マネージャー部屋は選手部屋から少し離れたところにある。由貴も漏れずそこで寝泊まりしている。男くさい場所とは縁遠いここは、女の子らしいふわんとした柔らかな匂いがした。体育館と比べればここはリラックスできる場所だが、女の子たちの浮ついた会話に由貴は中々落ち着かなかった。黄色い声とは無縁な生活を暫く続けてきていたので女子高生の世間話について行けずにいる。
「清水さん、外の自販機まで飲み物買いに行ってきますね」
「気をつけてね」
「はい」
部屋を出れば廊下は真っ暗だった。光量が激減したため目がチカチカと眩んだがすぐに治った。
もう就寝時間が近いからか自販機のところまで誰とも会わなかった。一人になりたい気分だったから好都合だった。いつからこんなに無口になったのだろうと、ふと考えてみても答えは出なかった。
ミネラルウォーターを買って隣にあるベンチに座る。女の子たちはあの調子だと、まだまだお喋りは終わりそうになかった。少しここで時間を潰そうと由貴はキャップを開けた。水はひんやりとしていて熱を持った体を冷やしてくれる。思考が段々落ち着いてきて、由貴は今更息をついた。
かつかつ、不意に聞こえる足音。ああ嫌だな、だなんて考える。こういう時に限って会いたくない人物がやって来るものだ。
「あれっ、由貴チャンじゃん」
何故黒尾なのか。せめて兄だったらまだマシだというのに。
「…こんばんは」
「コンバンハ。隣良い?」
「どうぞ」
早く帰れよ、とは言えない。
「いやー、今日も暑かったよなぁ」
「そうですね」
「由貴チャン月島と仲良い?」
「いえ、話したことはありません」
「あそう?あの子なんか烏野の中じゃちょっとドライな感じじゃん?あのままじゃ駄目だと思うから由貴チャンからそれとなく言ってくんない?」
「無理です」
(話したことないっつってんだろ)言葉が通じないのだろうか、時折黒尾はこちらの意見を無視してくる。飄々としているし、どうもこの男は苦手だ。
「由貴チャンってさ、生きにくそうな生き方してるよね」
突然話題を変えられ、一瞬息が詰まる。
「…急に何ですか」
「いいや?何となく思っただけ。だってさー、オニーサンともああいった感じでしょ?由貴チャン友達いる?俺心配なんだけど」
不愉快な男だな、と由貴は隠すことなく顔色を変える。そんなことお前には関係のないことだろう。赤葦の件もそうだが、この男は何故か由貴の柔い部分に突っかかってくる。わざとなのかそうでないのか知らないが、どちらにせよ由貴の神経を逆撫でしていることに変わりはない。

「迷惑なんですけど」

だから、きっぱり言ってやった。
「昨日から何なんですか。あなたには関係のないことでしょう。赤葦さんとの件もそうだけど、私が兄とどういう関係だろうが友達がいようがいまいが私にはどうでもいい。もう関わらないでください」
ここまで言えば流石に関わってこないだろう。瞬間、由貴の胸の内にじんわりと黒い何かが広がる。正体は分からなかったが、不愉快なものに違いなかった。
「………由貴チャンさぁ」ここでふと、黒尾が口を開く。
「自分で気づいてる?」
「…?何がですか」
「赤葦の話する時さ、由貴チャン、いつもちょっとだけ泣きそうな顔してるんだけど」
は?と声が漏れる。
この男は今なんと言った?泣きそうな顔、だと?
「………何があったのかは知らないけどさ、自分に嘘つくのってあんまり良くないと思うよ」
知った風な口を利くな――怒りのあまり喉が震える。
「そんな………そんな簡単な問題じゃない…」
「!」
これ以上余計なことを口走らないほうが良い。そう思うのに、言葉は止まらなかった。
「易しい問題だったら私だってこんなに悩まなかった。私が覚えてさえいなければこんな………」
「………は?え、ちょっと待って、どういう意味?」
「追いかけたのは私じゃない。あいつが、私を追いかけてきたんだ」
それなのに。
「………それなのに、当のあいつが覚えてないなんてずるいじゃないか………」
ただの部下ならこんなにも悩む必要などなかったのだ。生半可に知ってしまったから、こんな結果になっている。もう誰の所為でこうなっているのかも分からない。ただ言えることは、とにかくもう彼と接触したくないということだけだった。
おやすみなさいと言って席を立つ。黒尾は追ってこなかった。


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