アンラッキー・ギフト
マスターと別れてから、言われた通り港へ向かった。しかし、残念なことにドーレ港もザバン市もどちらも知らない名称だ。何隻も並ぶ立派な船が果たしてどこへ向かうのか、私には見当もつかない。賑わう雑踏をなんとか潜り抜けて、乗組員と思わしき人を探す。そろそろ昼時だからなのか、近くにある市場と港の人々とで人口密度がより高くなっている。人混みはあまり得意ではないので、少し酔ってしまいそうだった。
「いっ……す、すみません」
どん、と肩が通行人とぶつかって咄嗟に謝る。すれ違いざまに迷惑そうな顔で睨みつけられた。聞こえないと思ったのだろうか、小さく、極小さな音でちっと舌打ちを残して消えて行く。そんなに怒らなくてもいいのに、なんて避けきれなかった私も悪いのだけれど。それにしても、ぶつかった衝撃で人の波を外れてしまった。目の前を横切る、ひと、ひと、ひと。こんなところにもう一度入り込むのは容易ではない。行きたくないな、と尻込みをしていると背後から陽気な声が聞こえた。
「よお、嬢ちゃん。観光かい?」
「あ、いえ……船を探していて」
振り返って、あ、と思う。先程遠くから見かけた船の乗組員と同じ格好をした男性だった。大きく膨らんだ茶色の紙袋を抱きしめるように両手で持っている。もしかしたら、この人に聞けばわかるかもしれない。ドーレ港について尋ねると、彼は「ああ、俺んとこの船が通るよ」と笑う。
「嬢ちゃんも乗ってくかい?」
「本当ですか……! ありがとうございます」
「それにしてもドーレ港に向かうのか。なんか今日はやけに利用者が多いなあ」
利用者が多い、とは。いつもは少ないのだろうか。はて、と首を傾げた時、遠くから「シャッド!! 早くしろ! 置いてくぞ!!」と大きな叱責の声が響いた。目の前の男性が「やべ」と顔を青くする。ちらりとこちらを一瞥してすぐに前を向いた彼は、躊躇うことなく人の波に身を投じた。
「嬢ちゃん急げ! 下手したらマジで置いてかれるぞ……!」
「ええ……!?」
切実さが滲み出た声音に咄嗟に追いかけるも、波の勢いは計り知れなくて。人の向こうに消えて行く姿をギリギリのところで捉えながら、結局何度も人とぶつかってを繰り返し走り続ける。一人一人に謝っていたらだいぶ遅れをとってしまったけれど、なんとか雑踏を抜けられたようだった。
満身創痍。なんて、ちょっと大袈裟かもしれないが、それほど疲れていた。よろり、と目的の船に近づく。先に到着していたシャッドさんと、その横のおそらく先程の怒号の主であろう大男が、人の波で髪型も服装も、見事にもみくちゃになった私に気づいて「ブフォッ」と思い切り噴き出した。そ、そんなに笑わなくても……。恥ずかしいような、切ないような、なんとも言えない気持ちになって、そっと乱れた前髪を撫でつけてそれを誤魔化した。
ドーレ港までは、約一日かかるそうだ。数日間を船で過ごすというのは少し気が滅入りそうだったから、たった一日だけで済むのならよかったと思う。それに、と辺りを見回す。船の甲板にはシャッドさんが言っていた通り多くの利用客がいたけれど、その中に見知った者の姿はない。どうやら家の誰かに追いつかれてはいないみたいだ。船の上では逃げようもないし、鉢合わせなかったのは本当に幸いだった。ほっと安堵の息をついて、そばにあった手摺りに手を乗せる。穏やかな潮風が頬を撫ぜ、大空を舞うカモメの鳴き声が耳にふれた。
そうして何をするでもなくぼんやりと海を眺めたり、許される範囲で船の中を見て廻ったりと時間を潰している内にあっという間に夜になった。海の天気は変わりやすいと聞くけれど、今日はずっと穏やかで乗り心地が良い。自由に使っていいと案内されていた部屋から抜け出して、また甲板に向かう。わあ、と思わず感嘆の声が出た。辺りはもう真っ暗だったけれど、雲ひとつとない満天の星は圧巻の景色だった。月の光はランプの代わりにこちらを優しく照らしてくれている。
「こんな夜更けにどうしたんだ? 娘っ子」
「こ、こんばんは船長さん……」
「おう、こんばんは」
振り返ると船に乗る前にシャッドさんと共にいたあの大男の姿があった。にかりと彼が笑う。私を見て大爆笑をしていた彼は、それに違わず陽気で気の良い人物だった。仄かに顔が赤いのは片手に持つ酒瓶のせいだろうか。
「眠れないのか? まあ、あんなむさ苦しいところじゃ落ち着けんか」
「い、いえ、船に乗せていただけているだけで充分です。本当にお世話になってしまって……」
「はっはっは、嬢ちゃんは謙虚だなぁ」
豪快に仰げぞって声をあげた彼が、酒瓶を持つ手とは逆の手でぽいっと何かを投げ渡してきた。緩く放物線を描いたそれを慌てて受け止める。丸くて赤い、よく熟した林檎だった。
「やる、シャッドが買ってきたやつだ。遠慮すんなよ」
「あ、ありがとうございます」
「そういえば、嬢ちゃん名前はなんてんだ?」
「ミリアです」
「ほーう、いい名前だな」なんて、さらりと言うものだから、少し恥ずかしくなった。小さくお礼を言う私を、なんだか微笑ましいものを見るかのように見守る彼の名はシャガさんという。シャッドさんに親子だと聞かされた時は驚いたけれど、確かに快活な性格はそっくりだと思った。笑い方なんかは特によく似ている。
「あー、他の奴らもミリアみたいに可愛げがあったらよお……。今日は客も男ばっかだしな」
「今日はお客さんいつもより多いんですか?」
「ああ、ハンター試験があるからな」
「!」
「まあ、ミリアには無縁の話……って、なんだその顔は」
まさか。と言葉を切ったシャガさんがじいっと私を見つめる。観察するような視線に耐えきれずにそっと目を逸らすと、ほうとため息をつかれた。けれどもそれは、どこか感心したような響きを持っていて。てっきり笑われてしまうかと思ったのに、彼はその時だけは決して茶化したりしなかった。そうかと納得させるように何度か呟き、何かを言いたげに口を開いて、やめる。それから、ただ一言だけ「頑張れよ」と言ってくれたことが嬉しかった。「……はい」と表情を緩ませて返事をする私に、彼は懐かしいものを見るかのように優しげに目を細め、その大きな手でゆっくりと頭を撫でてくれた。
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朝になった頃には、すでにドーレ港に到着していた。お世話になった船員の方に声をかけてから船を降りる。シャガさんとシャッドさんがわざわざ見送ってくれた。わしわしと二人して遠慮なく頭を撫で繰りまわすものだから、出会った時と同じようにもみくちゃになってしまった。シャガさんに至っては、昨日の夜の労わるような手つきが嘘のようだ。幻だったのでは、なんて考え始める私をよそに、また声を揃えて大爆笑する二人は相変わらずだった。
「じゃあ、元気でな」
「気をつけろよ。怪しい奴にはついて行かないように」
「は、はい。ありがとうございました」
大袈裟なくらい手を振ってくれるシャッドさんに、こちらも手を振り返して二人と別れる。シャガさんが言っていた通り、多くの客は私と同じようにこの場所で下船していた。約十数人ほどの全てがハンター試験を目的としているのかと思うと、少し、いやかなり気後れする。同時にマスターが言っていた言葉は、私を試験会場に導くためのものだったのだと理解した。心の中で彼に感謝をして、数歩進み、はたと立ち止まる。そうだ、ザバン市はどこにあるのだろうか。
どうやらこの近くにザバン市行きのバスがあるらしい。観光マップの看板を見ながら思う。歩いて行けない距離でもないようだけれど、バスがあるならわざわざ徒歩で向かう理由もない。だからバスで行こう、と先程までは思っていたのだけど……。ぎゅうぎゅうに詰まった誰がどこから見ても満員のバスを前に、私はぴしりと硬直した。なんだろうか、この異様な状況は。自分より年上の男性ばかりで、女性はいないし子供の姿もないようだ。まさか、バスの利用者全てがハンター志望者なんてことはない、よね……?
恐る恐るバスに近づく。幸い入り口のところには、一人分くらいの狭い隙間があった。大人はつらいかもしれないけれど、子供の私ならきっと余裕だろう。そう思って足をかけた瞬間だった。ぐい!と後ろから遠慮のない強い力で腕を引かれる。そのまま投げ捨てるように手を離されるものだから、バランスを崩して勢いよく尻餅をついてしまった。かなり痛い。じんじんと主張してくる痛みを我慢しながら、そっと顔を上げると、こちらを迷惑そうに睨み据える男性がいた。
「なんだ、なんだぁ? まさか、ハンター試験を受けるわけじゃあるまいし、邪魔なんだよなあ」
悪意を隠そうともしない声音。唐突に向けられた敵意に、ぎしりと心臓が嫌な音を立てる。地面に座り込んだままの私を見て、その人ははっと鼻で笑って吐き捨てた。
「ハンター目指してるとか、笑えない冗談はやめろよな。間違いなく諦めた方が身のためだぜ」
ーー子供で、しかも女が受かるわけないだろ。
当たり前のようにそう付け足した彼は、嘲笑いながら残っていた隙間に身を滑り込ませる。そして、それと同時にバスは動き出し、音が遠ざかっていった。その場にぽつんと残された私はしばらく呆然としていたけれど、周りの視線にはっとして、洋服についていたフードを深く被った。
どれもこれも、先程の彼と同じ視線。いくつもの目が、怖くてたまらない。嫌な空気も漂っている。耐えられない。そう思った瞬間、何かを思い出しそうになって、咄嗟に口元を押さえた。このままではまずいと、震える足を叱咤して急いでその場から離れる。逃げ出す私を嗤う声が、ずっと、ずっと耳に残っていた。