動きだす歯車



「おいガキ汚ねーぞ! そりゃ反則じゃねーか、オイ!!」


そんな声が響いたのは、首を傾げてからすぐのことだった。いきなりの大きな音に条件反射で肩が跳ねる。ばくばくと無駄に速まる鼓動を落ち着けようとする私に対して、キルアは特に気にした様子もなく、そちらに顔を向けた。


「え? なんで?」
「なんでって、これは持久力のテストなんだぞ! スケボーなんて反則だろ!」


心底不思議そうに問いかけると、彼の向こう側で黒いスーツを着た男性がキッと目を吊り上げた。どうやら怒鳴り声の主はこの人のようだ。私もつい先程、自力で走らなくて済むスケボーを羨ましいと思ったばかりだけれど、まさか誰かの反感を買ってしまうだなんて予想していなかった。このまま諍いにでも発展してしまったらどうしようと心配になった時、「違うよ」と高めの少年の声が迷いなく否定を示した。


「試験官の人はついて来いって言っただけだもん」
「おい、てめっ、ゴン! どっちの味方だ、テメーはよォ!」
「だって本当のことだよ」
「なんだとぉ!?」
「怒鳴るな、レオリオ。体力を消耗するぞ。何よりまず煩い」


訂正されたことにより、くわっと勢いよく男性の標的がキルアから緑色の少年へと移る。たった今否定してくれた男の子だ。彼が変わらずまっすぐな声で繰り返したことに納得がいかなかったのか、今度は金色の綺麗な髪を持つ青年に凛とした声で遮られている。声質も見た目もかなり中性的だけれど、おそらくは男性であっているはずだ。


「テストは原則として持ち込み自由なのだよ。試験官が反則を指定していないのだから、それは反則にはならない」


説明するように付け足されたその言葉に、ついに男性はぐっと押し黙った。同時に私も、なるほどと納得する。確かに言われてみれば、サトツさんは禁止事項を一つも提示していなかった。最初に少年が言った通り、ついて来いと指示をしただけだ。つまりは、例え何をしたとしても彼の提示したたった一つのことをこなしてさえいれば、後はどうしたって構わないということだろう。なんだか不穏な響きだ。嫌な予感を覚えて今から恐怖していると、ふいに横にいたキルアが速度を上げた。


「ねえ、君。年いくつ?」
「え、オレ? もうすぐ十二歳!」


キルアの問いに一瞬だけきょとりとして、すぐに少年が底抜けに明るい声で答えた。同い年だと思ったのは、たぶんキルアも一緒だったはずだ。へえ、と小さく呟いたキルアが何故かちらりと私を見たかと思えば、次の瞬間には彼が使っていたスケボーがガタッと音を立てて宙に浮いていて。思わずぎょっとする。「やっぱオレも走ろっと」そんな何気ない一言を添えて、身軽な身のこなしで着地してみせたキルアに、「わーかっこいい!」と目を輝かせた少年から称賛の声があがった。一度手放されたはずのスケボーは難なくキルアの腕の中だ。


「オレ、キルア」
「オレはゴン!」
「オッサンは?」
「オッサ……っ!? オレはまだお前らと同じ十代だ!」
「「ウソォー!!?」」
「あーっ! ゴンまで……! ひっでーもう絶交な!」


キルアとゴンくんの声が綺麗に重なった。私もつい目を丸くしてしまう。もちろん二人の声がぴたりと合ったことではなくて、目の前の男性が十代だという事実にだ。年よりもずっと大人びて見えるから、勝手に二十歳は超えているかと思ってしまった。二人に憤慨して言い合いを始める男性を見るに、どうやら私の心の内まではバレていないようだったから、人知れず安堵する。

それからふと、金髪の青年が私達から離れて行くのが見えた。綺麗なその髪と、どこかの民族衣装のような独特の服が風に煽られていく。どこまで走るのかわからないこの状況でペースを上げられるなんてすごいなあ、とぼんやり背中を見送っていたら、突然視界が銀色に染まった。


「ーーっおい! 無視すんな!」
「わ……!?」


キルアの若干苛ついた声にはっと我に帰る。彼の青い瞳に間抜けな表情の自分が映っていたのが一瞬だけ見えて、ひやりとした。いつの間にこちらに戻ってきていたのだろうか。そこまで思考を飛ばしていたつもりはなかったのだけれど、全然気づかなかった。慌てて謝ると、覗き込んでいたキルアが身を引いて、奥にいたゴンくんとぱちりと目が合う。彼がにこりと、人に好かれそうな笑顔を浮かべてくれた。


「さっき聞いてたかもしれないけど、オレはゴン! 君の名前は?」
「ミリア、です」
「そっか! よろしく、ミリア!」
「よ、よろしくお願いします……」


ゴンくん、と小さく呟いたのは、キルアの時ように勝手に呼び捨てるのは良くないと意識したからだった。自分がされるのは全く構わないけれど、するとなると話が違ってくる。あの時は勢いで呼んでしまったし、そもそもが深く考えていなかったせいで。だから今度こそは、きちんとしなければ。そう意気込んでいた私を、呼ばれた当人は不思議そうな顔で見ていて。こちらが首を傾げそうになる。なんだろうか、その視線は。結局何も言われないから、大した疑問でもなかったのかもしれない。


「なあ、お前もこいつらと同い年か?」
「え? あ、そうです……」
「ほォー、そいつはすげぇな」


別方向から声をかけられてそちらを向くと、先程まで怒っていたはずの男性がいた。至って正常な、穏やかで低い声が素直な感心を纏う。いつの間にやら怒りは緩和されていたようだった。「あ、オレはレオリオな」と、思い出したように付け足された言葉に、こちらも返しながらぺこりとお辞儀をすると、にんまりと彼が口元を緩めた。


「ホレ、君達。少しはミリアの礼儀正しさを見習うべきではないかね?」


にまにまと顔を緩めて、ゴンくんとキルアへ視線を向けた彼に、キルアの表情が不快そうに歪められた。


「はあ? いきなりなんだよ。つか、そのキャラなに」
「変だよ、レオリオ」
「だーっ! お前らなあ……! ホント、失礼なヤツらだぜ! 人のことオッサン呼ばわりしたこと許してねーからなっ!!」


二人に軽くあしらわれた彼が悔しげに叫ぶ。けれども、キルアもゴンくんもどこ吹く風だ。三人とも試験の真っ只中ということを忘れているのではないかと思うほど、愉快かつ賑やかだった。緊張とは無縁の、どこか自分を貫くようなその空気感に、ともすると私も流されてしまいそうで。最初に諍いへの発展を心配していた者とは思えない心持ちが少しだけおかしくて、ふふと小さく笑ってしまった。