愛しすぎた末路

(またか)

それは私が美容院で自分が呼ばれるのを待っていた時だった。
ガラス越しに見えた何度も見てきた恋人の姿にため息を一つついた。

(私なんかよりずっと絵になるね)

ガラスの向こうで彼はそれはそれは美しい女性と親しげに腕を組んで歩いていた。
寄り添う二人は誰の目から見ても恋人同士に見えるだろう。

いつからこうなったのだろうか?

そんな疑問を抱きつつもそれよりももっと気になる事がある。

(なぜ私なんかと付き合っているのだろうか)

いつもいつも不思議だった。
IVは顔に傷さえあれどそれすらもかっこよく見える程整った外見をしているし何よりプロデュエリストだ。
デュエルが全てのようなこの世界でそれはとてつもない程魅力的な地位だろう。

加えて彼はうわべだけは紳士的だ。
もっとも私はうわべではない本来の彼も大好きだったのだが。
彼のファンは男女問わず沢山いた。
皆が彼を愛していた。

(寧ろ私が浮気相手だったのかもしれない)

そんな事を考えて泣きそうになったのをぐっと我慢した。

「お待たせしました、お席にどうぞ」

そんな時美容師の言葉で現実に引き戻された。
私は動揺している心をなんとか封じ込めて美容師の案内する席に座る。

鏡に映る自分が至って平凡でそれにうんざりした。
それでも平凡な私は少しでも彼に喜んで貰いたくて美容院にも足げに通い彼好みの綺麗なロングヘアーを維持してきた。
服だって全て彼が好む服装だ。

鏡の中で私が私を笑っている。

貴方は彼にとって都合の良いただのお人形だと。

自身の言う事に何も逆らわずに従順に言う事を聞く私は彼にとって実に都合の良い人形だっただろう。

彼を愛していた私はそれでも良かった、そう考えていた筈なのに。

そう思い込みたいと願っていたがそれももう限界のようだ。

「今日も毛先カットとトリートメントでお間違えないですか?」

いつも私がお願いしている美容師がメニューの確認をする。
私は小さく息を吸ってそれを口にした。

「····今日はボブくらいの長さまで切ってください」















カットが終わり日の落ち始めた外へと足を踏み出した。
随分と軽くなった髪に心まで軽くなった気がする。

(名残惜しいけれど全部終わらせてしまおう)

どんな仕打ちを受けようとも私は彼が好きだった。
だからこそ浮気現場を目の当たりにしたところで彼との別れを惜しんでしまう気持ちがあった。

(何も気づけない考えられない、本当の人形になれたらよかった)

彼に送るメールを打ちながらそう考えていれば画面の上に涙が零れ落ちた。

別れを望む文章を打つ指が震える。

(好きなのに、こんなに大好きなのに、でもやっぱりどうしたってこれ以上貴方を嫌いになれそうにないから。
貴方を愛しているうちにさよならしたい)

最後の文字を打ち終わり、それを拒む指をなんとか動かして送信キーをタップした。

送信しましたというメッセージを見てこれで全てが終わったのだと身体から力が抜けてその場に座り込んでしまった。

人通りの少ない路地に入っていたので誰もそんな私を見ている人はいない。
抑えきれない感情は涙となってどんどん溢れていく。
腕で口を塞いで必死で声を殺して泣いた。
もう誰にも抱き締めてもらえない身体を自分自身で慰めるように抱きしめた。

そんな時だった。
その直後にdパッドが通信を知らせて鳴り響いた。
おそるおそる画面を見ればそこに表示されている名前に息を飲む。
IVだった。
静かな空間に響く電子音がそれはもうけたたましく鳴り響いているように感じて恐ろしくて呼吸も儘ならなくなって一気に酸素が足りなくなった。
それでもなんとか震える手を動かして電源ごと落とした。

電子音は聞こえなくなりその直後肺に酸素が満ちて噎せ込んでしまった。

(はやく帰ろう)

ガクガクと震える膝を叱咤してなんとか立ち上がり自宅へと急いだ。

こんなに走ったのはいつぶりだろうか。
それほど全力でみっともなく走った。
嫌な汗をかいて先程美容院に行って綺麗に整えられたばかりの髪は家に着く頃にはぐしゃぐしゃに乱れていた。

鍵を開け部屋に入る。
そこで玄関にかけられた鏡で自分の姿を見た。
それはもう惨めな顔をしていた。
でもそんなことはもういい、だってもう私を愛でてくれる人はどこにもいないのだから。

私はそのまま靴を脱ごうと力無く玄関に腰をかけた所でそのまま後ろに倒れ込んでしまった。
冷たく硬い床の上だというのに私はそこに帰ってこれたということに酷く安心してしまう。

(靴を脱がなければ····シャワーを浴びてベッドに入らなければ)

そう考えるも身体は動こうとしない。

(····別にいいや)

結局私は何をするのも考えることすらめんどうになってそこで目を閉じた。
何もかもがどうでもいい、だって私の全てとも言える人を失ったのだから。

(なにもしたくない、なにも考えたくない。
明日なんて来なければいいのに)

ずっと眠っていたい、お願いこのまま終わらせて、叶う筈のない願いを胸に抱いて私の意識はそこで途切れた。




(····なんだろう、なんだか息苦しい)


私はそう感じて目を覚ました。
いつもと変わらない、ここは私の家で、私のベッド·····

(どうして私はここで眠っているの?)

昨日は確かあのまま床の上で眠ってしまった筈なのに、そう考えているうちに私は気がついた。

私の身体が何かに抱き締められている事に。

それに気付いた瞬間私の心臓がとてつもなく大きく鳴った。
お腹に回された腕を見る。
私がよく知っているその手に背筋が凍った。

背中に感じる体温に顔から汗が噴き出した。

「な、····んで···」

思わず小さく声を洩らした直後私の背中に貼り付いている人物が身動いだ。

身体が震える、怖い、どうしてここにIVがいるのか、意味が分からなかった。
それでも早く彼から距離をとりたくて私のお腹に回された腕をそっと離そうと触れた瞬間。
私は彼に手首を掴まれそのまま覆い被されてしまった。

「おはよう」

彼はにこりと笑って私にそう言った。
それはもう仮面を被った貼り付けたような笑顔で。

どうしてここにいるのだろう?
私は夢を見ているのだろうか?
そうではない、これは現実だとギリギリと軋む手首の痛みが告げている。

「駄目だろう?あんな場所で寝てちゃ」

そう言いながら彼は私の頬をねっとりとした手つきで撫でた。
その手はそのまま首筋へと降りていく。
このまま力を入れられてしまえば簡単に私の命は尽きてしまうだろう。

「っ····ゃ····」

それが怖くて彼の手を振り払おうとした瞬間顔を乱暴に掴まれて唇を塞がれた。
強引に舌で唇を割って口内を荒らされた。
絡めとろう動き回る舌から逃げようとするも容易に掴まってしまう。

嫌だと身体が拒絶した事で私は彼の舌を思い切り噛んでしまった。

「いっっ、···ったく、名前は悪い子だなぁ?」

彼はそれでも笑っている。
その笑顔が怖くて怖くて噛んでしまった私の方が恐怖で震えあがった。

「な、···なん、で、ここ、に····」

言葉が上手く発音出来なかった。
それでもその言葉はちゃんと伝わったらしく彼は私の質問に答えた。

「可愛い恋人から突然メール1本で別れを告げられたんだぜ?
そんなの納得出来るわけねぇよなぁ」

私の肩を撫でながら彼はそう言った。
私に触れる手もかけられる声も向けられる視線も全てが恐ろしい。

「なんでこんな事言いだしたのか言えよ」

私の送ったメールを見せながらそう言った。
確かにメール1本で別れ話を切り出すだなんて不誠実だったかもしれない。

それでも私はただ彼が私だけを見ていてくれていたならこんな事はしなかった。
別れたいだなんて思わなかった。

ずっと裏切っていたのは彼の方だったのに、どうしてこんなことで私が責められなければいけないのだろう、そう考えているうちに怒りの感情が湧いてきた。

「···IVは、IVは私だけじゃないじゃない、私以外に沢山いるじゃない、···私なんていらないでしょう?
何も知らないと思ってるの?
私は何度も何度も!
···IVが他の女の人、とっ······」

全て言い終える前に言葉に詰まってしまった。
溜まった涙で霞んで彼がどんな顔をしているかよく見えない。
まばたきをすればそこから溢れ出してしまうだろう。
そのまま涙を流してしまえばまだ彼を愛してるいると言っているようでそれが嫌だったので必死で瞬きを我慢していた。

けれど次の瞬間彼の顔が再び近付いてきて私の額に優しく唇を寄せられた。

その優しい刺激に思わずまばたきをしてしまった。
そして涙が流れ落ちたと同時に彼の顔が再びはっきりと見えるようになった。

彼の表情はとても哀しげに見えた。

「お前は俺が浮気していると言っているのか?
····もしかして昨日何か見たのか?
昨日はイベントスポンサーに何かと絡まれてな、やたらと馴れ馴れしい女だった。
俺は仕事中は愛想か良いキャラで通っているせいか拒まないとたかをくくって馴れ馴れしい女がいるんだよ。
俺がそんな女に靡いていると名前は思っているのか?」

私の頬に彼の瞳から溢れた涙がしたたり落ちた。

「名前は、···本当の俺を愛してくれている名前だけは分かってくれていると思っていた」

ぽろぽろと彼の目から流れ落ちる涙がどんどん私の顔を濡らしていく。

「俺、好きでもない女にべたべたされて最悪な気分だったけど、でも将来名前と結婚して養っていこうって気持ちがあったから頑張って耐えてたんだ。
少し我慢してればあいつらは必ず俺の役に立ってくれるからっ····
俺の力がまだ足りないから、でも、俺、俺は本当に、名前の事しか好きじゃなく、」

「ごめんなさい!!」

うさぎのように目を真っ赤に染めて涙を流すIVが言葉を全て言い終える前に彼を抱き締めて謝罪の言葉を口にした。

「私、自分の事ばっかりで、···全然余裕がなくて、貴方の事を信じられてなかった」

私の首筋が冷たい。
彼は私の首筋に顔を埋めて震えながら涙を流し続けている。

「ごめんなさい、···許して、私、本当はIVと別れたいだなんて思ってないのっ···」

そう伝えれば彼の震えが止まった。
彼は顔を上げ不安げな目で私を見る。

「本当に?···俺の事ちゃんと好き?」

「····好きだよ、ずっと、嫌いになれたらって何度も思ったくらい、嫌いになんてなれなかった」

そう本心を伝えれば彼は涙を流しながらもとても安心したように笑った。

「俺を捨てないでくれるか?」

子犬のように不安な目で私を見つめる彼に胸が痛くなって強く抱き締めて何度も頷けば彼は良かったと言って私に力いっぱい抱き付いた。

「ごめんな、俺がまだ未熟なせいで、名前が知ったら嫌なの分かってたから黙ってようとして、そのせいで名前が悲しい思いしてたんだよな?」

「信じきれなかった私が悪いの···だからもう、···謝らないで?」

何度も何度も謝る彼に罪悪感でいっぱいでそう言った。
そこでやっと彼は笑って私の言葉を受け入れた。

「ずっと一緒にいたい、···でも俺、今日も仕事なんだ···」

彼はそう言いながら私の顔中に優しく唇をあてていく。

「···今夜、遅くなっても大丈夫だから、またうちに来られない?」

「ん···行く」

私がそう訊ねればすぐにそれに同意して唇にキスをした。

「今日も泊まっていいか?」

「勿論」

私からもキスを送ればなんとも幸せそうに彼は笑った。
私は勝手な思い込みでこの幸せを自ら手離していたかもしれないも考えゾッとした。
彼にこんなに求められていただなんて思わなかったのだ。
どうして私は彼が信じられなかったのだろう。

「そろそろ用意しねぇと····」

IVは惜しみながらも私から離れた。
顔を洗い当然のように置かれている彼の歯ブラシで歯を磨き私の家に置かれていた部屋着から私服に着替えた。

こんなことがあった後で彼の仕事に支障はないだろうかと心配に思ったが身だしなみを整え終えた頃には彼はプロデュエリストのIVへと変わっていた。

食事を取る時間はなかったのでそのまま彼を送り出す事になってしまった。

「···何でもいいから買ってちゃんと食べてね?」

「ん、分かってる」

玄関で見送る私にもう一度キスをした。
そして今思い出したという顔をして私に言った。

「昨日鍵もかけねぇで玄関で寝てたんだ。
戸締りは必ずやっておけよ」

「え····あ、そ、それで、···うん、ごめんなさい、もう2度としないよ」

それを聞いて完全に心の荷が降りた。
私が朝、目が覚めてあんなにも恐怖を感じたのは鍵を持っていない筈のIVが私の部屋にいたからだった。
全て私の不注意が原因だったのだと知り妙な事を考えた自分が恥ずかしくなった。

「あ、あの、IV!これ、···持ってて?」

いつかは渡そうと思っていた私の部屋の合鍵を彼に差し出した。
彼はそれに少し驚いた表情を見せた。

「いいのか?」

「うん、···いつでも来てくれていいから、これで私がいなくても先に入れるでしょ?」

「ん、ありがとな」

彼はとても嬉しそうに笑ってそれを受け取った。
先ほどのような取ってつけたような笑顔ではない。
私もその笑顔に釣られるように笑った。

「いってらっしゃい」

「あぁ、いってきます」

彼が部屋を出た。
私はこれからもずっと彼といられるんだ。
私が思っている以上に私は彼に愛されていた。
昨日の憂いが馬鹿みたいに思える。

「今夜一緒にご飯食べられるかな?」

今夜また会える事に心が踊った。
それを楽しみにしながら私はシャワーを浴び身支度をして仕事先へと出発した。
昨日とは比べ物にならない程足取りは軽かった。

ああ、本当に私は幸せだ



























(随分と長かった)

男はタクシーの後部座席に座ってほくそ笑んだ

(これで名前は二度と俺を疑わない、何が起ころうと、俺が別れを切り出さない限り二度と俺から離れたいだなんて言わないだろう)

男は笑いが堪えきれなくなって肩を震わせながら小さく声を洩らした

(くそみてぇな気分でなんとも思っていない女を抱いたおかげで最愛の女が完全に手に入ったんだ、そう考えるとそれほど悪くねぇ仕事だったな)

「ほんとお前は可愛い女だ、名前」

(俺を想って泣く名前は最高に可愛かった、まぁあんなに髪を切っちまうとは思わなかったが。
まぁそんなこと今更どうでもいい、俺は名前さえ手に入ればどうでもいいんだ)

男の手の中で2つの鍵がかちゃりと音を立てた

(一つは家にしまっておくか)

同じ鍵は二つもいらないだろう、男は一つを大事に鞄の中にしまい一つをキーケースの自宅の鍵の隣に付けた
カチャカチャとぶつかるそれに顔のにやけがおさまらない。

(ああ、名前も家を出たか、いってらっしゃい)

男はdパッドを確認して心の中で女にいってらっしゃいと見送りの挨拶を送った

女にその声が届くことはない

なぜなら女は自身が家を出た事を男が知っている事を知らないのだから