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ずっと昔に、誰かがこう言ったそうです。
「この世界は平等である」と。
私は思いました。
「そんなことはあり得ない」って。
誰かの幸せが確立された時、その裏では必ず誰かの不幸が確定しています。ごく簡単な例で言えば、ゲームの勝者と敗者ですね。前者は当然ハッピーですが、後者は悔しさや悲しみを少なからず抱えることになります。
小さな子供のお遊びならまだ良し。けれど、それが大きな人生の分岐点に関わっていたならどうでしょう。
“人の不幸は蜜の味”だなんて言葉があるくらいです。ヒトの本質はそのような状況下でこそ、より顕著に現れてしまうもの。私達は心のどこかで他人の不幸を喜ぶようにできているのです。浅ましく、狡猾に。
さて、それほどまでに身勝手な人類が蔓延る世の中が、果たして本当に「平等」でいられるのでしょうか。
その点、漫画や小説みたいな夢物語では現実にあり得ないようなハッピーエンドがあっていいですよねぇ。脳内お花畑ですか? ってほどに幸せな話だとなお好みです。ほら、こちらでは味わえない別の何かが本の中には広がっていますから。
ああ、でも好きなのはフィクションに限りますよ。これは譲れません。だって実際にあった話とか本にされても、聞いてねえよって思いませんか? うんうん、やっぱり本は
夢物語に限りますね。
え? 高いところが好きなのかって?
ええ、とても好きですよ。景色もよく見えますし、開放感があって気持ちが良いですよね。周りに人の気配がなければさらに最高です。
そうそう、特に好きなのはこういう縁の部分なんです。一歩踏み出したら死に直結してしまうところがスリリングじゃないですか? あ、今は座っているので踏み出すも何もないですね。
とにかく、いつでも死がそばにあるような感覚に高揚するんです。
ふふ、あなたもそう思いませんか?
「──知らねえよ。長え」
「およ? てっきりお耳を傾けてくださっているものかと……」
「誰が。おまえが勝手にベラベラ喋ってたんだろ」
「ふむ、気合い入れて喋りましたのに残念です」
“残念”。
その言葉の割には、振り向いた少女の顔に落胆の色はなかった。貼り付けられた完璧な笑みを携え、苛立ったように首を掻きむしる青年へと面白そうに視線を送る。
「それで? ご用件はなんでしたっけ」
「話をややこしくしたのは誰だよ……。ああ、先生。こんなやつ本当に使えるのかよ」
「せんせ? 使う?」
むむむ。
死柄木の目の前の少女はわざとらしく人差し指を顎の辺りに添えると、そんな不思議な呻き声をもらし首を傾げた。
一拍の後。はっと何かに気づいたように「ああ!」と声を上げるとこれまたわざとらしく両手を叩く。少女の手を覆う白い手袋のせいで、ぽふっと間抜けな音が鳴った。
「“ヒーローを倒すために仲間になれ”。みたいなお話でしたっけ」
鈴が転がるような声音で、平坦に穏やかに。さもなんでもないことのように紡がれた爆弾発言は、しかしその可憐さに似つかわしくない物騒な思想であった。超人社会におけるヒーローの立場や華々しい活躍を鑑みれば、それが如何に馬鹿げていて無謀なことか子供でもわかるだろう。
奇しくも少女に敵意はなかった。何かを害そうとする悪意すらもない。
だというのに、いや、だからこそ確かな不穏を纏っていながら透明を保つ羅列が少女の全てとマッチしておらず、どこか薄気味悪い印象を死柄木に与えた。大抵の者ならば少女の愛らしさや一般人然とした雰囲気故に「ただの冗談だろう」と流してしまうような些細な違和感を、人間の醜さに多く触れてきた彼は正しく見抜いていたのだ。
この女は何かおかしい、と。
当然、ヴィラン予備軍の危険極まりない内容を「コンビニに行ってくる」などと同列の軽い調子で扱う少女が常人であるはずがなく……。
そして、それはこの件を持ちかけた死柄木にも言えることである。
死柄木はヒーローなんてくだらないと思っていた。特に「人を助けたい」という一貫した意志を持つその人種の中で、頂点に立つ存在──平和の象徴と謳われる“オールマイト”が何よりも気に入らない。壊したくてむしゃくしゃして堪らない。
小さな子供達が当たり前のようにヒーローに憧れや好感を持つ社会で、彼は幼い頃から憎しみや嫌悪を募らせていた。過ごしていた環境、置かれていた状況。そんな要素が他とは少しずれてしまっただけで、人はこんなにも大きな歪みを生じさせる。
世界は無情で残酷だった。それこそ少女が言うように「世界は平等ではない」のだ。
「ああ、そうだよ。もうどうでもよくなってきたけどな」
「え〜? どうしてですかぁ。スカウトならもっとちゃんとしてくださいよ〜。熱烈に、根気よく!」
「うぜえ。なんなんだよ、おまえ」
心底どうでもよくなったのか、今にも自分を放って踵を返しかねない様子の死柄木に、少女は瞠目してわかりやすく慌てて見せた。顔だけで振り返る姿勢をやめ、向き合おうと体を捻る。宙に投げ出されていた両足が、少し寂れた廃ビルの屋上へと運ばれていく。
その動作は緩慢で、ゆっくりで、マイペースで。直前に慌てた風を装った意味が一瞬で消え去った。
焦れったく、有り体に言えば舐めた態度であったが、しかし次の瞬間、真正面に惜しみなく晒された彼女の造形は神が与え過ぎたと言っても過言ではないほどに整っていた。
柔らかで手触りの良さそうな桃色の頭髪。同じ色の宝石のような甘やかな瞳。ゆるりとその瞳が細められ、桜を思わせる整った唇が緩やかに弧を描く。そうして、作られた表情は完璧と評する以外にないくらい可愛らしく無邪気で、神秘的だ。
まさに誰もが見惚れる天使のような美少女。この場が近日中に取り壊す予定のある廃ビルでなければ、多くの者が目を奪われていただろう。実際、死柄木も少女を見つめていた。ただし、彼の場合は「こいつ危機感ねえな」とか「軽く押しただけで死にそう」という色恋とは程遠い感想であった。死柄木はそういうことに疎かった。
低めのパラペットは大した落下防止には繋がらない。ましてや、そこに腰かけてしまっては、少女自らが語ったように常に死と隣り合わせである。フェンスの類いはなかった。
だから、きっと少しでも悪意を込めて押したなら、その華奢な体はすぐにこの高所から叩きつけられて死ぬのだろうと。殺す気はなくとも、死柄木はそう思った。己が個性を使うまでもない、と。
しかし、奇妙なのはそんな状況に置かれてなお、完璧な笑みを貼り続けている彼女だった。まるで、相手を脅威とも思っていない様子で。死を恐れる素振りもなく。平然と言葉を交わしている。自分の状況も正確に把握できないほどに頭が弱いのか、はたまたその全てが少女にとっては取るに足らないことなのか。死柄木には判然としなかった。
あまりにも掴みどころのない少女に、彼は真っ黒なフードの下で眉を顰めた。
「それでは、もし私が仲間になったのなら……あなたは私をどう捉えます? 大切な家族みたいなヒト? それとも、友人ですか?」
不意にこてりと首を傾げ、彼女は前に立つ死柄木を見上げて問いかけた。
それは彼からすれば意図を見出せそうもない、至極くだらない質問だった。死柄木は苛立ちつつも、乱暴に答えを放る。選んだわけでもない反射的なものであった。
「ああ? 別に何も。少なくとも家族じゃねえし、友人にもならねーよ」
「……ふふ、なるほど素直ですね。変に取り繕われるより余程信用できます」
死柄木の歯に衣着せぬ物言いに彼女は一瞬だけぽかんと呆気にとられたが、怒ることもせず、すぐに口元に笑みを戻した。心底おかしそうにそっと目を伏せる。あどけない表情だった。今まで完璧に作られていたそれらとは違う、自然なもの。
死柄木の眉がぴくりと動く。ひらひらと桜の花びらのように掴めず、のらりくらり得体の知れない存在だった彼女が初めて人間らしい反応をしたからだ。呆気にとられた瞬間は特に無防備だった。嘘で固められた丁寧な笑顔より、鮮烈に脳に焼き付き跡を残していく。
少女はしばしの間くすくすと笑みをこぼしていたが、やがて口元に当てていた手を外すと、よいしょと可愛らしい掛け声と共に立ち上がる。
「私もその考えは好きですよ。出会ってすぐに家族だ友人だなんて、上辺だけの言葉を並べられなくてよかったです。そんな不安定な関係性よりも、無関心な主従関係の方がずっとわかりやすいですから……」
そうして、一つ何かに納得するように頷くと、手袋に覆われた両手のうち片手を死柄木へと差し出した。
「──遊偽ネロ。私の名前です。あなたの考えがなんだかとても面白そうなので、これから仲良くしてくださると嬉しいです」
にっこりと綺麗に微笑んだ彼女が言う“仲良く”とはつまり、ヒーローを倒すために死柄木の仲間に──ヴィランになるということだ。常人なら正気を疑う選択である。無知がもたらす愚行とも捉えられるかもしれない。
しかし、奇想天外な言動の目立つ彼女、ネロはこれでいて聡明な人間だった。あらゆる物事の本質を見抜いていながら、自分のやりたいことや楽しいと思えることを優先する性格故に、今回の提案に乗ったのだ。まるで自分の好物を差し出されたかのように、あるいは新作のゲームをプレゼントされた子供のようにわくわくしながら……。
死柄木は数秒の逡巡の後、目の前に差し出された手をゆっくりと崩壊させないように配慮しつつ取ることにした。
オールマイトを潰すためだ。例え、使えなくとも人手は多いに越したことはない。拒む理由は特に見当たらなかったし、何より先生にこの少女を「仲間に引き入れろ」と言われていたことが大きかった。
「ところで、お名前はなんて言うんです?」
「……死柄木弔」
「しがらきくん……んん、長いですね。弔くんでいいですか? 私のことはネロって呼んでくださいね」
「馴れ馴れしいな」
「いいじゃないですか。これでも私、そこそこ使える方だと思いますよ〜」
黒霧が待つ隠れ家へと向かう道すがら、聞いてもいないのに喋り続けるネロに死柄木は面倒になって名前で呼ばれることも呼ぶことも承諾したのだった。
オープニングは突然に