小さな約束
走り続けて数時間が経過した、と思う。時計を持っていないから正確な時間がわからなかった。ただ身体に重くのしかかるような疲労となんとなくの感覚で、かなりの距離を進んだような気がするけれど、目的地には一向に辿り着く様子はなくて。相変わらず薄暗い地下道には、受験者達の走る音だけが響いていた。一体どこまで続くのだろうか。目的地が見えないどころか地上の光さえ見えなくて、体力よりも先に気力が底を突きそうだった。
隣では、キルアとゴンくんが賑やかに会話をしては楽しそうに笑い合っていた。疲労を一切感じていないのか、二人ともまだまだ余裕そうで。おそらく、声だけ聞いていたら彼らが走っているだなんて誰も想像しないだろう。そう思うほどに、声も表情も試験とは不釣り合いで、ある種の感心を抱く。それからふと、今までそばにいたはずのレオリオさんの姿が見えないことに気づいた。あれ、と辺りに視線を走らせて彼の名前を呟くと、それを拾ったゴンくんがはっと振り返った。
「レオリオ、大丈夫?」
私達のすぐ後ろで息を切らしながらも、ゴンくんの問いに彼はぐっと親指を立てて大丈夫だと合図を返してきた。けれど、あまり大丈夫そうには見えない。やがて危惧した通りに徐々に速度が落ちて距離ができると、彼は遂に立ち止まってしまった。それを見て思わず足を止めると、私とほぼ同時にゴンくんも踏み留まり、その僅か先でつられるようにキルアも振り返った。
「レオリオ!」
「ほっとけよ。遊びじゃないんだぜ、ゴン」
「レオリオさん、」
「お前もかよ……。二人とも早くしないと遅れるぜ?」
呆れたようにぼやいたキルアは、そうは言っているもののその場から動こうとはしない。レオリオさんを心配しているのか、はたまた遅れても追いつける自信があるのか。彼の様子を見るに、後者の意の方が強いのかもしれない。
膝に手を当てて呼吸を整えていたレオリオさんが、ぼそりと何かを呟いた。普段だったら聞こえていただろうけれど、吐息混じりだったせいか上手く聞き取れなくて。反射的に耳を澄ませて聞き取ろうとした刹那、「絶対にハンターになったるんじゃあアァァ!!」と自棄になったような雄叫びが地下道に響き渡った。そのまま言葉通りに全力で走り出した彼が勢いよく私たちを追い抜いて、あろうことかだんだんと背中が遠くなっていく。
火事場の馬鹿力というものだろうか。あまりの速さに少しだけ巻き起こった風に髪がさらわれるのを視界に捉えながら、呆然と彼を見送る。キルアも呆気にとられたような表情だったけれど、対してゴンくんは心底嬉しそうに笑っていた。遅れて自分達も走り出そうとして、はたと気づく。レオリオさん、さっき鞄を持っていなかったような……?
慌てて振り返ると、案の定ぽつんと彼の鞄が取り残されていた。そんな無造作に置いて行かなくても。すでに遠く離れてしまった彼を引き止める術もないので取りに戻ろうとすると、隣にいたゴンくんがそっと手で制止してきた。驚いて自然と彼に視線を向ける。次の瞬間、ニッと得意げに笑ったゴンくんが「オレに任せて」と慣れたように釣り竿を振るった。何故に釣竿、そう思った頃には彼の放ったそれが見事にレオリオさんの鞄を捕まえ、こちらに引き寄せていた。
「す、すごい……」
「かっこいいー!」
思わず感嘆の声を漏らす私達に、ゴンくんはえへへと照れ臭そうに微笑む。「後でオレにもやらせてよ」「スケボー貸してくれたらね」なんて、すんなり約束を取り付ける彼らはまるで昔からの友達のようだった。お互いに自己紹介しているところを見たのだから、出会って数時間だというのは間違い無いはずなのに。きっと、それほどに気が合うのだろうな、と思う。
「ねえ、ミリアはスケボー乗れる?」
「え? スケボー? 乗れないです……というか、乗ったこともなくて」
「へー、ってことはお前ら二人とも乗れないってことか。オレは結構小さい頃から乗ってたからなー」
「じゃあさ、キルアはオレ達にスケボー教えてよ。 オレは二人に釣り教えてあげるから!」
名案だ、と言わんばかりの輝く笑顔を見せるゴンくんに、思わず目を瞬かせた。いつの間にか、私まで約束の中に組み込まれている。もちろん嫌というわけではないのだけれど、スケボーも釣りも正直どちらも自信がなくて。そもそも、二人が私を頭数に入れてくれることを全く予想していなかったから、余計に戸惑う。おろおろと二人の顔を交互に見る私に、キルアはにやりと口の端を吊り上げた。
「別にいいけど。ゴンはともかく、ミリアは運動音痴そう」
「うっ」
さらりと放たれたその言葉は、的確に痛いところを突いていて。ぐっと否定できずにいると、からからとキルアが笑い、それにつられてゴンくんまで笑い出すものだから、私はただ縮こまるしかなかった。ここに来るまでに聞いてきた嘲笑とは違う、どこか暖かさを纏った音が鼓膜を震わせる。なんだか不思議な気分だった。誰かとの約束の中に自分がいることも。当たり前のように自分を含めてくれた誰かがいることも。そうして、試験の最中にも関わらず、嬉しいとさえ思った自分がいたことが。不思議で、不思議で、しょうがなかった。