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 がさがさと草木を踏み分け、木の根を飛び越えて、およそ走るに向かないと言われるであろう森の中を一人と一匹で駆け抜ける。その足取りは、数分前まで右往左往していたことが嘘のように迷いがなかった。
 やがて似たような景色が終わりを告げ、樹々の隙間から一つの建造物が確認できた。薄暗くて全貌ははっきりとわからないが、相当な大きさがありそうだ。中からの明かりが洋館らしき建物の外壁を薄らと照らし、古びた印象を受ける。随分と使われていないのだろうか。
 何はともあれ、絶対に白雪はここにいる。その確信を後押しするように、先頭を走ってくれていた先程の犬、もといシロが建物を見上げて「わん!」と声をあげた。


「誰か住んでるのかな……やっぱり廃墟? シロはどう思う?」
「くう……、わふ」
「そうだよね、わからないよね。それよりこれ、どこから入ればいいんだろう」


 早速家の中に入れる場所を探してみるけれど、どの窓にも獣避けと思わしき格子がしっかりと嵌っていて侵入は果たせそうもない。これでは中からの脱出も難しいだろう。
 白雪の身を案じふうと息を吐き出した時、目の前に大きな扉が現れた。古びているとはいえ、立派なそれにダメ元で近づいて手をかけてみる。が、やはりと言うべきか。鍵がかかっており、ガチャガチャと虚しく音が響くだけで肝心の扉は全く開く気配がない。


「蹴破る、のは無理だよね……」
「くぅん」
「わかってる、さすがにやらないよ」


 足元にいるシロが心配そうにこちらを見上げるのを見て苦笑を返す。そもそも、そんなことできない。
 仕方がないので扉から離れてまた歩き出す。すぐ近くに白雪がいることはわかっているというのに、手を伸ばしてもまだ届かない距離が酷くもどかしい。ぐっと手を握りしめてなんとなしに上を見上げる。そして、ふと、それに気がついた。
 格子のない窓の存在に。

 突然の侵入経路の出現に思わずあっと声が出そうになったのは、やっと見つけたという歓喜ではなく、何故今まで気づかなかったのだろうという呆れからだった。一階の窓の全てにあった格子が獣避けなのだから、二階にはそれが存在しないのは当然のことである。
 二階からの侵入は無理だという勝手な先入観から一階をくまなく探していたけれど、こんな簡単なところに答えがあったとはまさに盲点。

 頭を抱えたくなる衝動を抑え、窓から入るための唯一の方法である木登りをしようと木に触れると、不意にくいくいと何かに引っ張られて動きを止めた。振り返ると、引き止めるように服の裾を咥えていたシロが、私と目が合うなり「わふ!」と一声鳴いて走り去ってしまう。
 その姿に突然なんだと不思議に思いはしたものの、『ついて来い』という意図は瞬時に理解して疑うことはせずに彼の小さな背を追った。


♦︎


 一方、アリスの捜し人である鮮やかな赤髪を持つ少女──白雪はその髪を揺らし必死に出口を探していた。
 薬草採集をしていた彼女の前に、突然正体不明の大変怪しい男が現れて。そこから先の記憶が朧げだが、次に気がついた時にはすでにこの場所に捕らえられており、自分は人攫いにあったのだと思い至った。

 どうにか牢屋から抜け出したものの、懲りずに自分を追ってくる男はなんと赤髪に目をつけて『貴族に献上する』などと宣ったのだ。白雪は呆れ果てていた。そんなやつに捕まってたまるかと気持ちを新たにすると同時、アリスは大丈夫だろうかと今はそばに居ない親友を想う。
 自分の赤髪と負けず劣らず目を惹く要素である瞳を持つ彼女は、案の定あの男に狙われているようだったからとても心配だ。「一緒にいた眼帯は噂の『異色』か?」と聞かれた時はぞっと肝が冷えたものである。もちろん黙りを決め込んだのだが。

 しかし、あの男からはアリスを捕まえたという話は聞いていない。そもそも、自分と同じようにすでに攫っていたのなら、そんな質問しなくていいはずだ。
 もしかしたら、というより絶対に彼女はまだ森にいると白雪は確信していた。自分を残して一人で帰るなんてことをアリスがするはずがない。そう確信できてしまうからこそ、白雪は尚の事心配だった。

 私の不注意で暗い森に一人で残してしまうなんて……。

 後悔と焦燥からぐっと手を握りしめ、廊下の角を曲がったところで白雪はその勢いを止める。


「っ、行き止まり……」


 慌てて窓に駆け寄ってバンバン! と叩いてみたり、格子を掴んで力を込めてみたり、思いつく限りの方法を試すが、どれも無駄に終わった。やはり格子の嵌った窓からの脱出はできそうもない。
 がくり、項垂れた白雪の耳にコツコツとこちらに向かって来る足音が聞こえ、さらに彼女は身を縮こまらせる。

 このままではまた捕まってしまう……!

 目の前の格子を掴む手にぎゅうと力を込めた。心細さからか、ふと思い浮かべた二人の人物の名前を縋るように呟いてしまう。
 一人は己の親友のもの。そしてもう一人は、つい先日知り合った一国の王子のものであった。
 無論、そんな呼び声は届くはずがなかったのだが、しかし奇しくも明瞭に応えた声がひとつ。


──わん!


 はっと顔を上げて窓の外を窺う。
 人間のものではない。明らかな動物の声。通常であれば、ただの犬の鳴き声と絶望するシーンであったが、白雪は違った。彼女は、それに確かな希望を見出したのだ。
 “動物”という存在を思い浮かべた時、必然的に連想される人物が一人いた。昔から動物と語らうことに長けている己が親友である。その姿が脳裏を過ぎって、もしかして、と願いに等しい予想を立てた白雪の耳に聞き馴染んだ声が届いた。


「──白雪!」
「アリス……っ!」


 やっぱり、と白雪は表情を明るくさせる。声と共に格子の向こう側に見慣れたアリスの姿が現れて、ほっと安堵した途端に力が抜けてしまった。外に出られないという状況は依然変わらないのに、すでに救われた心地がする。
 まさか、あの小さな呼び声に応えてくれるだなんて、誰が想像できただろう。震える手をガラスのない格子の隙間から差し伸ばすと、その手を躊躇いもなくアリスが握ってくれた。


「白雪っ、よかった見つかって……!」
「アリス、わ、私……っ」
「……うん、話は後で聞くよ。今はとにかくここから出ないと。一階は出られそうになかったから、二階からになると思うけど行けそう?」
「二階……わかった。けど、」


 いま追い詰められてて。
 こちらに向かってくる足音がさらに大きくなって、咄嗟にその言葉を呑み込んだ。本当に件の男はすぐそこにいるようだ。目の前のアリスも事態の緊急性を察したのか、はっと目を見開いた。それから数秒思案して、がばっと鞄から一掴みで取り出した何かをそのまま白雪に手渡す。
「これ使ってなんとか凌いで……!」という台詞と共に渡されたのは、アリスが今日の採集で見つけた薬草の一つだった。受け取った瞬間にその使い道を弾き出した白雪は、覚悟を決めたように力強く頷く。


「アリスは先に行ってて。すぐにここから抜け出すから」
「わかった。待ってるね」
「うん、アリス。ありが──」
「それは後で聞く」


 ぴしゃりと言葉を遮ったアリスは一緒にいた犬を伴い、身を隠すようにそそくさとその場から離れていく。見通しの良いとは言えない窓からはあっという間に彼女たちの姿は見えなくなった。
 そういえば、あの犬どこの子だろう?
 一瞬、ぽかんとした白雪も次の瞬間にはくすりと笑みをこぼす。彼女と再会する前までの余裕のない自分とはまるで大違いだ。あまり時間もないので、すぐに表情は引き締めたが。


「よお赤髪、また会ったな」
「……」


 アリスがくれたチャンス、無駄にはしない。
 軽薄な笑みを睨み付けるようにして見据える。それでも構わずこちらに近づいてくる男に、すうっと息を目一杯吸ってから一思いに細工済みのカンテラを振るった。
 絶対、諦めたりしない。うまく切り抜けて見せるよ。


──だって、私は“後で”アリスにお礼を言わないといけないんだから。


 がちゃん! と壁に当たって勢いよく割れたガラスから、もくもくと煙が溢れ出る。廊下に立ち込めるその有害な靄の奥に、男の驚いた表情を確かに見た。
赤と金の反逆