秘められた才



途中で少しずつ休憩を挟みながら、やっと目的地のザバン市に到着した。複雑な道でもなかったから、迷わずに済んでよかったと心底安堵する。けれども、そこからも問題だった。無事にザバン市に辿り着いたとはいえ、この場所からどこへ向かえば良いのか全くわからない。ここで試験が執り行われるのか、はたまたここはただの通過地点なのか。マスターやシャガさんの言葉をよく思い出してみるけれど、二人ともザバン市のどことははっきりと言っていなかった。うーん、どうしよう。

聞き込みとかするべきだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、人の流れに沿ってやって来たのは地元のものとよく似た市場だった。そこそこ人はいるけれど、昨日のように押し退けられてしまうほどでもない。


「そこの奥さん、これはいかがかな?」


聞こえてきた声に、何気なくそちらを向く。本当にこれと言って理由などなかったし、自分に向けられたものでもないことはわかっていたけれど、なんとなく見てしまって。そうして、見えてしまった蛙の串刺しのようなものに、何も言わずそっと視線を戻した。私は何も見ていない。

店主に目をつけられる前にそこを去り、道なりに進んでいくと食べ物や宝石など、色々なものを取り扱うお店が勢揃いしていた。昨日はじっくり見ている余裕なんてなかったから、たまにはこういうのも楽しいかもしれない。なんて、気分が少し浮上した時だった。


「誰かーっ! その人を捕まえて!! 泥棒よー!」


めちゃくちゃな大声だった。切羽詰まった女性の声が耳に響く。思わず振り返ると、先程前を通過した宝石店が一目で荒らされたとわかるほどにぐちゃぐちゃになっていた。ひどい、そう思ったのと、走り去る泥棒の後ろ姿を視界に捉えたのは同時だった。何かを考える前に体が勝手に動く。全速力で走り、泥棒を追い抜くと、その人の進路を塞ぐように立つ。突然目の前に飛び出して来た私に、ぎょっと目を見開いたのがわかった。


「邪魔だ、どけ!! 殺すぞ!!」


相手が一瞬だけ取り乱したけれど、そのまま勢いを殺さずに、懐に隠し持っていたナイフを手にこちらに突っ込んでくる。ぎらりと光る鈍色にぐっと息を詰めた。けれども、この時の私は不思議と冷静だった。相手の動きが、景色が、ゆっくりと流れていく。声を、息遣いを、聞け。相手のそれは本気じゃない。脅しだ。きっと、私が小さな子供だから油断しているんだ。その油断は、私にだって利用できるはず……!


「っの、クソガキが……!!」


泥棒がついにナイフを振るった。きゃあ!と周りから悲鳴があがる。水平を描く鋒が私の顔面に届くーー直前でしゃがみ込んでその軌道から逃れた。ぱっと視界から消えた私に「なっ……!!?」と声をあげ、バランスを崩した体が前に倒れ込んでいく。ぐっと次の足運びで堪えようとしたのを察して、こちらも足を伸ばした。


「ど、泥棒はだめです……!!」


言いながら容赦なく足払いを決めた次の瞬間には、ずべしゃ、と見事に泥棒が地面に転がっていた。しーんと水を打ったように辺りが静まり返る。それと同時に、高まっていた集中が空気に冷やされて途端に鎮火していくのを感じた。そうなるとはっと我に返るもので、動き出した時間の中で協力しながら暴れる泥棒を取り押さえる観衆を見て思う。

私は一人で突っ走って何をしていたのだろう。今のは上手くいったからよかったものの、少し間違えれば果たして怪我で済んでいただろうか。

理解した瞬間、ひゅっと胸の辺りが一気に凍って、恐ろしさに震えた。力ずくで地面に伏せさせられている泥棒と、その場に縮こまって顔を青くする私。これではどちらも断罪される側の立場のようで、ひどく情けなかった。私を心配する声や賞賛の声が耳に入っては、意味を捉える前に通り抜けていく。いつもの消極的な思考に陥りかけた時、どんっと軽い衝撃と、後からあたたかさに包まれて図らずもそこから引っ張り上げられた。


「ひゃ……!?」
「すごいすごい! 本当にすごい! ありがとう……!!」
「い、いえ……あの……?」


しゃがみ込んでいた私に誰かが抱きついている。横から飛びつかれたものだから、ぐらりと体勢を崩して地面にへたり込んだ。ぎゅうっと喜びを表現するように力を込められるせいで相手の顔は見えなかったけれど、おそらくは先程助けを求めた女性だった。声が、同じだ。戸惑いながらももう一度「あの……」と声をかけると、彼女はぱっと体を離して満面の笑みで言った。


「本当にありがとう。もうだめかと思ったけど、あなたがいてくれて助かった。とっても格好よかったわ!」
「え……? えっと、そんな……大したことでは……その、」


しどろもどろに答える私を気にせずに、ずっとその人は嬉しそうに笑ってくれていた。あまりにも繰り返しすごいだとか、ありがとうだとか、格好いいと伝えられるせいで、お得意の消極的な思考になる暇さえない。ここまで褒められるという経験が少なくて、なんだか居た堪れない気持ちになる。じわじわと顔に熱が集まって、きっと赤くなっているのだろうなと容易に想像ができた。






「これで最後ですか?」
「ええ、そうよ。ありがとうミリア、助かっちゃった」


ネックレスをそっと商品棚に引っ掛けて彼女、改めサイカさんへ声をかけると、ふふと綺麗な微笑みが返ってきた。あの後、大人達に取り押さえられていた泥棒は駆けつけた警官によって無事に連れていかれた。しかし、その間中、主に私への恨み言を休むことなく吐き散らすものだから、声が聞こえなくなるまで怖くて仕方がなかった。今でもその怒声が、耳の奥に残っている気さえする。

どれだけの数をあの泥棒が盗もうとしたのか正確には把握していないけれども、宝石店の荒らされようはひどい有様だった。元々どれがどこに飾ってあったのか当然のようにわからなくなっていたし、宝石が辺りに散らばっていて、見るも無残なんて言葉がまさに合っていた。めちゃくちゃな店の様子にしょんぼりと肩を落とす姿を見ていられなくて、片付けの手伝いを申し出たところ、感極まった彼女にまた勢いよく抱きしめられて今に至る。

しばらく二人で黙々と作業を進めて、やっと色とりどりの宝石が綺麗に並ぶ元の店に戻ったようで一安心だ。売り物にべたべたと指紋をつけるわけにもいかないから、ずっと手袋をしていたのだけど、それが余計に慎重な作業だということを知らしめているようでどっと気疲れしてしまった。そのことをサイカさんにも見抜かれているようで、労わりの言葉をたくさんかけてくれた。


「本当にありがとう。あ、そうだわ、なにかお礼を……」
「えっ、いえ、お礼なんていりません……!」
「うーん、なにがいいかしら?」
「あの、ですからサイカさん……」


止める私の声が届いていないのか、贈り物を選ぶ時のように楽しそうに思案する彼女は、ふらっと店の中に入って小さな戸棚の前でしゃがみ込んだ。鍵付きのあの棚は荒らされていなかったから、片付けの時にも手をつけていない。一体何をするつもりだろうと静かに見守っていると、懐から鍵を取り出した彼女がぱかりと手慣れたように扉を開く。中身がサイカさんの背中に隠れて見えない。そうっと体を傾けて、なんとなしにそこを覗き込む。そうして、ぴしりと体が固まった。

店先に並んでいるものよりも、さらに綺麗な宝石の数々。指輪やネックレス、髪飾りにブローチなど、その種類は様々だけど、一貫して宝石の色が鮮やかだった。戸棚を開けたことによって差し込んだ光を受け、より一層輝いて魅せるそれらがひどく眩しくて。きっと、とても高価なものなのだろうと思っていると、その中の一つをサイカさんが手に取った。ざわり、と嫌な予感がする。


「これ! これが良いわ、絶対に似合うもの! ねえミリア、是非もらってほしーー」
「むむむ、むりです、無理です……!」
「そ、そんなに離れなくても……」


ずさぁあ、と勢いよく飛び退く私にサイカさんが目を丸くした。彼女の言葉に被せるほどに返答が速かったから、余計に驚かせてしまったのかもしれない。けれども、これに至っては私の反応の方が正しい、というか極一般的だと思う。買ってほしい、と提案するならまだしも、見るからに高価な宝石をおいそれと他人にあげるべきではないし、こちらもそれをさらりと受け取ることはできない。そもそも私は大したことをしていないのだから、お礼なんて必要ないのに。

「もらってほしい」「もらえない」という押し問答がしばらく続いて、結局根負けという名のごり押しによりサイカさんに軍配が上がった。細いチェーンと控えめな小ぶりの宝石が可愛らしいネックレスは、先程彼女が私に似合うと見繕ってくれたものだ。半ば無理やり掌に乗せられたそれが、緊張のせいで手と一緒にぷるぷると震える。や、やっぱりこんな高価な物をもらうわけには……。

そっと手をサイカさんへ差し出して断ろうとした瞬間、それを察したのか「お願い持っていてほしいの」と眉を下げて見つめられる。ずるい、と思う。そんな言い方をされたら返したくても返せないではないか。ぐっと言葉に詰まった私は、ふらふらと視線を彷徨わせて、それからきゅっと胸の辺りでネックレスを握った。


「……ありがとう、ございます。絶対、大切にします」
「ええ、よかったわ。そうしてあげて」


優しく穏やかにサイカさんが微笑む。あまりに柔らかな笑みに、真にこのアクセサリーが似合うのは彼女の方なのに、と思ってしまった。少なくともこんなに綺麗な宝石が、暗くて地味な私に似合うとは到底思えなくて。サイカさんの言葉を疑うつもりはないけれど、私にはこの宝石と並ぶだけの自信も勇気も魅力もない。だから、その卑屈な気持ちごと隠すようにゆっくりとポケットにしまい込んだ。