運命の採択者



途端にチリンチリンと涼やかなベルの音が鳴り響く。同時にふわりと存在を主張するかの如く漂うのは、先程まで目印にしていたあの甘い匂いと、ほっと疲れが和らぐような淹れたてのコーヒーの香りだった。

落ち着いた色味のアンティーク家具で揃えられた室内は照明もやや暗く、カフェと呼称するよりも喫茶店という言葉の方がイメージに合っていた。気後れしていたものの、中に数名利用客がいることからどうやら普通の店らしい。安堵して肩から力が抜けた時、ふとカウンターの奥で作業していた店員と目が合った。一拍置いた後に優しげな笑みを向けられる。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


男性らしく低い響きを持った声は温和な印象を抱かせる。そんな彼にそっと会釈を返して端の方にあった一人席へと移動した。他の客とも距離があるし、なんとなく落ち着ける。備え付けられた小さめのメニュー表を眺めていると、先程の男性が水の入ったグラスと手拭きを運んで来てくれたので小さくお礼を伝える。また優しく微笑んだ彼は一礼し「注文がお決まりになりましたらお呼びください」とそのまま離れて行こうとするので、綺麗な所作だと見惚れていた私ははっと我に返り慌ててその背を呼び止めた。

さっと素早く手元のメニュー表に目を走らせ、気になっていた品の中から飲み物とケーキが一緒になったセットを注文する。きょとりと不思議そうに振り返っていた彼は、私の少し焦っているその様子を見てからくすりと笑み、もう一度綺麗に腰を折った。


「かしこまりました。少々お待ちください」


厨房らしき奥の部屋へと入って行く姿を見送り、恥ずかしさからそっと顔を手で覆った。食い意地が張っているとでも思われただろうか。確かにお腹が空いているのは否定しようもない事実だけれど、そんなことは大した行動理由ではないのに。ただ、後で注文を頼むとなると店員を呼ばないといけなくなる。そのためには呼び鈴なるものが存在しないこの場所では、呼びかける他に手立てがなくて。

静かな大人びた空気が流れる中で、そんな調和を破り自分の声を発せるほどの勇気を私は持ち合わせていなかった。情けないし、幼稚過ぎる理由かもしれないが仕方がない。利用客の中に子供は見当たらないし、女性の姿すらもないのだから自分の存在をわざわざ目立たせるようなことはしたくなかった。結局、どんなに心の内で挽回の言葉を選ぼうにも、恥ずかしい結果になったことに変わりはないのだけれど。

思わず漏れそうになったため息を飲み込んで、羞恥から仄かに熱くなった頬を冷まそうとグラスに手を伸ばす。掌から伝わる冷たさと、からんころんと氷が当たる音が涼しげで少しだけ気持ちを誤魔化せた。


「なあ、確かそろそろハンター試験の時期だよな」
「早いな、もうそんな時期か」


この後どこへ向かおうか、そんなことをぼんやりと考えていたところへ不意に聞こえてきた会話。その中に含まれていた有名な単語を拾い、つい気になって聞き耳を立ててしまった。

ーーハンター試験。

その名の通り、ハンターになるために受ける試験のことだ。合格するとプロを証明するライセンスが貰えるが、試験の内容が過酷かつ超難関で下手をすると死人が出るとも噂されている。私なんかが挑みでもしたら、まず間違いなく瞬殺だろう。容易に想像できてしまうのが余計に恐ろしい。恐怖からぶるりと一瞬だけ身震いした体を抱きしめるように腕をさすり、ぎゅっと目を瞑った。ああ、こういう時に恐れずに立ち向かえる人になれたならいいのに。


「お待たせしました」
「!」


柔和な声だった。けれど、先程とは違う。はっとしてそちらを向くと、先程の男性とは別の店員が料理を片手に立っていた。古風な白い髭と同じ色の髪はきっちりと整えられており、清潔感が窺える。年配の紳士。そんな言葉がぴったりの風貌だった。

いや、それよりもいつの間に近づかれていたのだろうか。これでも一応は周りに気を配っていたのに、声をかけられるまで全く気づけなかった。そんなに思考に没頭してしまっていたのかな。条件反射で少し警戒している私に気づいたのか、彼は安心させるように微笑んだ。綺麗な笑い方だった。運んできてくれた料理を丁寧にテーブルへと並べる彼をぼうと眺めていると、「お嬢さんは」と前置きをするように話しかけられた。慌てて「はい」と返す。まさか、声をかけられるとは思っていなかった。


「お嬢さんはもしや、ハンター試験でも受けるのかい?」
「えっ?」


予想もしてなかった内容だったから、思わず肩が跳ねた。突飛だ、とも思ったけれど、何故か核心を突かれたような心地にもなった。どうして、そんな急な話題になるのだろう。一体どこから……?そう思っていたら、彼の視線がつと先程ハンター試験の話をしていた二人組に移る。そこで、理解した。なるほど、聞き耳を立てていたことがバレていたようだ。

なんだかいけないことをしたと叱られているような気がして、俯いてじっとテーブルの木目を見ながら縮こまる。早くこの場から去りたい、それがだめなら消えてしまいたい……。元はと言えば、人の会話を盗み聞くような自分が悪いのだから自業自得なのだけど、空気に耐えきれなくなった私は「すみません……」と小さな声で呟いた。視界の端で彼が首を傾げたのが見える。


「なんのことかな……? いや、それよりも受けるのかい?」


咎められているわけではないと安堵するも、同じ問いかけを繰り返す彼に今度はこちらが首を傾げた。そんなに重要なことだろうか。もしかして、ハンター試験の受験者の中には女子供がほとんど含まれないと聞くし、私が興味を持っていたことが珍しいのかもしれない。けれど、私は受けるつもりは毛頭ない。受かる気がしないし、自分がやりきる姿が全く想像できなかった。だから、当然のように首を振ろうとしてーー、


ーーあなたには無理だわ。


ーーやめた。突然思い出したよく知った声にぐっと息を詰める。自分にはできないと諦めていた気持ちの中から、ふつふつと別の感情が芽生えてきた。くやしい。悔しくて悔しくて……そして、情けない。いつも逃げている自分が、私は一番大嫌いだ。

きっかけは別にハンター試験でなくたっていい。他のところで探しても、強くなれるのならどこだって構わなかった。でも、タイミングよくきっかけが見つかることって、きっとそんなに頻繁にあることじゃない。特に私は優柔不断の弱虫なのだから、この機会を逃したらだめだ。ふんばれ。がんばれ。ふみだせ。ゆっくり息を吸って、意識しながら吐き出す。弱音を堪えるようにぐっと手を握って、答えを待つ彼を見上げた。


「う、受けられるのなら……そうしたいと、思ってます……」
「!!」


格好がつかない。残念ながら尻すぼみにはなってしまったけれど、強がりで微笑んだ私に、彼は自分で聞いたのにも関わらず心底驚いたように目を見張っていた。