ざわざわと森が揺れる中、市夜は小川付近に腰を下ろした。
最近奴らに会っていない。あれ程煩かった黒髪の少年も、ここ数日ピタリと自分の元へ来るのをやめてしまった。どういう風の吹き回しかと疑念を抱いたが、清々したので今更彼らの許へ行こうとは思わない。
「…腹、減った」
きゅう、と小さな音を鳴らした自分の腹を摩りながら、市夜は食料調達の為立ち上がった。その辺りの食べられる物を探るのは、京から江戸へ行く中で何度か経験があるのでそんなに苦労は無い。
近場に甘酸っぱい赤い実があるので、そこまで取りに行く。ここは誰にも荒らされていないらしく、市夜だけの秘密の食料庫だ。
「…ん?」
「………キュ」
実を摘んでいた最中、茶色の生き物が視界を横切った。
「…イタチゆう奴か」
「キュ」
そのイタチは市夜を凝視したまま動かない。まるで市夜の言葉を理解しているかのように、鳴くだけだ。
「ふん、今日の夕餉や」
「キュ!?」
「あっ、逃げんな!」
とんでもない言葉が飛び出た瞬間、イタチはすごい勢いで走り出した。だが市夜はそれにすぐさま反応し、イタチの胴を鷲掴んだ。
「キューキュー!!」
「やかましいねんハゲが!冗談や!」
「…キュゥ」
市夜にその気が無いと知ると、イタチは渋々という感じに落ち着きを取り戻した。このまま握っていても仕方がないので市夜はイタチを手放す。
「さっさと家帰れ」
「……」
「……、」
「……」
「…なんやねんお前」
去る気配が無いイタチに、市夜は溜息をついた。しょうがないのでもう何も突っ込まないことにした。イタチのつぶらな瞳がどうも嫌なので、市夜は一方的な会話をすることに決める。
「やっぱわい、あン時あいつ殺しときゃ良かったって思うわ」
「…!」
「二代目の奴…あんな綺麗事言いやがって…わいは必死こいて命乞いするあいつの首を取りたかったんや」
そう忌々しく言い、市夜は布をずらして赤い実を口に放り込む。甘くて少しきつめの酸っぱさが、口内に沁みた。
「…ん、」
「! キュ…」
物欲しそうな目をしていたので、市夜はイタチに実を差し出す。イタチは市夜と実を交互に見やり、戸惑いながらも実を齧った。
その姿をぼんやり見ながら、市夜は少し違和感を覚える。
「…なんかお前、妖気感じるな」
「キュ…」
「まあ動物やからしゃあないか…」
元来動物は、人間よりも霊魂の類と近しい存在だ。妖気があったとしても不思議ではない。
不意にぶるりと身体が震えた。そろそろ気温がぐっと低くなる頃合いだということに気づく。市夜は更に布を首元に巻きつけた。この時間帯は野生動物も現れる。こんな小さなイタチなど、すぐに喰われてしまうだろう。故に市夜は、イタチにしっしっと手を振った。
「そろそろ帰りィ」
「キュゥ」
「なんやねん、あんたも帰る場所が無いんか」
「…キ」
「…わいも無いわ、そんな場所」
それきり、市夜は口を閉ざした。
それからというもの、イタチは毎晩市夜の許に訪れるようになった。
初めは邪険にしていた市夜だったが、あまりのイタチのしつこさにとうとう何も愚痴を言わなくなった。
「ここは暗いなあ」
「キュ」
「あんた、ほんまにどこから来てん。家近いん?」
答えなど返ってこないが、市夜は気にせず話しかける。
いつしか、毎晩イタチと語らうというそれが、日課となっていた。
「…はあ」
「キュ?」
ふと立ち上がり市夜は小川に近づく。すると市夜は、今まで取ることのなかった布を自ら取った。
髪がぐしゃぐしゃになっていたので、頭をブンブンと振る。そして乱暴に水を顔や頭にかけた。
「…ん?」
「キゥ」
いつの間に近づいていたのか、隣に居たイタチが自分をじっと見つめている。
「何や」
「…」
市夜の声にハッとしたイタチは、慌ててそっぽを向いた。おかしな反応に市夜は訝しんだが、動物のすることなど理解の外なので特に何もしなかった。
そのままパシャパシャと冷水で顔を洗って動物のように顔を振って水滴を払った。水滴が飛んできたのか、イタチが不機嫌そうに耳の辺りを触った。それを一瞥し、冷水が思いの外気持ち良かったので前髪を掻き上げた。
外気が顔にまだあった水滴とぶつかって冷たく感じる。心地良い冷たさに息を吐いた。
「…キ」
「…あ、」
息を吐いた時、何を思ったのかイタチは急に走り出した。「どこ行くん!」と声を張り上げたが、イタチは聞く耳を持たず暗闇の中へ消えて行った。
「なんやねん、あいつ…」
取り残された市夜は、視線を小川に移して、そう一人でごちた。