太陽は出ていなかった。
奴良鯉伴は曇天空を不安気に見上げた。ここ数日、自分のシマで暴れ回っている妖怪が居ると耳にしている。命を取られた者も居る。その所為か、今日の空の荒れ具合が不穏気に見えて仕方がないのだ。
「…ちょっくら行ってくるか」
鯉伴は羽織りを肩にかけ、屋敷を出る。すると自分の後から慌てたような足音が聞こえた。
「何処へ行くのですか!」
「おお首無、ちょっと散歩に」
「馬鹿なこと言わないでください!最近妙な妖怪が暴れ回っていることは承知の筈!お一人で行かれるなど…」
「ならお前もついて来てくれ」
にこっと笑われ、首無は押し黙る。そんな彼をケラケラと笑って、鯉伴は再び歩き出す。
そんな彼の後姿を、首無は慌てて後を追った。
「全く…貴方という方は」
「仕方ねェだろ?気になるんだよ、その妖怪が」
「…既に散った者もいます」
「ああ」
それきり会話は無くなる。
ごろごろと空が不服そうに唸る中、ピリッとした殺気が二人を刺した。屋敷からほんの数分歩いただけでこの反応。元々奴良を狙っていたのか。
二人は立ち止まって眼だけで相手の場所を探す。
「…首無」
「は」
「手、出すなよ。俺がやる」
「は。…はァ!?」
てっきり自分が相手をやるものだと思い込んでいた首無は、鯉伴の言葉に唖然とした。
「よォ!アンタが最近ここいらで暴れ回っているって噂の妖怪か!?俺は奴良鯉伴!奴良組の二代目だ!」
「ちょ…大将!」
姿の見えない相手に大声で呼びかける鯉伴。挑発だと大分かりなそれに、首無はつい焦る。鯉伴の首を狙っている者はかなり居るのだ。それなのにこんな大声で自己紹介をするなど、自殺行為だ。そんなことも思いつかない鯉伴の安易な思考に、首無は頭が痛くなった。
「―――……ぬ…ら…?」
ぞくり。
背筋に悪寒が走る。極めて小さな声だったにも関わらず、その誰かの呟きは、確かに鯉伴と首無の鼓膜を震わせた。
がさりと二人の背後で動く気配。そちらを見ると、ぼろ布を纏った妖怪が居た。唯ならぬ雰囲気に鯉伴は刀の柄を握る。
「…あんたが奴良か」
「ああそうだ。…んだよ、俺に用があったなら正面から来やがれ。寄り道してんじゃねェよ」
「……ころす」
「あ?」
「…あんた、ここで死にィ」
刹那、離れていたその妖怪は、鯉伴の懐に入り込んでいた。
「!?」
「大将ッ!!」
ガキンッ!と刀と刀がぶつかる。あまりの衝撃に鯉伴は吹っ飛ばされた。
「貴様ッ…」首無は一瞬鯉伴は心配そうに見やり、敵に襲いかかる。が、
「手ェ出すな首無!!」
「しかしッ…」
「これは俺に売られた喧嘩だ…」
ふらりとよろめきながらも、鯉伴はしっかりと地に足を付けて立つ。
「えらい頑丈やねんな」
「ハッ…その口調…京妖怪か?」
「わいの素性知ったところで、あんたはどないすんねん」
「それもそうだ。けどな、理由も無く京妖怪がわざわざ江戸に来るモンなのか?」
「……せやな。理由、理由な…理由ならちゃんとあるで」
先の素早い動きで、ぼろ布が外れている。
鯉伴の命を奪おうとする妖怪は、子供のようだった。男か女か分からない中性的な顔立ちで、背丈は低く、刀を握る手はとても小さい。腕など、少し力を加えれば折れてしまいそうな儚さだ。しかしそんな儚い子供の腕に、気圧された。鯉伴はその事実に肝が冷える。
「ただの京妖怪じゃねェってことは分かった」
「当たり前や。その辺の雑魚と一緒にすんなや」
「テメェは何者だ」
「…わいはあんたとお喋りしに来たんやない」
―――あんたを殺しに来たんや。
次の瞬間、鯉伴の肩から腹まで、赤い一閃が走った。
子供の瞳は、ただ、昏く怒りに満ちていた。