月明
布団に入って一刻半、珍しくさくらは眠れずにいた。いつもなら布団に入ると緩やかな睡魔に誘われてすぐに寝入ってしまうのに、今日は目をぎゅっと閉じても、何度寝返りを打っても眠気が訪れず、眠れないのだ。
(気分転換、しようかな)
このままじゃ眠れないまま朝が来てしまうことを危惧したさくらは、気分転換をしようとそっと体を起こした。
***
夜風にでも当たろうと縁側に出て座るとすぐに涼やかな風が吹いてきて、眠れなくて少しざわざわしていた気持ちが凪いでいくのを感じた。
しばらくの間風に当たっていたさくらはふと辺りがいつもより明るいことに気が付いて視線を上げた。今日は満月なのだろうか。まんまるなお月さまがぽっかりと浮かび、夜空を照らしていた。
(――利吉さんもこのお月様を見てるのかな)
脳裏に浮かんだ顔に思わず頬が緩む。
おいしいものを食べたとき、嬉しいことがあったとき、綺麗なものを見たとき。自然と思い浮かぶのはいつだって恋仲である彼のことだった。
しかし、長期の仕事だとかでそんな彼とはもう一月近く会っていない。仕方がないことだと分かってはいるが、それにさくらは少し寂しく思っていた。
「あいたい、な……」
緩やかに訪れた睡魔に微睡みながら愛しい彼のことを考える。
部屋に戻らないと、と思う傍ら、睡魔には勝つことができずさくらはそのまま意識を手放した。
***
一月にも及ぶ長期の仕事が終わったのは大分夜も更けた頃だった。
仕事を終えて真っ先に思い浮かんだのは恋仲である彼女の顔だった。仕事を終えた場所が比較的忍術学園に近かったこともあり、もう夢の中であろう彼女の顔を一目だけでも見たいと気が付くと利吉は忍術学園へと向かっていた。
彼女の部屋がある辺りの塀を登り、学園内を見渡すと縁側に人影が見えた。
こんな時間に? と思いながら、利吉は学園内に静かに降り立つ。
「……さくら?」
そっと人影に近付いてみると、そこには丁度先程まで考えていた彼女――さくらが柱にもたれ掛かってすやすやと眠っていた。
「……冷たい」
さくらの頬に手の甲を当ててみると、いつも温かいそこはひんやりと冷えきってしまっている。一体いつからここで眠っていたのだろうか。
「いくら学園の敷地内とはいえ無防備すぎる……」
はぁ…と人知れずため息をついた利吉はふと見られているような妙な感覚に顔を顰め、背後を振り返った。
するとそこにはいつもより大きく、不気味な程に煌々と輝く月がまるで自分たちを見ているかのように浮かんでいた。
利吉は空の上でずっと彼女を見ていたであろう月をしばしの間睨みつけるように見据えると、身を翻して自分自身で月から彼女を隠すようにし、そしてそっと冷えきってしまった体を横抱きにした。
彼女の部屋に入ると既に敷かれていた布団にさくらを横たわらせ、掛け布団をかけてやる。そしてそのまま眠る彼女の横にそっと腰を下ろすと、その瞬間一月の仕事の疲れがどっと押し寄せてきた。しかし、変わらずすうすうと穏やかな寝息をたてて眠るさくらの顔を見ている内に次第に疲れが解けるようにすっと消えていくのを感じた。
待っててくれている人がいるっていいものだな――なんて、消えていった疲れの代わりに胸を埋める愛おしさに利吉は自然と表情が緩んだ。
暫く彼女の寝顔を見詰めていたが、忍術学園を訪れてからそれなりに時間が経っていることに気付き、名残惜しいがそろそろお暇しなければ、と腰を上げた。
帰る前に、と布団の中に収まっている彼女の手を握ると先程より幾分か温かくなったそれに安心した利吉は、「おやすみ」とそっとさくらの額に唇を落として静かに部屋を後にした。
***
ピチチチ…と微かに聞こえる鳥の声に緩やかに意識が覚醒したさくらは自分が横たわっていたのが布団で、そして寝ていた場所が自分の部屋であることに驚いた。
(わたし、あの後部屋に戻った…かしら……?)
眠れず、気分転換に訪れた縁側で寝入ってしまってからの記憶がなく、そっと首を傾げながら起き上がる。するとカサ…と手に触れた何物かに更に不思議に思いながら綺麗に折り畳まれたそれを開いた。
そこには見慣れた綺麗な字で「ちゃんと布団で寝るように」と書かれていて、昨晩やはり自分は縁側で寝てしまい、そこに訪れた彼が布団へ運んでくれたのだと思い至った。
仕事は終わったのだろうか? 終わって自分に会いに来てくれたのだろうか? 嬉しさで頬がじわじわと熱を持ち始めたのを感じながらさくらは残された
手紙を胸元でぎゅっと抱きしめた。
そして、ふと額に温もりを感じた気がしてそこにそっと触れたさくらは、今日はきっと利吉に会える――そんな予感に胸を躍らせるのだった。
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