平穏な日々に感謝を

「何かあったのかな...」

「どうかしたの?」

朝食を食べ終え携帯を確認してそう一人言も溢した私に母は訊ねた。

「あーえっと、今日テツヤくんと約束してるんだけど時間とか決めてなくて取り敢えず9時までには連絡いれるって言われたんだけど来ないから。...まぁ疲れて寝てるだけかもしれないけど」

「もう9時半ねぇ」

時計を見て母がそう答えた。
まぁ寝ているだけならもう少し寝かせてあげてもいいのだけれど、でもそうすれば後で怒るということは分かっているから。

「直接会いに行ったら?」

「...そうだね」

私達が生まれた時からの仲だからこそ出た案だ。
母と彼のお母さんは私達同様に親しく一緒に食事や旅行に行くことだってある。
そのおかげもあって私達も仲良くなれたのだけれど。

「テツヤ君最近どんどんかっこよくなったわね。昔は男の子とは思えないくらい可愛かったのに」

「...まぁ、うん。そうだね...」

母にとっても息子同然だからなんだろうけどそんな彼と恋人関係になった今となっては親にそういう話をされるの反応に困ってしまう。
そして微妙な返しをすると母は拗ねてしまうから少し困りモノだ。

「あんな良い子なかなか出会えないんだからテツヤ君の好意に胡座かいてちゃだめよ」

「わ、分かってるよ!」

勉強や進路には何一つ口出しされたことはないのに彼の事に関してはわりと昔からこうだ。
中学の頃一時期顔も合わさなくなった頃は不自然なくらい彼の話を全くしなくなっていたから空気は読んでくれているのだと思うけど。
でも親とこんな話をするのはやっぱり気まずい。

「あ、そうそう、ケーキ買ってあるから今日持っていきなさいね」

「...うん、ありがとう」

昨日の朝から言ってあったからだろうか。
多分母は私の為というより彼の為に買ってきてくれたのだと思う。
ありがたいことにこういう事は逆でもある。
テツヤ君のお母さんも私の為にかなりよくしてくれているのを実感することが度々ある。
ついこの間1人で外出中に偶然彼のお父さんと出会いお昼をご馳走になったこともある。
この環境が如何に恵まれているのかなんて私が1番理解している。

「...お母さん、いつもありがとう」

母がいなければ今の私はいないから、少し困った部分はあっても本当に感謝している。
親子間で敢えて口に出して言う機会は少ないけれどこうして一緒に暮らす時間も限られているから。
出来るだけ感謝は伝えたいと心掛けている。

「私が名前くらいの年頃に親に感謝なんてろくに伝えたことなかったのに、テツヤ君だけじゃなくて名前も良い子だったから今があるのかもしれないわね」

本当に擽ったい。
母にごちそうさまを言って2人分の食器を流しに運びそのまま洗った。
母は私にありがとうと言って服を着替え始めた。

「お母さんも出掛けるの?」

「ええ、今日はテツヤ君のお母さんとお買い物に行くのよ。ランチとお茶もしてくるから帰るのは夕方になるから貴方達はごゆっくり」

何か含みのある言い方に感じるけれど気付かないふりをした。
でもそうなると彼のお母さんが出掛ける前に一度様子を見に行った方がいいかもしれない。
私も身だしなみを整え財布と携帯と母の買ってきてくれたケーキを持って彼の家に向かった。



家を出て10秒で彼の家に着いてしまう。
インターホンを押すとカメラで私が来たことを確認したのであろう、彼のお母さんがそのままドアを開けてくれた。
彼のお母さんも母同様に元々綺麗だけれど今日はお出掛けするからだろうか、いつもよりもっと綺麗だ。

「おはようございます。朝からごめんなさい、今日テツヤ君と約束しているんだけど約束してた時間になっても連絡が来なくて...もしかして体調崩してたりする?」

「おはよう、名前ちゃん。ごめんなさいね、多分まだ寝てるだけだろうから上がって様子見てきてくれる?私ももう出る時間だから」

彼のお母さんはそう言って私の後ろに向かって小さく手を振った。
振り向くとそこには母がいた。
母も既に出掛ける支度を終えていたようだ。

「お土産買ってくるからゆっくりしていってね」

「そんな...お気遣いなく...」

上品な笑顔は彼に似ている。
小学生に上がってからは彼のお母さんに敬語を使うようになっていたのだけれど寂しいから今まで通りに、と言われてしまって今こうなっているのだけれど。
実の息子であるテツヤ君が敬語を使っているのに私が砕けた話し方をしているのは未だに慣れないところがある。

母と彼のお母さんを見送ってから彼の家に入り玄関の鍵をかけた。
玄関を上がり靴を揃えて彼の部屋に向かう。

「テツヤ君、開けてもいい?」

コンコンと扉をノックしてから声を掛けてみたけれど反応は無い。
少し間を空けてから扉を開けると彼はやっぱり眠っていた。
静かに部屋に入りケーキを机の上に置き寝ている彼の側に近付いた。
苦しそうな寝顔はしていない、額に触れてみても熱があるわけでもなさそうだから本当にただ眠っているだけなのだと思う。
ほっとして彼から離れようとしたその時。

「うわっ、ちょっ、えっ!?」

額に触れていた手を掴まれそのまま強く引かれて彼の胸にダイブしてしまった。
そして彼は私を抱きしめた。

「おはよーございます」

ふにゃりと気の抜けた顔で笑って。
寝たふりをしていただけだったのかと考えていると彼が私の頬に唇を寄せた。
多分半分寝ぼけているのだと思う。
今日の彼は随分甘えん坊さんだ、なんて考えた私は甘かった。

「...テツヤ君」

当然のように服の中に入ってきた彼の手。
背中を撫でる彼の手はなんだかとってもいやらしい。

「起きて、ケーキ冷蔵庫にしまって」

そう言って彼の頬をむにっと摘むと彼は寂しそうなしゅんとした顔を見せた。
これが演技だってことはいい加減分かっているのでもう騙されてはあげない。

「お母さんが買ってきてくれたやつなの、テツヤ君の為に」

「...わかりました」

彼は渋々私の服の中に入れた手を引っ込めた。
私はベッドから降り、彼も起き上がった。
寝癖は相変わらず酷い。
ベッドから立ち上がった彼にケーキの箱を渡すと行ってきますと言って部屋を出て行った。
身支度も整えにいったようで暫く帰ってくる気配が無かったのでベッドに腰を掛けベッド際に置いてあった本のページをパラパラとめくってみた。
私は読んだことのない作家の本でジャンルは推理小説みたいだ。
裏表紙にはバーコードのシールが貼ってあったから図書館で借りたものなのだろう。
昨日はきっとこれを読んでいて夜更かししてしまったのだろうなと想像がついた。

「お待たせしました。おはようございます」

「おはよう。目、覚めた?」

「はい。すみません、完全に寝坊してましたね」

顔を洗って寝癖を整えた彼が隣に座り私にもたれ掛かった。

「今日が返却日なのに読めていなくて...昨日慌てて読んでその後寝落ちしてしまい目覚ましをセットするのを忘れてしまいました。本当に申し訳ありません」

私の手にある本を見ながらそう謝って再び私の頬にキスをした。
今度はさっきとは反対の頬に。

「大丈夫だよ。じゃあテツヤ君の頭をしっかり起こす為にもお散歩がてら返しに行こっか」

彼の頭を撫でてそう言うと今度は私を抱きしめて唇にキスをした。

「はい、もう少し充電したら行きます」

彼はそう言ってベッドに深く座り直し足の間をぽんぽんと叩いた。
これは私にそこに座り直せという要求だろう。
促されるがままそこに座れば彼は私を抱きしめ直し肩に顎を乗せた。
エアコンが効いているから暑くはないのだけれど照れ臭さからか少し熱ってしまう。
恋人関係になってからもう一年半以上経つというのに、それ以前の幼馴染期間があまりにも長かったせいだと思う、未だにこういう時照れてしまうのは。

「今日お昼何食べる?テツヤ君のお母さん私のお母さんと出掛けたよ」

「名前さんがいいです」

「...まだ寝てるみたいね」

ふざけたことを言った彼の額をぺしっと叩くと痛いですと言って顔を擦り寄せたきた。
なんというか、今更こんなことを言うのも、という話なのだけれど彼をアニメのキャラクターとして見ていた頃は彼がこんな風になるところなんて全く想像できなかった。
もしかしたらこの世界はあのアニメの世界とよく似ているけれど実はパラレルワールドのような世界なのかもしれないとふと思った。
そうでなければ彼がこんな風になるなんてちょっと考えられない。

「どうかしましたか?」

「ううん、...今日もかっこいいなって...」

彼をじっと見てしまった言い訳、...にしてはおざなりな言葉。
彼も急にどうしたのかと言いたげな表情。
でもすぐに柔らかい笑みに変わる。

「名前さんも可愛いですよ。いつも通り」

顔を引き寄せられて触れるだけのキスをして、ジッと見つめているとまた彼の顔が近付いたので目を閉じてそれを受け入れた。

「...名残惜しいんですけど先に行きましょうか。このまま始めたら下手をすれば閉館時間に間に合わなくなる可能性がありますし」

「...そ、うだ、ね?まぁいいや、行こっか」

私の時間感覚がおかしいのだろうかと思って時計を確認してみたけれど時刻は10時半、図書館は休日は17時閉館だった筈だ。

「(間に合わないってどういうこと?)」

そう考えたけれど敢えてそれを追求するのはやめておいた。
着替えますと彼が言ったので彼の足の間から抜け出して隣に座り直すと彼は立ち上がりクローゼットから服を取り出し着替える為に部屋着のTシャツを脱いだ。
私は慌てて視線を逸らす。
するとそんな私に気付いたようで彼は笑った。

「別に見たって構わないんですよ」

「...そんな趣味ないの」

恋人同士であるとはいえ人の着替えなんてまじまじと見るものではないし、と続けると彼はまた可愛いですね、なんて言うから余計恥ずかしくなった。
やっぱり人を揶揄うのが上手いと思う、彼は。

「お待たせしました、行きましょうか」

「...うん」

靴を履いて外に出て、当たり前のように手を繋いで。
近所の人に会う度に挨拶を交わして。
相変わらず仲がいいね、なんて揶揄われたり。
生まれた時から住んでいるから私も彼も顔も名前も知られている。

「テツヤ君大丈夫?」

「何がですか?」

知っている人になんて、彼くらいの年齢であれば恥ずかしいんじゃないかって、そう思ったけれど彼がそんなことを気にする筈がないとすぐに気が付いてなんでもないよと首を横に振った。

「図書館の近くに出来たサンドイッチのお店気になってたんだけど今日帰り買って帰らない?」

「いいですよ、行きましょうか」

なんて事のない日々がこんなに幸せだと感じるのは彼のおかげなんだろうって、心から思うようになった。


end