群青だって掴めないけれど
暑い日が続いている。滴る汗は止めどない。じりじりと肌を灼くような蒸し暑さにバテつつある。
合宿は四日目を迎えた。そろそろ疲労が見えつつある皆を一瞥し、赤葦は息をついた。マネージャーたちも時々あくびをしたりと眠気を追い払えていないらしい。由貴をちらと見れば、あくびこそしていないが時々しんどそうに目蓋が下がっている。疲れているのは同じのようだ。
赤葦も目がしょぼしょぼするが、これは眠気が原因ではなくて単に今朝の涙の影響だ。幸いにも眼球や目の周りが赤くなったり腫れたりはしていないので皆に泣いたことは知られていないが、目が乾いているためしきりに瞬きしなければいけなかった。これで泣いたことがバレたら間抜けすぎる。絶対に隠し通したい。
「赤葦眠いのか?今日起きるの遅かったもんな」
まったく気づいていない木兎にそうですねと相槌を打つ。
「目ェかゆいのか?」
「いえ、ちょっと乾いてて…」
「目薬打ったら?」
「俺持っていないんで。まあその内治るでしょう」
「えーっ。でもそれで集中できねーんじゃ駄目だろー。おーい由貴!目薬持ってねー?!」
何で彼女に訊くんだ。由貴のことが好きなのは実は木兎のような気がしてきた。(駄目だ駄目だ…)どろりとした感情が胸に流れるのを必死に食い止める。木兎はそんな奴じゃないと分かっている。分かっているのに、黒尾に抱く冷たい感情を彼にまで向けそうになる。
「目薬ですか?」
「おうよ。赤葦が目ェ乾いて練習に集中できねーって言うからよー」
「はあ、持ってますけど。というかそれ、梟谷のマネさんに頼めば良いんじゃ…」
「良いだろ別にー。なっお前ら!」
白福たちにそう話しかければ、彼女らは嬉しそうに「そうだよー!」と言った。「それに私たち、目薬持ってないからー」その言葉が嘘であることを赤葦は知っていた。以前、彼女らが休憩時間に目薬を差している場面を見たことがあったからだ。
「どうぞ」
「ごめんね、ありがとう」
「いえ…」
野次馬根性丸出しの木兎を練習に戻させてから、赤葦は目薬を差した。じんわり広がる清涼感が気持ち良い。心も少しばかり落ち着いた気がした。
「ありがとうね」
「…あの、赤葦さん」
由貴が何か言いたそうに唇を噛む。彼女が言い淀むのは珍しいことなのでちょっとばかり驚く。どうしたの?と訊けば由貴は意を決したように目を合わせてきた。黒曜石のような美しい瞳に胸がどきっと鳴る。
「……言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれて構わないので」
「!」
「我慢しないでください」
まさかそんなことを言われるとは――赤葦は瞠目する。
「……。大丈夫、俺、言いたいことは結構はっきり言うタイプだから」
肝心なことには蓋をするくせに、という自虐が胸を貫く。とんだ臆病者だなと己に落胆した。
「―――…」ふと、由貴の眉根が寄った。
「…へえ、確かに黒尾さんの言う通りですね」
「え?」
「そう言う奴ほど全然大丈夫じゃないって」
あの人結構的を射た発言しますね。だなんて淡々と述べる由貴に、赤葦は混乱した。
何で今あの人が出てくるんだとか、あの人と何を喋ったんだとか、言葉の真意は何だ、だとか。とにかく気になることが多すぎた。
「赤葦さん」
混乱から赤葦を救ったのは、由貴の声だった。
「自分に嘘つくのって、結構しんどいことですよ」
「!」
「“言えること”は素直に言っておいたほうが自分の為になります。後悔は手遅れですからね。たとえ自分の思い通りにならなくても“あの時ああすれば良かった”と思うよりかはマシなんじゃないですか」
「まあ私、人のこと言えませんけど」と小さく付け足した由貴は寂しそうに見えた。
「……、」
「思い通りにならないことが人生の大半ですが、それで諦観するのは自ら可能性を放棄することと同等です。それなら、たとえ叶わなくとも可能性を掴む為にあがくほうが有意義だと思いませんか」
――ただ、それは決して楽な道ではないし、欲しいものが手に入らないことのほうが多いけれど。
どこか冷淡に述べる由貴。それを見た途端、赤葦の心臓はぎゅっと締め付けられたような感覚を受けた。
「………影山さんってさ」
「はい」
何でしょう、と訊く彼女の顔は不思議と年相応だった。
「どうしてそんな大人びたこと言えるの?」
「どうしてでしょうね」
「本当に俺より年下?」
「…年下ですよ」
そんなわけないだろ、と思ったものの、赤葦は「そっか」とだけ答えた。