もう一度訊いて

二人きりの空間で山南さん、と声を掛けたのに山南さんは返事をしてくれなかった。
おかしいなと思ってもう一度呼び掛けると、ちらりとこちらに視線が向けられて、思わず笑顔になった俺を無視するように、山南さんはまた手元の書物に目を落としてしまった。

無視するようにというか、これはもう無視じゃないだろうか。何故そんなことをされるのだろう。
既に折れそうになった心で、それでも諦めずに山南さんと呼んでみると、今度はやっと反応してくれた。

「先程から何を言ってるんですか?聞こえないのですが」
「えっ?」
「もしかして、私のことを呼んでいますか?」
「はい、そうです、呼びました」

何だ、聞こえてなかっただけか。怒ってる訳じゃないんだと分かった途端、ほっとして表情が緩んでしまった。
そんな俺を見ていた山南さんが「何か面白いことでもあるのですか?」と不思議そうに訊ねてくる。
いえそうじゃなくてと言ったら、また「すみません、聞こえないのですが」と言われてしまった。

「もし私に用があるのでしたら、もっと近寄って頂かないと分からないのですが」
「そうですよね、すみません……」

謝ったものの、よく考えたらこんな静かな空間に二人っきりの状態で、俺の声が聞こえないなんておかしくはないだろうか。
もしかして俺は意地悪されてる? もやもやした気持ちのまま山南さんに近付いて行く。

「あの、山南さん……」

再び呼び掛けた声はまた、「聞こえませんよ」という山南さんの冷たい笑顔に一蹴されてしまう。
けれど流石にこの距離で聞こえない訳が無い。やっぱり俺は意地悪されてるんだ。
悔しくなって、こうなったらもう言い逃れできない距離で話し掛けようと思い、かなりの距離まで近寄った。
山南さんの隣に立って、よし、話し掛けようと思った瞬間、腕を引かれて体勢が崩れる。

「ふぁっ……」

驚き過ぎて情けない声が出た。
あれ? 何で俺は今、山南さんに抱きしめられてるんだ?
耳元に寄せられた山南さんの唇から笑いが漏れる。

「遅いですよ、相馬くん」
「え、何がですか?」
「私に近寄るのが、遅いと言ってるんです」

え? 何? 近寄るって……え?
山南さんの言葉を理解するよりも先に、抱き締められてる温もりに気を取られてしまって、もう何が何だか分からない。

「こうして二人きりで会える時間は少ないのですから、そうなれた時はもっと傍に来て下さい」
「は、はい……すみません」

山南さんがこんなことを言う人だったなんて知らなくて、俺の動揺が治まらない。
そんな時に山南さんが、私は貴方を好きだと言いましたよね、なんて言うものだから、益々感情の処理が追い付かなくなる。
どうしよう、こんな時何を言えば……焦っていると、山南さんがまたふふっと小さく笑った。
唐突に思う、もしかして山南さんは、焦る俺を見る為にわざとやってるんじゃないだろうか。……有り得る。

「相馬くんは、私のことを好きではないのですか?」

ごちゃごちゃと山南さんについて考えていると、ふいに質問をされてまた俺は変な声を上げてしまった。
何ですかその声はと、少し怒ったような声が聞こえたけれど、驚いたのだから仕方が無い。もしもわざとだとしても、弱気な山南さんの発言なんて信じられなくて。

でも俺も男だ、いつまでも揶揄われたままなんて駄目だと思う。
俺だって少しは山南さんのことを翻弄してみたい、だから……だからもう一度同じ質問をしてくれたなら、大嫌いですと言ってみよう。

そう思っていたのに、山南さんは何も言わずにただ俺を強く抱き締めてくるものだから、思わず好きですと答えてしまった。
私もですよと耳元で優しく囁かれて、俺が山南さんを翻弄するなんて到底無理な話だったと改めて思う。

でもね山南さん、もう一度好きかと訊いてくれたら俺は大好きですと言えそうです。
だから、山南さん。もう一度、訊いてくれませんか――

2016.04.06
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