理解は出来ても納得は出来ない。
私はつい先程届いた彼からのメッセージの文面を読んでため息をついた。
久しぶりに明後日丸1日休暇が取れたと彼が言っていたのでならばデートしようと提案するとその日は凌牙と会うからと断られてしまったのだ。
べつにどこか特別な所に行きたかったわけではない。
ただ久しぶりにゆっくり彼と会う時間が取れたら、なんて思ったのはどうやら私だけのようだった。
それに少しがっかりしてしまったのだ。
「(トーマスにとっては唯一気楽に付き合える友達だから仕方ないんだろうけど)」
凌牙君とはトーマスの口から唯一出る名だ。
友達なんて殆どいないことは知っているからそれは貴重な存在なのだろう。
でもそれを言うなら私だって彼の恋人だ。
私だって特別な存在な筈なのに。
「(私が思っている程彼は私を必要としていないのかもしれない)」
力無くベッドに寝転がってシーツの上に転がっていたぬいぐるみのサメを抱いた。
あまりにも一人で過ごす時間が長くて寂しさを紛らわす為に購入してしまったものだ。
衝動買いに近かったが今となってはこの子無しでは寝つきが悪くなってしまう程にお気に入りの子だ。
「お休みまたひとりきりなんだけどどうしたらいい?」
ぬいぐるみにそう話しかけるも勿論返答はない。
もう一度大きなため息をついて力いっぱいそのぬいぐるみを抱き締めた。
不定期でしか休日がない彼の為にあまり予定を入れることはしないようにしていた。
付き合い始めた頃何度か彼とのデートを潰してしまったからだ。
友人の誘いも断り続けていれば次第に誘いは減っていく。
なので私は殆どの休日を一人で過ごすはめになってしまった。
「私は好きでいられるだけで満足出来るような女にはなれない、それってめんどくさい?」
ぬいぐるみは表情なんて変わらない。
当たり前の話なのに私にはそのサメが私を同情しているように見えた。
それは私の願望なのかもしれない。
そんな事をしているとスマホが新たなメッセージが届いた事を知らせた。
私は気だるさを感じながらもそれを手に取って確認した。
送り主はトーマスではなかった。
「····タイミングが良い、有り難く参加させてもらおうかな?」
届いたメッセージは友人からご飯のお誘いだった。
私は2つ返事でそれを了承した。
珍しい、なんて軽い悪態をつかれてしまったが久しぶりに会える事が嬉しいと言ってくれた。
集合時間や場所を決めてそのやり取りは終了した。
明後日はトーマスの事を考えずに楽しもうと決めその日は早く眠りについた。
翌日土曜も結局私はとくに予定もなくだらだらと過ごした。
スマホは何度か鳴った。
それは全て友人からのものでトーマスからの連絡はない。
ベッドに寝転がってだらだらとSNSを流し見していると友人が恋人と仲良く同じ写真に収まっていた。
それを疎ましいとは思わないがやはり羨ましく思ってしまいスマホの画面を消してしまった。
「嫌な女になっちゃって、ねぇ?」
ぬいぐるみは何も言わない。
何も言われたくなかったから私はサメに話しかけていたのかもしれない。
つくづく嫌な女だと感じながらも怠さに身を任せ眠ってしまった。
結局私は丸一日眠って過ごしてしまった。
「名前、久しぶり」
「久しぶり、えっと、お隣が彼氏さん?」
久しぶりにしっかりとメイクをしてお出かけ着を着て待ち合わせ場所な向かった。
約束していた時刻より少し早かったが待ち合わせ相手は既に到着して私を見つけるなり笑顔で声をかけてくれた。
今日は友人が最近出来た恋人をぜひ私に紹介したいとのことだった。
私が友人の隣に立つ男性に視線を向けると愛想よく挨拶をしてくれた。
かなり行動力のある友人とはまた違ったタイプの控えめな印象を受ける。
見るからに優しそうな人だ。
「取り敢えずお店予約してるから入ろっか」
友人の言葉に頷いて私は二人の後ろを歩く。
私の前だからか手を繋いだりはしていなかったがその後ろ姿はなんとも幸せそうに見えた。
「久しぶりだよね、一緒に出かけるの。
彼氏は?今日も仕事?」
「ううん、でも今日は先約があったみたいで。
だから誘ってもらえて嬉しい、ありがとう」
今日はコースが決まっていたので飲み物だけを店員さんに注文した。
テーブルに届けられたグラスを持って3人で乾杯して一口お酒を喉に流し込んだあと友人は私にそう訊ねた。
本当に嬉しかったのだ、こういった機会は本当に久しぶりのことで。
「いつも名前は彼氏の都合を優先しているのにその彼氏はたまの休日に他の予定を入れていたの?
なんかイラっとするんだけど」
友人の言葉に友人の彼氏さんは相手にも事情があるかもしれないのだからあまり第三者が責めてはいけないんじゃないか、と友人を宥めた。
優しい上に真面目な人なようだ。
「···ごめん、名前。
嫌な気持ちにさせた?」
友人は思った事をすぐに口にしてしまう人だ。
だがそれは素直だからだ、だからこそ自分が悪いのかもしれないと思えばすぐにこうして謝罪を入れる。
「ううん、大丈夫。····イラついたことがないのかと言えば嘘になるしね」
配膳されたサラダをフォークで口に運んだ。
さっぱりとした柑橘系のドレッシングが爽やかで美味しい。
「···因みに今日彼氏のご予定は?」
「···友達と、かな」
続いて出されたスープをすする。
この時期が旬のそら豆のポタージュは重さはクリーミーであるぐ殆ど重さはない、だがとても濃厚だ。
「勿論男友達なんだよね?」
「名前はあきらかにそうだね、会ったことがないからどんな人かは知らないけど大切な人なんだろうなってことは話を聞いてれば分かるよ」
空になった器を店員さんが下げたところで根掘り葉掘り聞きすぎだと友人の彼氏さんが友人に苦言を溢した。
おそらくこの二人はそれなりに付き合いが長いのだろう。
つい最近知り合ったような関係性にはとても見えない。
「二人は凄く仲がいいよね。
別に私達も仲が悪いわけでも喧嘩したわけでもないんだけど、うん、こうして一緒にあの人と食事したのはいつだったかな····ご、ごめん、ただの愚痴だから」
「···」
つい溢れてしまったネガティブな言葉にすぐに我に返った。
不満を言う為にこの場にきたわけではない。
配膳された牛フィレ肉のステーキにナイフを入れた。
上質のそれはそこからすんなりと引き裂かれ切り離された。
口に運べばそれは溶けるように消えていく。
上質な脂なのかそれもけしてくどすぎるなんてことはなかった。
「ねぇ、そういれば名前って最近全然どのSNSも投稿してないよね」
「何処にも出掛けていないしね。
一度しなくなる習慣がなくなっちゃうんだよね、ああいうの」
そもそも向いていないのかもしれない。
それこそ今日は絶好のチャンスだったのだ。
友人は食事を始める前に写真を撮っていた。
私はそれを見ても何も思わなかった。
「···名前の彼氏はSNSやってるの?
というか繋がってる?」
「···仕事の延長って感じかな?
あくまでも仕事用だから私の一方通行で彼は私のことフォローしてないしSNS上でやり取りしたこともないよ」
「···彼氏ってまさかホストとかじゃないよね?」
友人は怪訝な表情でそう訊ねた。
私は笑って違うとそれを否定した。
まぁトーマスは女性ファンが多くファンサービスも積極的にしているから近いところはあるかもしれないのだが、それは言えなかった。
私はトーマス、IVと付き合っているということを誰にも言えずにいた。
友人には悪いなと思う気持ちもあるがかればっかりは仕方ないのだと自分に言い聞かせた。
「···ねぇ、名前。
今日は折角だから久しぶりに投稿しない?
写真撮ろうよ!」
友人は私を心配してくれているのだろうか?
だとしたら本当に申し訳ないことをしてしまった。
私にとってこんなことはもう慣れてしまっていることなのに。
だからこそ私は友人の気遣いを拒めなかった。
「ん···そうだね。こんなに美味しいご飯も食べられたんだし、折角だもんね」
「よし!じゃあ写真撮るから、ねぇ、名前の隣に座って!」
友人は友人の彼氏さんにそう言った。
彼は何故?と不思議そうな顔をしたがすぐに何かに気付いたらしくトラブルになっても知らないぞ、と友人に苦言を溢す。
友人は大丈夫だから、と彼を促した。
彼は私に一言ごめん、と断りを入れてから私の隣に腰をかけた。
「じゃあ撮るよー」
なぜ私は友人の彼と写真を撮っているのだろうか?
友人と私が一緒に撮るのが自然だと思うのだが。
私がそんなことを考えているうちに友人はスマホのカメラのシャッターを切った。
そしてその写真はすぐに私のスマホに送られてきた。
「そうそう、ここ写真付きで投稿したら割引もしてくれるみたいだから今投稿しちゃって!」
「え、あー、うん」
友人に急かされ私は先程撮った写真を投稿した。
若干表情がひきつってはいたが殆どのフォロワーが友人なのでまぁいいかと思い投稿後画面を再びオフにした、その直後だった。
「え···」
私のスマホが着信を知らせた。
そしてその相手はトーマスだったのだ。
どうしたものかと画面を見つめ固まってしまった私に友人は訊ねる。
「···ねぇ、もしかして彼氏?」
「あ、うん···」
それを肯定すれば友人は何やら楽しげな顔をした。
「私達の事は気にしなくていいから電話しておいでよ」
コールは鳴り止まない。
私は少し躊躇しながらも席を立った。
「ごめん、すぐ戻るね」
「気にしなくていいよ、ごゆっくり〜」
友人が妙に笑顔なのが気になったが私は友人と友人の恋人に軽く頭を下げ店の外へと出た。
店の外に出て鳴り止まないスマホの通話ボタンを押しスマホを耳にあてた。
「···もしもし?どうしたの?」
『お前今どこにいる?』
電話に出るやいなやトーマスの苛立った声色にどきりと心臓が鳴った。
「えっと、私の最寄り駅近くのイタリアンレストランだけど」
『···誰といんだよ』
一体どうしたのだと言うのだろうか。
なぜトーマスは私を責めるように口を聞いているのか、少しイラついてしまった。
「友達といるから、待たせているから用がないなら切るね」
『おい!名前!おまっ』
トーマスが何か言いかけていたが私はそれを聞こうとせずに通話終了ボタンを押した。
すぐに電話が鳴ったが私はそれを取る気になれずにスマホの電源をオフにしてしまった。
大人げないことをしている自覚はある。
でも私は何故か我慢出来なかった。
あのまま話していれば彼を傷付ける言葉を口にしてしまいそうだったから。
「(どっちにしてもこんな態度とったら不快な気持ちにさせただろうけど)」
たまに連絡してきた時くらい可愛い彼女でいてあげられたら、そんな事を思いながらも私は電源の入っていないスマホをポケットにしまった。
「ごめん、お待たせ」
「あれ、早かったね。もういいの?」
友人達の元に戻ると既にテーブルにはデザートがあった。
友人達はまだ手をつけていない、待っていてくれたらしい。
「うん、待たせてごめんね。デザートいただこっか」
「気にしなくて良いってば。彼氏なんだったの?」
デザートはヨーグルトのムースケーキにビワのコンポートがたっぷりと乗ったものだった。
さっぱりとしたムースに完熟したビワの甘味は絶妙の組み合わせだ。
しっかりとした味わいながら胃もたれしそうにないその甘味が私の複雑な心を癒していく。
「今どこにいるのかって···でも途中でスマホの電池がきれちゃって、また帰ってから連絡いれるから大丈夫だよ」
「···ふーん···ねぇ、どうして名前の彼氏がこのタイミングで連絡してきたんだろうね?」
友人もケーキを口に運ぶ。
すぐに美味しい、と笑顔になって何も許可を取らずに恋人のケーキからビワを取ってそのまま食べてしまった。
友人の恋人は呆れた顔をしながらもそれを咎めない。
「美味しいね、ここの料理、全部」
「そうだね、彼氏と来たくなった?」
友人の言葉に手が止まる。
私は顔を左右に振って分からないと言った。
友人はそっか、と一言、早々にケーキを食べ終えてしまった。
「多分ね、名前の彼氏って名前が思ってる以上に名前の事好きなんだと思うよ」
友人は気を使ってくれているのだろうか。
だとしたらその気遣いを少し負担に感じてしまった私は最低だと思う。
「名前が今考えてることなんとなく分かるよ、でも「名前!!」
友人の言葉を遮るように呼ばれた名前、掴まれた肩、友人達の驚いた顔。
振り向かずともそれが誰の声かなんて理解出来た。
「え、まさか、名前の彼氏って、····IVだったの?」
気の利く友人だ、驚きはしつつも私達にしか聞こえないボリュームで私にそう訊ねた。
私はゆっくりと振り返る。
薄い色の入った眼鏡に深めの帽子、特徴的な髪色は隠れてはいるものの眉間から頬に入った大きな傷痕は隠す事は出来ない。
どれ程急いでここに来たかは分からない。
首筋には汗がつたっていて息は乱れている。
そして友人を見た瞬間トーマスはなんとも言えない表情をしてそして項垂れた。
「···名前を借りてごめんなさい、私はそれなりに長い付き合いの名前の友人でこちらは私の恋人です」
友人は恋人の腕を抱きにこりと笑ってトーマスにそう言った。
トーマスはなんとか表情を作って挨拶を返すもその表情は普段ファンに接する時のものとは明らかに違うひきつった笑顔だった。
「丁度食事を終えた所だったんですよ。
これで解散しようと思っているので名前の事お願いしてもいいですか?」
「あ、は、はい···勿論そのつもりです。
お二方、彼女を、···失礼します、ね」
食事前にこの後カラオケに行こうなんて話していたのに友人はそう言った。
やはり気を使わせてしまったのだろうか。
それにしたってトーマスは今日予定が入っていたというのに、そもそもどうしてここに。
私を抜きに進む展開に私だけが置いてきぼりを食らっていた。
そして動揺している私を気にすることもなくトーマスは私の上着と鞄を手に取りもう片方の手で私の手を握りそこを後にしようとした。
私は腕を引かれながらも友人の方を振り返ると友人は笑顔で私に手を振って見送っていた。
トーマスはレジで当然のように私達の分の食事代を払いそそくさと店を出た。
慌てて私の鞄から財布を取りだそうとするもトーマスは私から鞄を遠ざけて歩き始める。
私はなんとなく逆らうことが出来ずに手を引かれたまま彼に着いていく。
足の向いている先はおそらく私の家なのだろうということは予測出来た。
こうして手を繋いだのはいつぶりだろう、先程まで少し怒っていたのにこんなことを考えて少し嬉しく思ってしまった私はやはり彼の事が好きなのだろうと改めて自覚させられた。
「お茶淹れるからちょっと待ってて」
家に上がりトーマスにそう伝えるもトーマスは動こうとしない。
「座っててい、」
楽にしていていいと言い終える前にトーマスは私を抱き締めた。
私はそれに驚いて手に持っていた紅茶のパックが入った入れ物を落としてしまった。
幸い容器はプラスチック製であった為割れてはいない。
円柱型のそれはころころと転がっていく。
「····トーマス、どうしたの?」
抱き締め返そうかと思うも躊躇して、代わりに彼の背中をトントンと叩くと彼はそれを離せと抗議しているかのように受け取ったのか更に強く抱き締められた。
「···お茶は後にして、取り敢えず座ろっか、ね?」
今度こそ彼の背に両手を回して抱き締め返せば彼の腕が少し緩んだ。
そして身体を少し離して私の顔を見て頷いた。
私を見るトーマスの顔はまるで何か悪い事をして怒られる事を想像して怯えている子供のようだった。
「ねぇ、そういえば凌牙君は?もうよかったの?」
「···」
トーマスは無言で首を縦に振る。
怒鳴るように電話をかけてきた時とはえらい違いだ。
別人かと思う程しおらしい。
「凄く怒っていたように聞こえたけどもしかして私の家に来てくれてたの?
ごめんね、出かけるのトーマスが予定があるって聞いてから決まった事だったから。
でもあんなに怒られるなんて思わなかった」
「····名前、SNSに、男と写真載せてただろう。
俺···てっきり····」
今日投稿したものを彼が見ていたらしい。
それで浮気を疑われてしまったようだ。
あの時友人が投稿を急かしたのはこれを予想していたのだろうか?
だとしたら友人のよく分からない行動の意味も理解出来た。
「····多分友達はトーマスがそれを想像して、うん、ごめん。
···それにしたってよくあんなに早く私の投稿見つけられたね。
トーマスは私の事フォローしてないのに」
「······別垢でフォローしてて、投稿したら通知が来るように設定してる、から」
私のアカウントは殆どのフォロワーが友人だ。
だが全てではない、数人ネット上でしか知らない人もいる。
その中にトーマスがいて、更にそんな設定までされていただなんて今の今まで想像していなかった。
「···教えてくれれば良かったのに」
「···なんとなく、ストーカーみたいだから、言えなかったんだよ」
黙ってそれをしている方がよっぽどストーカーチックに感じるのは私だけなのだろうか?
やはり私には彼の考えていることがいまいち分からない。
「ねぇ、トーマス。私ね、最近トーマスにちょっとイラついてた。
私ってトーマスの彼女な筈なのにトーマスは私なんて居ても居なくても一緒なのかな、って」
「違う、そんなんじゃねぇよ!
寧ろ俺の方が、居ても居なくても同じなのかって···名前俺に会いたいとか全然言ってこねぇし···」
この前デートに誘ったのは私だったと思うのだけど、私には勇気のいるお誘いだった。
でもそのお誘いはトーマスの先約によって破棄されてしまったのだが。
暫く会えていなかったこともあってあれは結構私の心をやさぐれさせてしまった。
「凌牙君と会ってたんでしょ?
もう先に決まってたことだったから、あれ以上何も言えなかったんだけど」
「今日の事だけじゃなくて、名前が会いたいって言ってくれたら仮に一時間とかでも時間を作って会いにくるし、今日だってその後会えるか、とか···全然言ってこなかっただろ」
トーマスの無茶苦茶な言い分に私は言葉が出なかった。
おそらく分かっていないのだ、私がトーマスに対して何をするにも緊張してしまっていることに。
嫌われたくない、重荷になりたくない、そんなことばかり考えてしまう私にそんな事言える筈がない。
最もそれだって私が彼に話したことはない。
だからそれに彼が気付かないのだって仕方のない事なのだけれど。
「···それを言うなら···私だって寂しかった、けど···仕事じゃない時間を全部私にくれだなんて····」
言える筈がない、私にそれほどの権限はない。
本当は凌牙君にだって嫉妬している。
きっと我が儘を言えばそれが隠せなくなってしまう。
「俺は言われたい。いつだって俺は名前のことばかり考えてるのに、それは俺だけなのかって考え始めるとなんか、なんか寂しい」
「そんなことない。私だってトーマスの事ばかりだよ。
突然時間が出来て会える時があるかもしれないからお休みだって友達の誘いを殆ど断ってた。
だからあんまり誘ってもらえなくなって最近はずっと寂しい休日を過ごしてきた。
今日出掛けたのだってトーマスが無理だって言った後のお誘いだったから」
この言い方では彼を責めてしまっている、それを自覚して胃がムカムカしだした。
喧嘩をしたいわけではないのに、なんとも恩着せがましい言葉を言ってしまった。
罪悪感を感じている筈なのに、私は、
「···だったら今日、帰らないで。
今から着替え買いに行って朝までうちに居てよ」
帰っちゃ嫌だと駄々をこねるように私は彼に抱きついた。
自分からこんなことをしたのは初めてかもしれない。
どんな顔をしていいか分からなくて彼の肩に顔を埋めた。
速くなった心拍数が更に私を追い詰める。
いったい彼は今どんな顔をしているのだろうか。
「····分かった、というか最初からそのつもりでいた。
帰れって言われても今日はもう帰るつもりなんてなかった」
トーマスも同じように私に抱きついてそう言った。
首筋にすりよせられ顔に彼の髪の毛が擦れて擽ったかった。
でもその久しぶりの感触が心地よかった。
「明日の朝早くない?私は仕事だから7時前には起きるけど···」
「俺もそのくらいの時間で大丈夫だ、だから帰らないで」
もう絶対帰らないと主張するかのように私に回された腕に力がこめられる。
ちょっとしたことで喜んでしまうのが少し悔しい。
腹を立てていたにもかかわらず、これが惚れた弱みというやつなのだろう。
「もし、もし次の日に支障がなければでいいから、これからはたまにこうして泊まりに来てくれる?」
「ん···なら毎日来る」
「ま、毎日とまでいかなくてもいいから···」
それじゃ同棲しているも同然だし、何より毎晩こんな庶民感丸出しの一人暮らし向けマンションに出入りしていてはそのうち週刊誌に写真でも撮られそうだ。
「何なら婚約者が出来たって公表してもいい」
そうすれば別に変な勘繰りをされることはない、なんてトーマスは言った。
プロポーズもされていないのに彼はいきなり何を言うのだ。
「トーマスは私と結婚、したいの?」
「当たり前だろ。·····名前はそんな気無かったって言うのか?」
トーマスはじとりと責めるような目で私を睨んだ。
そんな事、想像したことがないわけではないがこんな状態が続いていたのだ。
あまり希望を持ちすぎないように自制していたのだが、これを言えばまた嫌味っぽくなるだろうかと考え言葉が引っ込んだ。
「なんでも言えよ。もうこんなことですれ違うのなんてごめんなんだよ」
「···トーマスが私とどれだけ本気で付き合ってくれているのか分からなくって、だから期待はしないでいようかなって思ってた」
そう促されて正直な気持ちを口にすればトーマスの顔が途端に不機嫌になった。
だから言いたくなかったのに、なんて考えているとトーマスは頭をがしがしとかいてため息をついた。
「···寂しい思いをさせて悪かった。
俺の名前の口から俺を求めてほしいっていうつまんねぇ意地のせいで名前に嫌な思いさせたことも悪かった。
けど俺は本気で名前と添い遂げたいと思ってる」
そう言ったトーマスの髪の毛はボサボサで走ったことで暑くなってシャツのボタンはいつもより外されいて襟もよれていた。
それでも普段と違い身なりをきちんと整えているとは言えない彼にも関わらず私には特別にかっこよく見えた。
「···私も、そう出来たら嬉しいって思ってるよ」
手ぐしで彼の乱れた髪を整えた。
ある程度綺麗になった所でトーマスは再び私に抱きついて胸に顔を埋めた。
「じゃあ今から婚姻届け出しに行く」
「え、そ、それはいくらなんでも···」
どうにも極端な彼の言葉に苦笑いを浮かべてしまう。
子供のような事を言う彼の頭を撫でながら考えた。
子供の頃のトーマスはどれ程可愛かったのだろうか、と。
「その時はちゃんとトーマスの家族とか私の家族にも紹介させてね」
「じゃあ今から俺んち来るか?」
どうにも彼の気持ちに火が着いてしまったようだ。
気持ちは嬉しいが私の心の準備が出来ていないし何よりこういった事を勢いで進めたくない。
「大切な息子さんと結婚させていただくのだからちゃんと前もって日を決めて約束をしてから、ね?」
「····分かった」
不服そうな顔をしながらもトーマスは私の言葉に首を縦に振った。
正直トーマスとはこのまま自然消滅してしまうのでは、と予感していた。
なのに事は想定外の展開を見せた。
「下着とか最低限のもの買いに行こっか。
うちに置いておくようのもの」
「じゃあついでに不動産屋も行く」
トーマスは本当に理解しているのだろうな?
どうにも火の着いた彼の気持ちはなかなか収まる気配がないらしい。
「それもまた今度。きちんとお許しをいただいてからね」
よしよしと頭を撫でればやっぱり拗ねた顔をした。
こんなに彼は子供っぽかっただろうか?
だがそんな彼も嫌いではない、寧ろ好きだ。
「その代わりトーマスの枕買おっか」
「そんなの全然代わりになってねぇよ」
自分でも無理があるなとは思いつつ口にした言葉だったので笑って誤魔化すしかなかった。
トーマスはちらりとベッドに視線を向けた。
そしてそこでまた微妙な表情を見せる。
「···なぁ、あれって···」
「ああ、この子?抱き枕が欲しくてお迎えしたの。
サメのシャーク君。この子が来てから夜寝つきが良くなってね、毎晩一緒に寝てるの」
サメだからシャーク君だんて直結すぎてセンスないかもしれないけれど、なんて笑いながらその子を手に取りトーマスに見せると益々変な顔をした。
「トーマスも今夜シャーク君抱いてみる?」
「や、やめろ!」
トーマスは私の手からサメのぬいぐるみを取り上げそのまま部屋のすみに放ってしまった。
「え、ちょっと、可哀想じゃない!
トーマスってサメ嫌いなの?」
投げられてしまったその子を拾い再び胸に抱けばトーマスは先ほどより不機嫌を露にした。
「サメが嫌いとかそういう問題じゃねぇ、っけど!!そいつをシャークって呼ぶのはやめろ!!」
怒っているというより子供が癇癪を起こしていると表現する方が適切かもしれない。
何か嫌いなキャラクターでもいるのだろうか。
「りょ、凌牙と、毎晩っ、お、俺だって毎晩名前と寝たいってのに!!」
「え?凌牙君とって、···もしかして凌牙君シャークってあだ名、とか?」
話がおかしな方向に飛躍してしまっている。
顔を真っ赤にして怒る彼、今日はいろんな表情を見る事が出来た。
私が思っていたよりずっと表情筋が柔らかいようだ。
「ごめんね、一人で寝るの寂しくて。
サメ君に一緒に寝てもらってたの」
「っやっぱり毎晩ここに泊まる、というかもう住む!!」
シャーク君とは呼ばなかったのにトーマスは面白いくらいに反応を見せる。
毎晩来られない事は自分が一番分かっているだろうに。
それにしてもこんなに私を好きでいてくれたなんて、もっと早く見せてくれればよかったのに。
「いつだって来てもいいけど無理はしないでね。
じゃあ早めに出掛けよっか。
鍵屋さんが閉まる前に合鍵作りに行こう」
サメのぬいぐるみをトーマスから遠ざけ再びベッドの上に戻した。
トーマスはそれを目で追ってまだ睨んでいたが合鍵の言葉にこちらに目を向けた。
キラキラと目を輝かせるその姿は散歩に連れていってもらえる前の犬のようだった。
彼の背後に勢いよく振られる尻尾の幻覚が見えた。
「あ、そうだ。今度俺をデフォルメ化したぬいぐるみが出るらしいから今度持ってくるな!」
「え、···す、凄いね。あ、ありがとう、楽しみにしてるね」
さすがは有名人。
きっとトーマスなら等身大抱き枕なんかが出ても凄く売れるんだろうなぁと思った。
確かに彼の抱き枕を世の中の女の子がこぞって購入して抱いていたら少し妬くかもしれない。
それにしてもシャークなんてあだ名のトーマスの友人はどんな人なのだろうか。
「ねぇ、トーマス。凌牙君ってどんな人なの?」
「····別に····生意気だし一々ムカつく野郎だし俺よりデュエル強いって自信持ってるしほんとムカつく野郎だ、···けど···嫌いじゃねぇ····」
やっぱりトーマスは素直な子だった。
口では悪態をつきながらも凌牙君の事を話してるトーマスの表情は柔らかい。
纏っている空気もだ。
「いっそあの子の名前凌牙君にしちゃう?」
「···今晩覚えてろよ」
「えっ」
冗談半分で言った言葉にトーマスは胡散臭いくらいの笑顔を貼り付けてそう言った。
私が慌てて冗談だったと伝えるもトーマスの表情は変わらない。
「取り敢えずさっさと買い物済ませて帰ってきたらそのままベッドで可愛がってやるからな。
もう二度と名前が不安なんて感じないくらい抱いてやるから覚悟しておけよ」
「····せめてお風呂は入らせてね」
彼は明日が平日だということを忘れているのではないかと不安が過った。
でも私はそれを口にすることは無かった。
そう、全力で否定してしまう程それが嫌では無かったのだ。
「じゃあ名前のリクエストに応えて風呂での一回戦目、期待してろよ」
「····」
この展開は期待していなかった。
ただ汗を流したい、その思いからだったのに。
でも私はもうそれ以上何も言わなかった。
これは彼の私に向けられていた愛に気付けなかった、信じられなかった事への罪滅ぼしみたいなものだ。
今夜は思う存分彼の愛を受け止めようと思う。
「お揃いのパジャマ買っちゃおっか」
「ああ、それいいな!」
出かける前に洗面台の前で軽く化粧を直していた。
部屋に戻るとベッドからサメが消えていた。
トーマスはトイレを借りると私と入れ換わりで部屋を出た。
音を立てないようにそっとクローゼットを開けるとそこにサメは入れられていた。
「(ごめんね)」
その子を撫でながら心の中で謝罪して再び静かにクローゼットを閉めた。
これからはトーマスのいない時だけ抱くことにしようと決めた。
二人揃って部屋を出る。
これからはそんな機会も増えるだろう。
いってらっしゃいやおかえりなさい、これからきっと数えきれないくらい言えるようになるのだ。
後日私達がより信頼しあえる関係になるきっかけになった友人に改めてお礼を兼ねての食事会を行った。
今度はトーマスも一緒に。
トーマスは仕事以外での付き合いが広い方ではないこともあり少し緊張していたがトーマスを私の恋人としか見ていない友人の態度にすぐに緊張は溶けた。
私は初めて友人に恋人を紹介出来たことが嬉しかった。
まだまだ友人みんなにトーマスを紹介することはまだ出来ない、だがそんな未来もそう遠くはないだろうと思う。
二人の未来がハッピーエンドを迎えられるように、私自身も努力を忘れないようにしたい、そう強く思った