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「みんなーーっ!! 無事かーーっ!!」


 開かれた門の奥から現れたのは、バルゴが教えてくれた通りナツとグレイの両名だった。しかし、ナツは元気の良い発声とは裏腹にどうしてか雪だるまのような分厚い氷を纏っているし、グレイの方はぐったりとしてされるがままにナツに運ばれている。
 見慣れてきたはずの二人が、見慣れない姿となってしまっていることがひどく脳を揺さぶり、肺が凍りつくような感覚がした。再び会えたことを喜べば良いのか、ぼろぼろの状態に悲しめば良いのか。感情が上手く追いつかなくて、とりあえず二人へと引き寄せられるように駆け寄った。


「えばっ」
「!? ナツ……っ!」


 ナツが何もないところで躓いたのは、ちょうどその時である。運動神経が異常に優れている彼にしては珍しいことだった。体を覆う氷が邪魔をして、バランスを崩しやすいのかもしれない。
 考えるよりも先に走る速度を上げ、咄嗟に手を伸ばす。前方に倒れていくナツを抱きとめようとイメージして──当たり前に支えきれず、三人で地面に倒れ込んだ。青年二人の重みに、うっ、と反射的に声がもれる。


「やべっ、平気かルーシィ!?」
「姫! ご無事ですか!」
「ルーシィ、大丈夫!? ナツ、早く退かないとルーシィぺちゃんこになっちゃうよ」
「な、ならないよ……だいじょうぶ……」


 頭は打たないように気をつけたが、お尻と背中の辺りで鈍痛がする。あと、圧迫感がすごい。あたふたするバルゴとハッピーが近づいてくる気配がして。それから、ふと瞼越しに感じる影が薄くなったような気がした。痛みを堪えながらも、薄らと目を開く。
 そこには夜空を背景にしたナツがいた。近いな。と、まずはそれだけを漠然と認識する。しかし、上体を起こしてくれたのか、先程まで襲われていた圧迫感はほとんどない。近くとも、焦点が合う距離ではっきりと像が結ばれて、白昼夢が現実へと移り変わってゆく。

 ああ、綺麗な桜色の髪がいつもより少し乱れている。細かい傷もある。顔色は……薄暗くてあまり正確には測れないけれど、重傷ではなさそうだ。ほっとして、力の抜けた笑みが自然と浮かぶ。
 月の光が差し込む頬へと手を伸ばしたのは、たぶん無意識だった。労わるように、存在を確かめるように、やさしく撫ぜる。


「無事でよかった……」
「…………」
「ナツ?」


 黒い瞳が面食らったように一瞬だけ丸くなり、言葉もなく、ただじっとこちらを見下ろしている。どこか痛むのだろうか。まさか、見えないところに大きな怪我が……? 気にかかり、問いかけようとした刹那。
 きゅっ、と。熱の篭った手のひらが、彼の頬に触れていた私の手を外側から包み込んだ。人よりもずっと高い体温。じわじわと冷えた指先が温まっていく。熱を奪ってもなお暖かなそれは、彼が生きていることを顕著に知らせてくれた。
 時間にしてみればそれほど長い間離れていたわけではないのに、なんだか懐かしく思える温度だった。既視感のある真剣な眼差しと状況も相俟って、数日前の自宅でのやりとりを思い出す。唐突にS級の依頼書を見せられて、狼狽したあの日だ。


「──約束したろ」
「!」
「死なねーって約束。ちゃんと守ったろ」
「……うん」


 港でした約束のことだ、とすぐにわかった。
 あの日、ギルドのルールを破ることも、危険も承知の上でS級に挑むのだというナツたちを必死の想いで引き留めた。でも、結局は届かなくて。無力な自分が腹立たしくて、もっと何かできたのではないかと後悔して。裏切られたような気分になって、勝手に傷ついた。
 けれど、その苦い思い出が港の約束に繋がっていて、今度は私の言葉を受け流すのではなく、耳を傾け、真摯に応えようとしてくれているのだと伝わってきた。少なくとも、彼は約束を忘れていない。あの日の自分がちょっとだけ報われた気がする。


「つっても、オレはいいけど、グレイがよかねえんだよな」


 ぱっと真面目な雰囲気を霧散させたナツが不満げに眉を寄せ、ぐいっと握ったままの手を引く。いとも簡単に抱き起こされ、目を白黒させる。しかし、急激に変わった視界に戸惑ったのは数秒で、ややぶっきらぼうに「グレイはダウンだ」と背後を振り返る彼に衝撃を受け、慌ててグレイの様子を窺う。
 グレイの存在を忘れていたわけでも、蔑ろにしたつもりもないのだが、固い地面に放置してしまっていた自覚はあった。視界の隅でバルゴとハッピーが何やらごにょごにょと囁き合っているのも今は気にしていられない。
 グレイは仰向けに倒れたまま微動だにしなかった。そばに膝をつき、顔を覗き込んでも目を覚ます様子がない。そもそも、ナツが転けた際に受け身も取れずに地面に叩きつけられたのなら、その時に意識を取り戻していてもおかしくないのだ。そうならないということは、おそらく重体なのだろう。


「グレイ……」


 震える声で呟いた名に、やはり返事はなかった。普通に生きていれば、前の世界なら、ここまでの大怪我なんて無縁だろうに。以前、エリゴールと戦ったナツも満身創痍だったが、今のグレイはそれ以上に血みどろだ。
 赤黒く染まった顔を見ていると、ひどく喉がひりつく。硬く瞼を閉ざし、ぴくりとも動かない様は嫌でも死を連想させた。

 大丈夫、落ち着け。呼吸はまだある。
 口元に翳した手は、微かな空気の揺れを感じ取った。手当てをして安静に過ごせば、きっと助かるはずだ。

 ひとまずは安堵して、顔を隠す前髪にそっと触れる。すくように撫で横へずらすと、真新しい額の傷が見えた。幸い、血は止まっているみたいだが、見た目が酷い。黒髪だから血の色は目立たないとはいえ、乾いた血がこびりつく独特の感触は温まった指先から再び熱を奪っていくようだった。
 こんな大怪我をするまでぶつかり合うなんて……。状況的に相手はリオンと呼ばれていたあの零帝だろうか。だとしたら、一体そこにどんな関係があって、己の知人を傷つけるような悲惨な結果になってしまうのか。


「あの仮面がグレイをこんなにしたの?」
「ああ、たぶんな」
「たぶん?」
「オレはグレイに蹴られて山から転がり落ちてたんだよ。その間のことは知らねえ。戻った時にはコイツしかいなかったしな」


 ハッピーとナツの何気ない会話にやはりそうかと考えを深め、はたと固まる。
 転がり落ちた?
 思わず復唱し、グレイに向けていた視線をナツへと移す。なんてことないような口調だったが、無視するのが難しいほどの爆弾発言だった。

 当の本人はこちらに気づくなり、きょとりと不思議そうに瞬いていた。なんだ? と言わんばかりの表情が一拍置いて、納得したように変化する。すっ、と彼が自身の胴体を指差した。「氷のせいで動きづれえし、丸いからなかなか止まんなくてよ」と。
 違う、そうじゃない。でも、骨折とかしなくてよかった。相変わらずタフな人だ……。


「つーか、あれ!? 氷が割れてる! 火でもダメだったのに!」
「おそらく術者との距離が離れたため、魔法の効果が弱まったのだと」
「おっしゃ」


 バルゴの指摘を受け、ナツはひょいと身軽な動きで立ち上がった。開放感を堪能するように生き生きと伸びをしている彼を見守りながら、密かに疑問を抱く。
 言われてみれば、いつの間に氷が消えていたのだろうか。村に入って来た時には確かにあったはずだ。転けた瞬間も、まだ残っていた気がする。地面に倒れた後は……すでになかったような……? というか、よくよく考えたら、もし倒れた時にも氷があったなら、圧迫感どころではなく圧死もあり得たかもしれないな……危なかった……。


「そりゃそうと、あいつらまだ来てねえのか?」
「来てないよ。バルゴに索敵をお願いしてたけど、それらしき気配はないみたい」
「おっかしいなァ……。一回、山に登ったり走りづらかったりで、けっこう時間くったと思ったんだけどな」
「ナツたちより遅いなんて、なんか変だよ」
「迷ったか。哀れな奴らめ」
「どうだろう……。遺跡の頂上からは村の明かりが見えてたし、余程の方向音痴じゃない限りは辿り着くと思うけど……」


 しかし、迷ってないと仮定すると、では何故この村に現れないのかという話になる。あの人たちは今どこにいるのだろうか。零帝に付き従っている様子を見るに、彼の命令に背くとは思い難いが……。
 不可解な出来事に三人で首を捻った直後だった。


「な……なんだ、アレは!!?」


 村人の一人が突如として素っ頓狂な声を上げたのは。
 未だ紫の月が輝く夜空を見上げ、彼は当惑した様子でゆっくりと腕を持ち上げてゆく。驚愕に満ちた顔に、なんだなんだとその場にいた全員が天を仰いだ。

 そうして、なんとなしに目で追いかけた指が示す先。
 果たして、その空にはいつか見た巨大なネズミが浮かんでいた。いや、飛んでいた。

 まさか、そんな光景が待ち受けているとはつゆ知らず。身構えていなかった心は、えっ、とあり得ない現象を前にしばし膠着した。実際、声にももれていたかもしれない。
 誰か、卒倒しなかっただけ偉いと褒めてくれ……。


♦︎


「ネズミが飛んでる!!」
「何だ、あのバケツは!?」
「毒毒ゼリーの準備に時間がかかってしまいましたわ……」
「しかし、ちょうどよかった。例の魔導士どもも村に集まってる」
「おおーん」
「デリオラを滅ぼさないかぎり、私たちの望みは達せられないのです。邪魔する者には“死”あるのみですわ」
「(……あれ、何を運んでるんだろう……?)」
結んで違えず