素晴らしき日常

朝目が覚める。
カーテンから漏れる光が眩しい。
思いきってそれを全開にした。
空は気持ちいいほど青く晴れ渡っていた。

時計を確認すればまだ7時前だった。
今日はゆっくりしていられる日ではあるがどうしようかと悩みながらも私はそのままベッドから出た。
シーツと枕カバーを引き剥がしてそれらを洗濯機に放り込んだ。
洗剤を入れスイッチを入れると洗濯機は動き始める。

人間起きてしまえば途端にお腹がすいてくるものだ。
空腹を自覚した私はキッチンに移動して冷蔵庫を開ける。
今日買い物に行くつもりだったので冷蔵庫は空同然だった。
牛乳はあったので今日はシリアルで済ますことにした。

「いただきます」

シャクシャクと静かな部屋にやたらと咀嚼音が響いたように感じる。
少し寂しさを覚えるようなそんな空間、けれど私はそんな時間にそれほど寂しさを感じることは無かった。
それはきっと当たり前に訪れる幸せを知っているからだろう。

シリアルを食べ終えてそのまま食器を持って流しに置いた。
油を使っていないので水洗いで済むから楽なものだ。
使ったものもお碗ととスプーンのみだったので洗い物にかかった時間は1分にも満たないかもしれない。
洗い終えた食器を食器乾燥機に入れ、私は再び寝室へと戻った。

カロリー補給を終え頭も回り始めたので早速今日の仕事に取り掛かる。
ベランダへ続くガラス戸を開け布団を外に干していく。
今日は本当に良い天気だった。
シーツの洗濯が終わったら衣類も続けて洗濯してしまうことに決めた。


シーツも干し終えて2度目の洗濯機を回している間に私は買い物を済ませることにした。
今夜は何にしようか決めかねながらスーパーに行き店頭に貼られたチラシをチェックした。
1000円以上買えば卵が安くなるらしい。
卵の消費量はうちでは多い方なのでここは2パック買う事にする。
割り引きが効くのは1つのみだがどちらにしろ2つ買う予定であったからその辺りは気にしない。
この前冷凍しておいたパイ生地をそろそろ使ってしまいたい。
エッグタルトかカスタードパイにしてお茶と楽しむか、それとも今夜キッシュにしてワインでも開けるか、これは相談してみよう。
私はああでもないこうでもないと思案しながら適当に必要な食材をかごに入れていった。
時計を確認するとそれなりに時間が経っていた。
あまりのんびりしていると洗濯が終わってしまうと気付いて少し急ぎ気味で購入した商品を袋詰めしていく。
洗濯ものを干してから出れば良かったのではないかと人に言われてしまえばぐうの音も出ないのだが今日はゆっくり時間を掛けて料理がしたい日だったのだ。
可能な限り時間を無駄にしたくなかった。
全て袋詰めを終えスーパーを出る。
自宅までの距離は歩いて5分程だ。
早歩きをすればもっと早く帰れるだろう。
今日の私は少し浮き足立っている。
それなりに重い荷物を苦に感じないほど軽い足取りで家への帰路を歩いた。









「おかえり」

「···え、な、なんで?」

家に帰れば私を笑顔で出迎えてくれた今ここにいる筈がない人。

「予定より早く済んだから早い便で帰ってきたんだよ」

トーマスは私の手からスーパーの袋を取り上げた。
そしてそれをそのままキッチンに運んでいった。
私は少し驚きながらも靴を脱いで部屋に上がる。
手を洗いに脱衣場に入ったところで洗濯機がピーピーと電子音を鳴らし私に洗濯が終了したことを知らせた。

「俺がやっとくから食い物冷蔵庫に頼む」

「いや、トーマス疲れてるんだからいいよ、ゆっくりしてて」

取り敢えず洗濯かごに出してしまおうとしているとトーマスにかごを取り上げられてしまった。

「良いからお前はあっち」

「···ありがとう」

トーマスは私の背中を押して脱衣場から追い出してしまった。
私は渋々彼の言葉に従うことにして冷蔵庫の元へと向かう。
しかしそこに買い物袋は無かった。
もしかしたら、と冷蔵庫を開けてみると既に食材は冷蔵庫の中にしまわれていた。

「トーマス、もう終わってたじゃない」

私は慌ててベランダに向かい私の洗濯物を干しているトーマスに不満を訴えた。
トーマスは一週間近く泊まり掛けの仕事に出ていた。
今彼が干している洗濯物は全て私のものなのだ。

「終わってたなら良かったじゃねぇか」

自分がやったにも関わらずトーマスは他人事のように言う。
何故こんなにも私を甘やかそうとするのだろうか。

「···ちゃんと眠れてた?
予備の布団出すから仮眠とる?」

「まぁ多少寝不足っちゃ寝不足だけど今すぐ寝たいって程でもねぇから大丈夫だ」

私よりずっと華奢なトーマスは力がそれほど強いというわけではないが体力はある方だ。
それは男性特有なのだろうか。

「···とにかくこれが済んだらゆっくりしてね」

私はトーマスの隣で自身の洗濯物を干していく。
トーマスが私の下着を干しているのを見てなんとも複雑な気持ちになった。
彼が家にいない日は誰にも下着を見せる機会は無いのだ。
綿100%のその下着は如何にも気を抜いていましたと言っているようなものだ。
トーマスがそれに苦情を入れるような野暮な男で無いことは知っている。

それでも彼がいる日はそんな下着を身に付けないというのはまだまだ彼に女の子として見られていたいという私の意地のようなものだ。
まぁ顔色1つ変えずに私の下着を干している彼にはあまり関係のない話かもしれないのだが。




「トーマス、何か食べた?
お腹が空いてるなら何か用意するけど」

「朝は食った。
空港で美味そうなベーグルが売ってたからそれ買ってきたから後で一緒に食おうぜ」

帰るのは夕方になると思うと聞いていた。
昼食の用意がないかもしれないと思っての彼の私に対する気遣いなのだろう。
頭の上がらない話だ。

「···取り敢えず紅茶淹れるね」

「ん」

これでやっと私は彼の為に仕事が出来た。
と言っても紅茶を淹れるのはトーマスの方が上手いのを重々承知しているのだから嫌になる。

「お待たせ」

ソファーに座っていたトーマスの元に二人分の紅茶を持っていく。
テーブルにそれをそっと置いて私も彼の隣に腰をかけた。
たった一週間しか経っていないというのに随分久し振りに感じるのは以前とは違い毎日顔を見る生活に慣れてしまっていたからだろう。

「何も無かったか?」

「うん、平和そのもの、だったかな」

トーマスはなら良かったと笑って紅茶を一口飲んだ。
私も同じように一口、やはり彼の紅茶と違い何か物足りない気がする。

「寂しかったって泣き付いてきてもいいんだぜ」

「トーマスの方こそ」

寂しくなかったと言えばそれは嘘になる。
けれどトーマスは毎晩電話を入れてくれたり何よりテレビを付ければ彼の活躍を確認出来た。
あまり離れていたという実感はないのだ。

「俺は寂しくてあまり眠れなかった」

トーマスはカップをテーブルに置いた。
何か訴えるような視線に私も同じようにカップを置く。

「···私もなかなか寝付けなかったよ」

トーマスが私の身体を抱き寄せた。
一週間ぶりの抱擁はいつも以上に安らぎを私に与えた。

「んな事言って浮気してねぇだろうなぁ」

「トーマスこそ、可愛い女の子と沢山会ってるくせに」

もっともそれは仕事上での話だ。
分かっていて敢えて口にした言葉にトーマスは少し不機嫌な顔を見せる。

「誤解を招くような事言うな」

「ごめんね」

彼の苦言に素直に謝罪すればため息を1つついてお腹に回された腕に力が入る。

「お前以外に···もう分かってんだろ?」

「トーマスこそ私の気持ちなんてとっくにわかってるくせに」

彼が私との結婚を発表した時はそれなりにファンに騒がれた。
主に女性ファンに、だが。
心無い中傷やあること無いことで責められた時傷付かなかったと言えば嘘になる。
それでも私にはトーマスがいた。
誰よりも私を愛してくれた人、誰よりも私を傷付けぬよう矢面に立って私を守ってくれた人。
この人と共に生きられることを心の底から嬉しく思った。

「そういえば言ってなかった。
おかえりなさい、トーマス。」

「ただいま、名前」

私は彼を見送り彼は私の元に帰ってくる。
いってらっしゃい、おかえりなさい。
それを当たり前に言える権利を持った私がどれ程幸福か、それはどんな物差しでも測れるものではないだろう。

「こっちもまだだったな」

「···ん」

彼の言葉に眼を閉じると優しい柔らかな感触が唇に触れる。
軽い触れるだけのキス、なんて心地良い感触だろうか。

「···やっぱ布団出すか」

「···ん···眠くなっちゃった?」

トーマスの肩に顔を埋めてそう訊ねた。
もしも眠るのであれば私も隣で眠りたいと思ってしまった。
けれど彼は眠りたいわけではないようだ。

「飯の前に食べたいものが出来た」

「······もう···」

トーマスは私の頭を撫でて頭にキスをした。

「ご機嫌取りしてただろ?」

「···最初っからその気だったのね」

今日はやけに優しすぎるとは思っていた。
それは彼の下心から来るものだったらしい。
もっとも私はきっとそんなことをされていなくとも彼を拒むなんて選択肢など無かったのだけれど。

「もう30分もすればシーツも乾いちゃうよ」

「······仕方ねぇな···その分頑張ってもらうからな」

一体私は何を頑張らされるのだろうか。
妙な事を言い出さなければいいのだけれど、彼はたまに変わった事を求めるところがあるから少し不安が過った。

「···トーマスに美味しいご飯食べてもらいたいから手加減してね?」

「俺も手伝ってやるから安心しろよ」

意地の悪い顔で笑う彼を見て私は予感した。
きっと今夜は何か出前を頼むことになるのだろうということを。
でもそんな日があったって別に良いだろう。
隣にはトーマスがいるのだから。
二人で食べられるなら焦げた魚も辛すぎたカレーも延びすぎたパスタだって笑って食べられた。

一緒にいられること、それが一番の幸福なのだ。

「大好きよ、トーマス」

「ああ、とっくに知ってる」


この時私が早くシーツが乾いくれたらいいのに、なんて考えていた事はきっと彼にはバレていたのだろう。