8
殿村の監禁事件から数日後、恐る恐る自宅を覗くともう殿村は居なかった。
漸くまた自宅に戻れた。
「…。」
部屋の隅で一人、自分のスマホを見つめる。
「なんだあの変質者。ここに来て連絡を絶ってくるとは…。」
自分は殿村が、ちょっと好きかも知れない。そう自覚した矢先、殿村からの連絡が来なくなった。
矢野とのことも確認したいのに…何で急に…。
今まではストーカーばりに連絡が来ていたのに。
「…ちっ」
こちらから電話すれば良いのだろうが、何と言えばいいのか。
ここ数日繰り返している、殿村の番号を押そうとするが、押せずに指を引っ込める。その繰り返し。
好き…かも知れません。宣言って、何様だよな…。
そもそも、殿村は整った顔立ちで、更に高収入で。言ってしまえば完璧な奴。自分の他に興味を持つ人間が出来て、そっちともう既に上手くいったのかも知れない。
その場合、ここでまで逃げ回った自分が、のこのこ上から目線の宣言をしてどうなるんだ?
「…いや、知るか!もう、逃げないぞ俺はっ。」
半ばやけくそで、碧は殿村の番号を押した。
トゥルルルルル…
どっどっどっ
心臓が飛び出そうだ。スマホを握る手がじっとりと汗ばんだ。
『碧くん?』
で、でた…。
「か、楓…。」
『…。』
「…。」
どうしよう。なんと言えば…。
楓の声は仕事中の様な抑揚の無さがあった。
やっぱり…。もう、自分への興味は尽きたのかも知れない…。
『…碧くん、この前は、本当にごめん。』
「あ、ああ…。」
『はは、でも、セックスは気持ち良さそうだったよ。』
「はぁ⁈」
ダメだ。やっぱり、こいつは…。
でも何となく、いつもの調子の殿村にホッとした。
そして碧が口を開きかけた時、殿村は畳み掛けるように続けた。
『はは、嘘嘘。ごめんね。本当、今のは悪い冗談だった。もうあんな事、碧くんに絶対にしないから。』
「え?」
『碧くんが前に言っていたみたいに、元の生活に戻りなよ。普通に、女の子と付き合いなよ。俺も、元の生活に戻る。お互いそうしよう。』
「…」
『碧くん、今までありがとう。最後は…本当にすまなかった。ごめんな。じゃぁ、切るね。最後に連絡くれてありがとう。おやすみ。』
プツン
プープー
「……。」
な…なんだそれ…。
碧は狐につままれたような心境で、スマホを握ったまま暫く放心していた。
———-
暗いホテルの宴会場に、新郎新婦のムービーが流れる。
碧はそれをワインを飲みながら見ていた。
「しっかし、遂にあいつらゴールインだなぁ。後、残ってるのは俺らだけだな!」
はははと馴れ馴れしく碧の肩を抱き笑う矢野を、ジロリと睨む。肩を上げ手をどけろと訴える。
今日は大学時代の友達の結婚披露宴だ。腐れ縁で、同じ界隈で過ごしていた矢野も招待されている。
「なんだよー。そういや、お前、殿村さんとはどうなんだよ?」
「…。」
碧は再び矢野を睨んだ。
「矢野、お前、殿村に俺の情報色々渡してたらしいな。」
肉を乱暴に切って頬張った。マナーも何もあったもんじゃない。
「ははっ、コンペ負けた負け惜しみかよ。」
この期に及んでコンペの話を持ち出す矢野に余計に腹が立つ。
「コンペだって、その情報賄賂で勝ったようなもんだろ。」
「いや、冷静になれ。お前の情報にどんだけの価値あんだよ。そもそも俺、最初の壮行会で話したくらいしか殿村さんに教えてないし。」
「はぁ?本当かよ。」
最初の壮行会って…やはり、殿村と矢野がゴニョゴニョ話していたのは、その事だったのか。
「本当、本当。殿村さん、滝川のことは自分で知りたいですからって、断られたし。あー、ただ、サプライズデートしたいから、好きそうな場所だけ一回聞かれたかな?でも、本当、そんだけ。滝川本当に使えんかった。」
「…な、なんだよ…それ…。」
言葉に詰まる。
じゃあやっぱり、自分が好きになった殿村はまやかしでも何でもない。本物だったんだ。
コンペの結果に変な含みも無い。
どうしよう。やっぱり全部、自分が一人で勘違いして暴走しているだけだった。自分が、間違っていた。
「…。」
「?滝川?」
急に黙り込んだ碧に、流石の矢野も揶揄いの笑顔を引っ込めて首を傾げた。
「ちょ、ちょっと…トイレ。」
「あ、おぉ?」
いても立ってもいられない。碧はソワソワする自分を抑え切れずにその場をたった。
だって、今この瞬間に自覚したのだ。
自分は殿村が好きだ。あの、髪を丁寧に乾かしてくれる手が酷く恋しい。
一言でも電話をしたい。ちゃんと謝りたい。
いやそんな事は単なる言い訳で、本音は自分勝手なものだ。単純に声を聞きたい。
はやる気持ちを抱えて会場を出て、電話をできる場所へ行こうとした時だった。
「…あ。」
碧は目の前の光景に目を丸くした。
「か、楓…。」
思わず掠れた声が出た。
目線の先、同じ階の隅にあるレストラン前に、殿村がいた。
「…あ」
しかし碧は一歩踏み出したその格好のまま、固まってしまった。足が地面に張り付き、ずんっと重くなる。
殿村は休日にも関わらず正装していた。そしていつもの様に美しい所作で、女性をエスコートしていた。
ちゃんとした相手が見つけたんだ…。
殿村は女性と談笑しながら、奥のレストランへと消えていった。
お似合いの二人だった。自分が今更文句を言える立場でもない。
相手が好意を持ってくれていたのに、その時は男同士だと言う事に尻込みして、ずっと否定し続けていたのだから。
ずっと手の中にあったのに。その大切さに気づいた時にはもう手の中にはない。
まるで寓話にでもありそうな話だと、自嘲気味に笑ってしまった。
———
「よー、おかえ…り…?」
「…」
「なんかあったか?」
碧の顔がよほど曇っていたのか、流石の矢野も戻ってきた碧を見て真剣な顔になった。
「…何もない…。」
「…そうか。」
「…」
「いや、嘘じゃん。」
「…。」
何も言わずにアルコールを煽る碧を見て、矢野が溜息をついた。
「はぁー…。よし!もう何も聞かん!お前の介抱はしてやるから。」
「…ありがとう。」
またアルコールを飲み、小さく礼を述べる碧を見て矢野が困った顔で笑った。
そうだった。矢野は薄情な癖して、忘れた頃に優しい。だから腐れ縁が切れないんだ。
「うぇっ…っ、ゲホッっ」
「あぁ、待て待て。ネクタイ垂れんぞ。」
ホテルのトイレの個室、便器に向かって嘔吐する碧の背中を矢野が摩っていた。
「矢野ー、滝川どう?大丈夫そ?」
「やー、もうちょっと吐かせないと無理かなぁ。」
「そっか…。二次会どうしよっか?」
「先行ってて。滝川にある程度吐かせてから追いかける。」
「分かった。これ、ミネラルウォーター。滝川に。」
「ありがとう。」
矢野が他の友達との会話を終え、ペットボトルを渡してきた。
「ちょっとは落ち着いたか?」
「うん…。本当、すまん…。ゲホッ…。」
「ま、いいよ。海南物産の契約は俺が取っちゃったしな。」
「…矢野。」
碧が気兼ねするのを案じて、矢野が茶化して言った言葉に反応してしまった。矢野もその反応に含むものを感じたらしい。摩る手を止めて、碧の言葉を待った。
「俺…殿村の事…、好きみたいなんだ…。」
碧は矢野を見上げて白状した。
誰かに言わないと、苦しくて耐えられなかった。
「…え、本当?」
矢野はそうなるとは思っていなかったのか、目を丸くして聞き返してきた。
碧はこくりと頷く。
「良かったじゃん!それ、めでたいぞ!両思いってやつじゃん!」
「…でも…もう無理なんだ…。」
言ってしまうとじわりと切なさが噴き出してきて、涙が出てきた。
「え?何で?殿村さん、お前の事あんなに…」
「殿村にはもう、別の人…っ、なのに、俺は今更…すっ好きで…っ」
「…。」
矢野が碧の言わんとする事を察して、口を閉じた。
嘘みたいな量の涙が出て、言葉が詰まる。
「あいつは、変態で、いつもハァハァ言ってるし、…ぅ、裏表激しい変質者なんだ。けど、俺のつまらない話しも真剣にちゃんと聞いてくれて…」
ぼたぼたと大粒の涙が流れる。言葉が堰を切って溢れ出た水の様に、どんどん溢れ出し止められない。
「困った時には、どんな時でも、駆けつけてくれて、助けてくれて…ふっ、…」
「…」
「先の事も考えてくれてて…っ、やろうとしてる事は、ただのストーカーだけど…でも、これって、馬鹿なんだけど…頭っ、おかしいんだけど…嬉しかった…。」
矢野は黙って頷いた。
「か、髪も、優しく…っ、乾かしてくれる…馬鹿みたいに、毎度…大切にされているみたいで、それが凄く…ふっ…ううっ」
「…そうか…。」
「俺は、好きなんだ…。今更、どうしようも無いのに…殿村が、好きなんだ…。」
「そうたな…。」
すると矢野は急に泣く碧の手を掴み、ペットボトルの水を強引に飲ませた。
「とりあえず、口濯いどけ。」
「…え?あ、ありがとう…」
何故急に…。
碧は混乱しつつも、涙を拭きながら口を濯ぐ。
矢野はそんな碧をふっと笑い、トイレの出口に目線を向けた。
「ですって。殿村さん。」
「!」
矢野の言葉に、碧はペットボトルを床に落とした。
「…あ」
今まで蹲っていた個室から飛び出し、出口を見た。そこには真っ直ぐにこちらを見据える殿村が居た。
少し驚いたような顔で立ち尽くしている。
「…楓…っ」
しかし碧が声をかけると、殿村ははっとして小さく頷いた。
「今まで、ごめんっ。今も、ごめん。今更ごめん!けど、俺、楓が好きだっ」
碧は堪え切れず、殿村に抱きついた。
「碧くん…。」
あぁ、言ってしまった。
折角、殿村は新しい人生を歩んでいたのに。邪魔してしまった。
怖くて、罪悪感が重くのしかかり顔が上げられない。
「ありがとう。嬉しい。」
「!」
想定外の返答に驚き見上げた殿村は、至極幸せそうに笑っていた。
「…楓…え?でも、さ、さっきの新しい彼女は…」
「さっき?…あぁ、親に言われて会っていた人だけど…断る。」
殿村は手を伸ばし碧の体を引き寄せた。
「だって俺は、最初からずっと碧くんだけが好きだから。」
見上げた殿村は喜色満面に溢れていた。
「もう何かを碧くんに強要したりは絶対にしない。ただ碧んが自分の意思で、また一緒に居てくれるなら、俺はそうして欲しい。」
そして優しくキスを落としてくる。
「先輩、スマホ煩いからバイブ切って下さい。」
「ごめん。忘れてた。」
会社にて、七緒が碧のスマホを睨んで呟いた。
再び、碧のスマホが殿村からの怒涛のメッセージで震える日々だから、七緒もストレスが溜まるらしい。
「滝川。」
ぶつくさ言う七緒に謝っていると、部長に呼ばれた。
「はい。なんでしょう。」
「海南物産から新しいシステム導入の依頼がきているから、この後、七緒と内容伺いに向かってくれるかな?」
「はい。」
「今度は部下に押し付けるなよ。」
部長は心持ち厳しい声色に変えて碧に杭を刺す。
「はい。今度はしっかりと自分で進めます。」
碧の意思ある言葉に、部長がにこりと頷いた。
漸くまた自宅に戻れた。
「…。」
部屋の隅で一人、自分のスマホを見つめる。
「なんだあの変質者。ここに来て連絡を絶ってくるとは…。」
自分は殿村が、ちょっと好きかも知れない。そう自覚した矢先、殿村からの連絡が来なくなった。
矢野とのことも確認したいのに…何で急に…。
今まではストーカーばりに連絡が来ていたのに。
「…ちっ」
こちらから電話すれば良いのだろうが、何と言えばいいのか。
ここ数日繰り返している、殿村の番号を押そうとするが、押せずに指を引っ込める。その繰り返し。
好き…かも知れません。宣言って、何様だよな…。
そもそも、殿村は整った顔立ちで、更に高収入で。言ってしまえば完璧な奴。自分の他に興味を持つ人間が出来て、そっちともう既に上手くいったのかも知れない。
その場合、ここでまで逃げ回った自分が、のこのこ上から目線の宣言をしてどうなるんだ?
「…いや、知るか!もう、逃げないぞ俺はっ。」
半ばやけくそで、碧は殿村の番号を押した。
トゥルルルルル…
どっどっどっ
心臓が飛び出そうだ。スマホを握る手がじっとりと汗ばんだ。
『碧くん?』
で、でた…。
「か、楓…。」
『…。』
「…。」
どうしよう。なんと言えば…。
楓の声は仕事中の様な抑揚の無さがあった。
やっぱり…。もう、自分への興味は尽きたのかも知れない…。
『…碧くん、この前は、本当にごめん。』
「あ、ああ…。」
『はは、でも、セックスは気持ち良さそうだったよ。』
「はぁ⁈」
ダメだ。やっぱり、こいつは…。
でも何となく、いつもの調子の殿村にホッとした。
そして碧が口を開きかけた時、殿村は畳み掛けるように続けた。
『はは、嘘嘘。ごめんね。本当、今のは悪い冗談だった。もうあんな事、碧くんに絶対にしないから。』
「え?」
『碧くんが前に言っていたみたいに、元の生活に戻りなよ。普通に、女の子と付き合いなよ。俺も、元の生活に戻る。お互いそうしよう。』
「…」
『碧くん、今までありがとう。最後は…本当にすまなかった。ごめんな。じゃぁ、切るね。最後に連絡くれてありがとう。おやすみ。』
プツン
プープー
「……。」
な…なんだそれ…。
碧は狐につままれたような心境で、スマホを握ったまま暫く放心していた。
———-
暗いホテルの宴会場に、新郎新婦のムービーが流れる。
碧はそれをワインを飲みながら見ていた。
「しっかし、遂にあいつらゴールインだなぁ。後、残ってるのは俺らだけだな!」
はははと馴れ馴れしく碧の肩を抱き笑う矢野を、ジロリと睨む。肩を上げ手をどけろと訴える。
今日は大学時代の友達の結婚披露宴だ。腐れ縁で、同じ界隈で過ごしていた矢野も招待されている。
「なんだよー。そういや、お前、殿村さんとはどうなんだよ?」
「…。」
碧は再び矢野を睨んだ。
「矢野、お前、殿村に俺の情報色々渡してたらしいな。」
肉を乱暴に切って頬張った。マナーも何もあったもんじゃない。
「ははっ、コンペ負けた負け惜しみかよ。」
この期に及んでコンペの話を持ち出す矢野に余計に腹が立つ。
「コンペだって、その情報賄賂で勝ったようなもんだろ。」
「いや、冷静になれ。お前の情報にどんだけの価値あんだよ。そもそも俺、最初の壮行会で話したくらいしか殿村さんに教えてないし。」
「はぁ?本当かよ。」
最初の壮行会って…やはり、殿村と矢野がゴニョゴニョ話していたのは、その事だったのか。
「本当、本当。殿村さん、滝川のことは自分で知りたいですからって、断られたし。あー、ただ、サプライズデートしたいから、好きそうな場所だけ一回聞かれたかな?でも、本当、そんだけ。滝川本当に使えんかった。」
「…な、なんだよ…それ…。」
言葉に詰まる。
じゃあやっぱり、自分が好きになった殿村はまやかしでも何でもない。本物だったんだ。
コンペの結果に変な含みも無い。
どうしよう。やっぱり全部、自分が一人で勘違いして暴走しているだけだった。自分が、間違っていた。
「…。」
「?滝川?」
急に黙り込んだ碧に、流石の矢野も揶揄いの笑顔を引っ込めて首を傾げた。
「ちょ、ちょっと…トイレ。」
「あ、おぉ?」
いても立ってもいられない。碧はソワソワする自分を抑え切れずにその場をたった。
だって、今この瞬間に自覚したのだ。
自分は殿村が好きだ。あの、髪を丁寧に乾かしてくれる手が酷く恋しい。
一言でも電話をしたい。ちゃんと謝りたい。
いやそんな事は単なる言い訳で、本音は自分勝手なものだ。単純に声を聞きたい。
はやる気持ちを抱えて会場を出て、電話をできる場所へ行こうとした時だった。
「…あ。」
碧は目の前の光景に目を丸くした。
「か、楓…。」
思わず掠れた声が出た。
目線の先、同じ階の隅にあるレストラン前に、殿村がいた。
「…あ」
しかし碧は一歩踏み出したその格好のまま、固まってしまった。足が地面に張り付き、ずんっと重くなる。
殿村は休日にも関わらず正装していた。そしていつもの様に美しい所作で、女性をエスコートしていた。
ちゃんとした相手が見つけたんだ…。
殿村は女性と談笑しながら、奥のレストランへと消えていった。
お似合いの二人だった。自分が今更文句を言える立場でもない。
相手が好意を持ってくれていたのに、その時は男同士だと言う事に尻込みして、ずっと否定し続けていたのだから。
ずっと手の中にあったのに。その大切さに気づいた時にはもう手の中にはない。
まるで寓話にでもありそうな話だと、自嘲気味に笑ってしまった。
———
「よー、おかえ…り…?」
「…」
「なんかあったか?」
碧の顔がよほど曇っていたのか、流石の矢野も戻ってきた碧を見て真剣な顔になった。
「…何もない…。」
「…そうか。」
「…」
「いや、嘘じゃん。」
「…。」
何も言わずにアルコールを煽る碧を見て、矢野が溜息をついた。
「はぁー…。よし!もう何も聞かん!お前の介抱はしてやるから。」
「…ありがとう。」
またアルコールを飲み、小さく礼を述べる碧を見て矢野が困った顔で笑った。
そうだった。矢野は薄情な癖して、忘れた頃に優しい。だから腐れ縁が切れないんだ。
「うぇっ…っ、ゲホッっ」
「あぁ、待て待て。ネクタイ垂れんぞ。」
ホテルのトイレの個室、便器に向かって嘔吐する碧の背中を矢野が摩っていた。
「矢野ー、滝川どう?大丈夫そ?」
「やー、もうちょっと吐かせないと無理かなぁ。」
「そっか…。二次会どうしよっか?」
「先行ってて。滝川にある程度吐かせてから追いかける。」
「分かった。これ、ミネラルウォーター。滝川に。」
「ありがとう。」
矢野が他の友達との会話を終え、ペットボトルを渡してきた。
「ちょっとは落ち着いたか?」
「うん…。本当、すまん…。ゲホッ…。」
「ま、いいよ。海南物産の契約は俺が取っちゃったしな。」
「…矢野。」
碧が気兼ねするのを案じて、矢野が茶化して言った言葉に反応してしまった。矢野もその反応に含むものを感じたらしい。摩る手を止めて、碧の言葉を待った。
「俺…殿村の事…、好きみたいなんだ…。」
碧は矢野を見上げて白状した。
誰かに言わないと、苦しくて耐えられなかった。
「…え、本当?」
矢野はそうなるとは思っていなかったのか、目を丸くして聞き返してきた。
碧はこくりと頷く。
「良かったじゃん!それ、めでたいぞ!両思いってやつじゃん!」
「…でも…もう無理なんだ…。」
言ってしまうとじわりと切なさが噴き出してきて、涙が出てきた。
「え?何で?殿村さん、お前の事あんなに…」
「殿村にはもう、別の人…っ、なのに、俺は今更…すっ好きで…っ」
「…。」
矢野が碧の言わんとする事を察して、口を閉じた。
嘘みたいな量の涙が出て、言葉が詰まる。
「あいつは、変態で、いつもハァハァ言ってるし、…ぅ、裏表激しい変質者なんだ。けど、俺のつまらない話しも真剣にちゃんと聞いてくれて…」
ぼたぼたと大粒の涙が流れる。言葉が堰を切って溢れ出た水の様に、どんどん溢れ出し止められない。
「困った時には、どんな時でも、駆けつけてくれて、助けてくれて…ふっ、…」
「…」
「先の事も考えてくれてて…っ、やろうとしてる事は、ただのストーカーだけど…でも、これって、馬鹿なんだけど…頭っ、おかしいんだけど…嬉しかった…。」
矢野は黙って頷いた。
「か、髪も、優しく…っ、乾かしてくれる…馬鹿みたいに、毎度…大切にされているみたいで、それが凄く…ふっ…ううっ」
「…そうか…。」
「俺は、好きなんだ…。今更、どうしようも無いのに…殿村が、好きなんだ…。」
「そうたな…。」
すると矢野は急に泣く碧の手を掴み、ペットボトルの水を強引に飲ませた。
「とりあえず、口濯いどけ。」
「…え?あ、ありがとう…」
何故急に…。
碧は混乱しつつも、涙を拭きながら口を濯ぐ。
矢野はそんな碧をふっと笑い、トイレの出口に目線を向けた。
「ですって。殿村さん。」
「!」
矢野の言葉に、碧はペットボトルを床に落とした。
「…あ」
今まで蹲っていた個室から飛び出し、出口を見た。そこには真っ直ぐにこちらを見据える殿村が居た。
少し驚いたような顔で立ち尽くしている。
「…楓…っ」
しかし碧が声をかけると、殿村ははっとして小さく頷いた。
「今まで、ごめんっ。今も、ごめん。今更ごめん!けど、俺、楓が好きだっ」
碧は堪え切れず、殿村に抱きついた。
「碧くん…。」
あぁ、言ってしまった。
折角、殿村は新しい人生を歩んでいたのに。邪魔してしまった。
怖くて、罪悪感が重くのしかかり顔が上げられない。
「ありがとう。嬉しい。」
「!」
想定外の返答に驚き見上げた殿村は、至極幸せそうに笑っていた。
「…楓…え?でも、さ、さっきの新しい彼女は…」
「さっき?…あぁ、親に言われて会っていた人だけど…断る。」
殿村は手を伸ばし碧の体を引き寄せた。
「だって俺は、最初からずっと碧くんだけが好きだから。」
見上げた殿村は喜色満面に溢れていた。
「もう何かを碧くんに強要したりは絶対にしない。ただ碧んが自分の意思で、また一緒に居てくれるなら、俺はそうして欲しい。」
そして優しくキスを落としてくる。
「先輩、スマホ煩いからバイブ切って下さい。」
「ごめん。忘れてた。」
会社にて、七緒が碧のスマホを睨んで呟いた。
再び、碧のスマホが殿村からの怒涛のメッセージで震える日々だから、七緒もストレスが溜まるらしい。
「滝川。」
ぶつくさ言う七緒に謝っていると、部長に呼ばれた。
「はい。なんでしょう。」
「海南物産から新しいシステム導入の依頼がきているから、この後、七緒と内容伺いに向かってくれるかな?」
「はい。」
「今度は部下に押し付けるなよ。」
部長は心持ち厳しい声色に変えて碧に杭を刺す。
「はい。今度はしっかりと自分で進めます。」
碧の意思ある言葉に、部長がにこりと頷いた。