょう」と言い切る。どうしてかこの口論に負けたくなかった。
「なんなのお前。由貴チャン取られたくないなら素直にそう言えよ」
「取る取らないの問題じゃありません」
「フーン…………まあお前がどう思おうと勝手だけどよ、そういう態度なら、マジで狙っちゃおっかなー」
今ンとこ由貴チャンと一番仲良しなの俺だし、と更に挑発を重ねる黒尾。
確かにそうだ。彼が由貴と一緒にいる時間が一番長いし、由貴が黒尾に心を許してきているのが見ていて分かる。
彼女の華奢な背中。その隣にいる男。自分はいつもそれを二人の背後から眺めているばかりだ。心のどこかで男を羨んでいるのに、彼女がその男の隣を望むのならと一歩退く。そればかりだった。
「どうぞご勝手に」
これ以上いたら抑えが効かなくなるのが想像できたので、黒尾たちのほうを見ずにその場を離れた。
「……お前の所為だぞ」
「いやお前だろ」
後ろで黒尾と木兎のしょんぼりした声が聞こえたが、戻る気分にはなれなかった。


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