二千年後の君へ
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「いきなり押しかけてごめんね」
「いえ……わざわざありがとうございました」
あの人はきっとこれが己の手に渡ることは本意ではなかっただろう。容易に想像ついたが、受け取らない手はなかった。
「……あの、さ」ハンジが気まずそうに頬を掻く。何だろうと首をかしげれば、決意したように彼女はぐっと唇を引き締めた。
「こんなこと訊くのは失礼だと思うんだけど…」
「はい」
「その………新しい人を見つける気はないの?」
丘の上にある家に隻腕の男が一人暮らしというのは、些か人の目につくだろう。ハンジはそれを心配しているのだろうか。変人なくせに部下思いなところは変わっていない。
彼女の言いたいことも分かる。いつまでも過去に縛られっぱなしでは、あの人が『待たなくていい』と言った意味がない。件の発言は決して意地悪ではなく、あの人が己を想って言ったことだというのは、重々承知していた。
「分かっています…でも、俺はこの先もずっとあの人を愛し続けます。―――どれだけの時間が経ったとしても」
あの人の想いを踏み躙ることになっても、忘れる気はなかった。どれだけ時を経ようとも“彼”は待つことにした。愛しているから。忘れたくないから。彼女を思い出したいから。
「……。そっか」
「はい」
「うん、ごめん。変なこと訊いたね」
「いえ。お気遣いありがとうございます」
ハンジは敬礼をした。生憎“彼”には右腕がなかったので、心臓を捧げる代わりに黙礼する。律儀だね、と笑ってハンジは丘を降りていった。“彼”がいた頃はまだ新兵だった兵士が馬車前でハンジを待っていた。モブリットではないんだなと思って、目を細める。
馬車はあっという間に遠くへ行ってしまった。一人になった“彼”は少しの間見えなくなった馬車の背を眺めていたが、左手にあるエンブレムに目を落とした。色褪せた翼、血に濡れた翼が、そこには記されている。
――覚えている。烏の濡羽色の髪に、陶器のように白い肌、黒曜石の瞳。薄くはにかむ仕草に、照れた横顔、滑らかな指先。美しい涙に、柔い花唇。
思い出す度胸に広がるのは、息苦しいくらいの傾慕と足元がおぼつかないほどの喪失。“彼”はそれを左の胸ポケットに入れた。失くさないよう、大事に。
空を仰げば、壁外で見るより幾分か小さい空がこちらを見下ろしていた。あの人は壁外で見る空が好きだと言っていた。文字通りの大空に包まれている錯覚がするからと。こんな血みどろで残酷な世界でも、空を見上げれば好きになれると言っていた。世界はもっと広いんだとあの人は希望を持っていた。
“彼”は、あの人を生みそして奪ったこの世界が好きであり憎くもあった。でもやはり、あの人が見たこの世界は美しくて、そんな世界を見つめるあの人も美しいことを“彼”は知っていた。
世界を一望してみる。憎いくらいに綺麗な青が広がっていて、“彼”は知らず知らずの内にまた一つ涙を溢した。