新一が“江戸川コナン”になり組織の情報を得るために毛利家にお世話になって気づけば1週間が経っていた。
未だ慣れない突然の1人暮らし。両親と新一はアメリカの家に行くことを勧めてくれたが、有紗が首を縦に振ることはなかった。一応の名目は家の管理だが、ただ漠然と兄が小さいまま何処かへ行くことは憚られた。
『何かがあったら、その時はアメリカに住むこと』そう言って電話を切った両親は、珍しく心配そうな声色だった。
「……?」
学校から帰宅してふと違和感を覚える。
朝、家を出た時から何も変わらないいつもの家、のはずだったがどうも人が侵入したような妙な気配がする。薄っすらと湿ってくる手のひらをぐっと握り込み、足音を立てないように1階、そして2階へ、全ての部屋を開け放ってみるが何も変わりはなかった。
コナンに相談するか?いや、博士がいいか?
――『何かがあったら、その時はアメリカに住むこと』 つい先ほど思い出した両親の言葉が脳裏に過る。
アメリカにはまだ行けない。家に入った時の違和感を振り払うように頭を振った有紗は、気のせいだと自分に言い聞かせて開け放ったままの扉をひとつずつ閉めた。
今日はコナンが幼少期に着ていた服を取りに来る予定がある。
有紗は言い様のない不安な気持ちを飲み込む様にぐっと手元の水を飲み干し、自室に行き手頃なトートバッグを掴んで新一の部屋に向かった。
▽▽▽
「やっぱ全然取っておいてなかったよ」
服を詰めたトートバックを持って隣の阿笠邸に行くと既にそこには小さな兄、コナンが暇そうにコーヒーを啜っており、有紗の姿を見るなり鞄を奪うように取ると、その中身を確認しだした。
「懐かしい」「うわ、こんなのあったな」などとブツブツ呟き、鞄から出しては仕舞いと忙しなく手を動かしている。
しばらくして、研究室に篭っていたらしい博士が何かを手にして地下の階段から上がってくる。
その手に握られていたのはぱっと見普通の靴だったのだが、その側面に妙なボタンが付いているのを見つけてしまい、こっそりとため息を吐いた。そう言えばあの胸元を飾っている蝶ネクタイも博士の作ったメカだったな、と小型変声機を見つめれば、自然とまたため息が漏れ出る。
危険なことを推奨するような発明品を容易に与えないで欲しいという願いは聞き入れてもらえそうにない。
蘭に迷惑はかけていないか等話したいことは山のようにあるが、目の前の好奇心の塊は新しいメカに夢中だ。
『男はいつまでも子どもなのよ』
いつだかそう言った母の言葉が頭の中でリフレインする。
父と兄が2人で何かに夢中になっている姿を見てよくそう漏らしていたが、なるほど本当にそうなのかもしれない、と目の前の2人を見て改めて思った。
キラキラと目を輝かせている少年を見て、胸がざわざわと騒ぐ。
たかが一週間、されど一週間。一向に元の身体に戻る様子の無い兄の姿に、一生このままなのではないかと一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
「新ちゃん、来週からの小学校頑張ってね」
「は?!小学校?!」
有紗や彼の想い人でもある幼馴染の心配なんて考えてもいなさそうな目の前の少年に、少し、ほんの少し意地悪をしてしまうのは仕方がないことだと思う。捨て台詞のように爆弾を落とし博士の家を出て、すぐ隣の家へ駆けるように帰った。最初は快適だと思っていた誰もいない家はいやに静まり返っていて、あれから少しも浮上しない気分をさらに沈めるには十分だった。
毎日のように泣きそうな顔で新一について尋ねてくる幼馴染に嘘を吐き続けなければいけない状況も、精神衛生を乱している原因だと有紗は気付いていた。
図書室に入り、座り心地の良い椅子に乗り上げて身を寄せる。昔は父が、ついこの前までは新一が好んで座っていた椅子。今日はここで寝てしまおうか、と少しだけ訪れた睡魔に身を委ねた。
▽▽▽
一週間ぶりに帰る家はやけに静かで、住人である妹の有紗の気配がまるでしない。
一抹の不安を抱えながらキッチン、リビング、部屋と探していくが目当ての姿は見つけられない。慌てて図書室の扉を開けば、そこには椅子に丸くなって眠っている有紗の姿があり、ほっと息を吐いた。
有紗が眠れていないことは気付いていた。会う度に濃くなる目の下の隈や空元気な様子が見ていて痛々しかったが、この身体では何もしてやれない事実がコナンの心を蝕むようだった。
「有紗」
もう誰よりも長い時間を一緒に過ごした妹の名前を呼ぶ。
風邪を引かないようにブランケットを掛ける事すら出来ないこの手は、せめてベッドで眠るように揺り起こす事しか叶わない。
「有紗、風邪ひくぞ」
「……ん、しん…ちゃん?」
「……寝れてないのか?」
心配そうな表情を浮かべたコナンが、有紗の顔をそっと覗き込む。ぼうっとする頭の霧が晴れる頃、漸く自分が本当に寝てしまったことに有紗は気付いた。
「ついうとうとしちゃった」
「大丈夫か?」
尚も心配そうなコナンの頭をひと撫でしてから、転げ落ちないようにゆっくりと椅子から降りると縮こまっていた身体をぐっと伸ばす。
小1時間ではあったが、夢も見ずにぐっすり眠れたのは新一がコナンになってこの家から出て行って初めてだった。
「何かあったら連絡しろよ」
「うん、ありがとう」
何か、と言われて今日帰ってきたときの違和感が思い浮かぶ。しかし既に靴を履いて前を向いている小さくなってしまった兄にそんな些細な事を話す気にもなれず、じゃあな、と手を上げながら快活に玄関を飛び出していった小さな背中に手を振って、しっかりと施錠することで小さな不安は全て見ないふりをした。