市夜が遠野にやって来て数日、イタクの機嫌が右肩下がりなのは、火を見るより明らかだった。そんな彼の機嫌に、彼とよく一緒にいる淡島や雨造たちは辟易していた。鍛錬などをしている時など、機嫌が悪ければ全く容赦ないのだ。これではこちらの命が幾らあっても足りない。
そこで淡島、雨造、土彦、冷麗、紫の五人はなんとかイタクの機嫌が良くなってもらおうと策を練っていた。
「だぁーっ!イタクの機嫌を良くする方法なんか分かんねーよ!」
一番初めに音を上げるのは淡島。
「そうねえ…食べ物でなんか釣れないし」
「コホコホ…あの布を被った妖怪をなんとかした方が、良いかも…ケホッ」
冷麗の言葉に助言を入れる座敷童の紫。彼女の一言に一同は(やっぱりそうなるかぁ…)と眉をハの字にした。
「それができりゃ苦労しねーよ」
「そうね…そういえばあの妖怪、名前はなんていうのかしら」
「確か…“市夜”とかいったっけなぁ」
雨造が冷麗の疑問に答える。
「市夜な…よし、俺、今夜市夜に会ってくるよ」
「淡島一人で?コホコホ」
「こうなりゃ直談判しかねェ!」
うおおおお!と雄叫びをあげて何故か燃え上がる淡島。そんな彼を見ながら今まで静観していた土彦は、そんな簡単にいくものなのかと、一人不安を抱いていた。
そんな彼を代弁するかの如く、紫はまた口を開く。
「でも淡島…市夜がどこに居るのか知ってるの?コホッ」
「…あ…」
「馬鹿だろ」
「うるせー土彦!!」
「…妖気を操るのが随分上手みたいね。全く探れないわ」
「冷麗でも、コホッ、探れないの?」
「難しいわ」
降り出しに戻る一同。せめて市夜が屋敷の近くに来てくれさえすれば、と淡い期待を寄せるが、それは虚しく散るものとなるのは分かり切っていた。
全員が暗い顔をしたその時「お前ら何やってんだ」と渦中にいるイタクが姿を現した。まさか「貴方の機嫌を取る為の作戦を練っていました」などと言えるわけもなく、乾いた笑みを浮かべて曖昧に返事をする。そんな彼らにイタクは眉根を寄せた。
「テメェら何企んでんだ」
「企んでなんかねェよ!お前失礼だな!」
「なあなあイタクー」
「…んだよ」
「オイラー、新しく入った市夜ってェ妖怪のこと知りてェんだよ。教えてくれよ」
「…市夜?」
そこでイタクは怪訝な顔をする。
「どうしたイタク?」
「…雨造、市夜って誰だ?」
ピシリ。皆は彼の一言に思わず石化してしまった。
(…こいつ、教育係のくせに相手の名前も知らないのか!?)只今、全員の心境が一致した。だがイタクは未だ彼らが石化した理由か分からず、不可解な表情をやめない。
「い、イタク…」
「あ?」
「よく聞いて頂戴ね?市夜っていうのは…赤河童様に刃を向けた、あの布を纏った子の名前よ。あなた、自分が教育する子の名前も知らないの?」
「…あいつの?」
その瞬間、一同は今度は別の意味で石化した。布を纏った妖怪だと分かった途端、イタクの空気が殺気立ったからだ。
「っち…嫌な奴思い出した」
どうやら関係は最悪のようだ。不用意にその存在を出さなければ良かったと、皆は今更後悔する。
「そ、そんなにお前ら仲悪かったのかよ」
「あ?」
「すみません」
ドスの効いた声に淡島は頭を下げて謝った。このままでは拙いと思い、冷麗は慌てて二人の間に入る。
「でもイタク、あなたはあの子の教育係なんでしょ?奴良組の二代目様にも『あいつを頼んだ』って言われていたじゃない」
「…、」
「赤河童様も、何の理由も無しにあの子をここに置くとは思えないわ。きっと何か理由があるのよ」
「理由があったとしてもあいつが赤河童様に刃を向けたことに変わりはねェ。それにあいつは、俺たち遠野を馬鹿にしやがった」
「でも…」
「くどい」
殺気を漏らしたままイタクはその場を去る。彼の苛立った後ろ姿に、淡島たちは冷や汗を流した。
「…駄目か」
「駄目みたいね」
その後、特に名案も浮かぶことなく、お開きとなった。
だが諦めきれない淡島は、夜、宣言通り市夜と会うことにした。だが妖力はさっぱり掴めないので紫の言う通り奴はどこにも居ない。それでも何か手がかりがある筈だと淡島はあちこちに移動する。
「市夜やーい」
ホーホーと鳥の鳴き声が返ってくる。
「ここには居ねェのかな…」
そうして諦めかけたその時、ふと馴染みのない妖気が接近したことに気づいた。
「市夜か!?」
応答は無い。だが近くに居る。それだけは分かった。
「…なあ、姿を現さなくても良いから、聞いてくれ」
妖気が動いた気配は無い。
「お前イタクと随分衝突があったみてェだな。あいつ荒れっぱなしだぜ。俺たちに当たり散らされて大変なんだよー…あ、俺は別にお前に説教にし来たんじゃないぜ?ただな、イタクともうちょい仲良くやってほしいっつーか…もうちょっと、俺たちを信用してくれても良いだろ?」
ホー…と鳥の鳴き声は途絶えた。木々が風に揺れて、泣いているように声を洩らした。
「…じゃ、俺行くな」
結局返答を待たずに、淡島は踵を返した。自分の気持ちが市夜に響いたのかは、不明だ。