首無は今の状況についていけていなかった。否、理解したくなかったという方が正しいかもしれない。
我が主である奴良鯉伴が、どこぞの知れない京妖怪に圧されているなど、理解したくなかったのだ。
「ぐぅ…っ」
「なんやねん。口ほどにもないわ」
(こんな子供に…)首無はこの子供を心底畏れた。
鯉伴が弱いのではない。子供が強すぎるのだ。首無など、加勢したところで赤子の手を捻るようにねじ伏せられるに決まっている。故に鯉伴を助けに行くこともできず、棒立ちでいるしかなかった。
「鯉伴様っ!」
「黒に青…それに雪女まで」
「どういうことだありゃあ!?」
唯ならぬ妖気に気づいた奴良組の者たちが、次々に集まって来ている。だが集まって来た者は皆、この戦闘状況に戦慄するのだ。
鯉伴は完全に防御に徹していた。子供の攻撃が速すぎて自分から仕掛ける暇さえ無いのだ。それに先程受けた傷も、彼の行動を鈍らせる原因となっている。
(こいつっ…本当にどこの者だ!?)
「考え事か…?えらい余裕あるやんけ」
「…ッハ…あんたがどこの者か…っ気になってな…」
「そんなにわいの素性が気になるんかい……腹立つわあんた」
急に子供の目つきが変わる。元々鋭い眼だったが、今度は更に怖くなり、怒りさえ芽生えているようだ。
「…あんたさえおらんかったら…」
「…?」
「わいはあんたが憎い…憎くてしゃあないんやッ!!」
「大将ッ!!」
子供は鯉伴の腹に蹴りを入れた。彼はそのまま成されるままに後ろに飛ばされ木に激突した。頭を打って、一瞬意識が遠のいた。
「簡単には殺さん。嬲って殺す」
「…っ…は、」
「………何でや」
「?」
「何で襲った」
誰のことを言っているのか分からず、鯉伴は木にもたれかかったまま、子供を見上げる。
「わいには主様しか居らんかったんや!!」
「がはっ!」
「あんたはわいの全部を奪った!!」
「起きろ!」と子供は鯉伴を蹴り上げる。促されるように鯉伴は必死に立ち上がろうとする。その姿が痛々しくて、皆は顔を背けた。助けに行くことさえできない自分を恥じながら。
「せやから、今度はわいがあんたの全部を奪う」
「……ぅ…」
「あんたはえらい慕われとうみたいやな。あんたを奪えば、皆悲しむ。仲間が悲しむんは嫌なんやろ?」
「っ!」
「可哀想になァ、こんな弱っちい大将なんか掲げて」
「テメェ…」
「何で怒るん?あんたはわいの全部を奪った。せやから今度はわいがあんたの全部を奪う。別にええやろ?わいはあんたに奪われてんから。わいはあんたにおんなしことしてもええやろ?」
子供のような理屈だ。それは違うと首無は、黒田坊は、青田坊は、雪女は、鯉伴は言いたかったが、圧倒的な実力差の今、そんなことを口にすることは許されない。
『奪う』…その言葉に、鯉伴は何故自分がこんな仕打ちを受けているのか必死に考えた。そして、ある出来事を思い出す。
「…お前っ…まさかあの組の…」
「…まあ、思い出したんなら上出来や。覚えとらんかったら、吊るし上げでもしようかと思とったからな」
さらりと吐く科白に鯉伴含む周りの者は顔を青くした。
「そうか…お前が…」
鯉伴は子供がどこの者か判明した途端、敵視を止めた。その視線に子供は疑問を持ちつつ、攻撃をやめない。
「り、鯉伴様…」
戸惑う部下たちも気にせずに、鯉伴は攻撃に甘んじた。その姿に子供はふと手を止めて後退する。表情は苛立ちに満ちていた。
「どういうつもりやねん」
「…」
「反撃せんのかい」
「…俺にその資格はない」
「、何やと」
「こういう日が来るんじゃねェかと、心のどこかで思ってた…」
「…やめろ」
「俺は非道なことをした」
「…煩い」
「だから、お前に何をされても俺は…」
「やかましいッ!」
刃を突き立てて一気に突っ込む。
刀が身体に入って行く感触。熱さ。血が流れる感覚。
子供の刀は、鯉伴の身体を貫いていた。
「大将ォッ!!」
「鯉伴様ッ!」
悲鳴に似た呼びかけに、鯉伴は手で「待て」と制す。
「…どういうつもりや。何で避けへん」
「お前こそ、何で…急所を、狙わねェ」
「はっ、わいはあんたが動かへんことが分かっとったからや。言うたやろ、嬲って殺すと」
「…成程」
鯉伴は吐血しながら納得する。それが気に食わないのか子供の妖気は上昇していった。
ふと、鯉伴は目元を和らげる。そして次の瞬間、驚くことに鯉伴は子供を抱きしめた。
「!? 何を…っ」
これには流石に動揺したのか、子供は身を固くした。
「な、何すんねん離せや!」
「…」
「離せ言うとるやろボケ!気持ち悪いねん!」
「…、悪かった」
「!」
「謝ってもお前の気持ちが晴れるわけじゃねェことは承知の上だ。でも俺は…お前に謝るしかねェ」
そのまま鯉伴は、綺麗な白髪に包まれた小さな頭を撫でる。動揺し切っているのか子供は抵抗することも忘れて、かたかたと震えていた。
「…何やお前…ほんま意味分からん。そう思うんなら返せ」
「悪い」
「返せよ!わいの大事なモン全部返せ!!」
ドンドンと鯉伴の胸を叩いて訴える子供。鯉伴はその行為を止めようともせず、ただただ、子供を抱きしめていた。
「わ、わい、は…」
「…おい?」
ふと彼の胸を叩くことをやめると、子供は急に力が抜けて鯉伴の胸に倒れ込んだ。突然のことに周りの者は動揺する。
鯉伴は子供の額に手を当てる。
「…酷い熱だ」
この小さな身体で、京から江戸までたった一人でやって来たのだ。そして先程の激しい戦闘。加えて極限状態の精神。身体にどれ程の負荷がかかったのかは計り知れない。
「青!こいつを屋敷まで運んでくれ!毛倡妓は湯を頼む!こいつ熱を出してる!」
「ちょ、ちょっと待ってください!この者は貴方に刃を向けた妖怪です!何故そのような…」
「良いから言うことをきけ!」
有無を言わさぬ声音に、皆は黙り込んだ。
そうして数十分後、鯉伴の命を狙った白い子供は、奴良組の布団の中ですやすやと深い眠りに落ちたのであった。