――――『ユキさん、この間の報告書です』

あいつはユキが与えた仕事は卒なくこなし、無駄を省き、同僚のフォローさえできる“よくできた部下”だった。実戦もまずまずの成績を収めていたため、ユキはあいつを非常に買っていた。
「ありがとう。………まったく、ハンジはいつも報告が遅いんだから」
「モブリットさんに尻を叩いてもらわなきゃ絶対に報告書なんて書きませんもんね」
そう言って、あいつはいつも控えめに笑う。あいつは感情の起伏が激しいほうではないため常に無表情だと勘違いされるが、よく見ていれば薄くだが結構笑うし眉をひそめることだってある。
「優秀なお目付け役がいるおかげでハンジはやっていけているみたいなもんだな」
勿論ハンジ自身の能力も高いが、と付け足せばあいつはそうですねとまた小さく笑った。
「さて、今日の書類はこれで終わりだな」
「お疲れ様です」
「ああ、お前もお疲れ」
あいつは決してユキよりも早く上がることはなかった。ユキが残業をしていれば必ず手伝うと進言してくるし、夜は必ず宿舎までユキを送ってくれた。女性の扱いが慣れているように見えたので恋人でもいるのかと訊いてみれば、答えは否だった。
「………なんか意外だな」
そう呟けば、あいつは複雑そうに微笑んだ。当時はその心中を深く悟ることはできなかったが、今にして考えれば容易く分かることだった。
そうして花が芽吹き、雪が解け、移ろう年月を共に過ごした。上官と部下の一線を一歩も踏み出さず、あいつに背中を預け続けた。

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「………嫌な夢だ………………」
気分が悪い。遠征に来る前に一度、あいつの夢を見たことがあったがあれはもしかして予知夢に似た現象だったのだろうか。そうでなければ今になってあの日々を思い出したりしない。
ぼうっとする頭を無理に覚醒させ、由貴は起き上がる。時計を確認しようと手を彷徨わせたら何かに当たってそれが倒れた。ペットボトルだった。認識したのと同時に黒尾のことを思い出して由貴の気分は更に降下する。
「影山さんどうしたの?大丈夫?」
谷地が眉をハの字にして訊ねてきたので慌てて顔を引き締めた。
「しんどかったら素直に言ってね。あっ私じゃ頼りなかったら清水先輩でも誰でも良いからっ!!」
「あ、いやうん、大丈夫。ありがとう」
谷地のような女の子は苦手だ。無償の善意がどうも由貴とは合わなかった。
「…………………頑張る、か」
もうすぐ終わる。もうすぐ、あいつと離れる。そうすればこんなに悩む必要もないし、罪悪感に苛まれることもない。だからもう少しの辛抱だ。
そう考えれば考えるほど、何故か胸のしこりは大きくなっていった。


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