ゆびさき

※「心臓心中」の続き
※原沖初夜


「ねぇねぇ、左之さんどうだった?」

 平助が僕の部屋に来て突然こんなことを言ってきた。何の話か分からずに、首を傾げる。どうって、何が?
 無反応な僕を見て、平助も首を傾げる。

「もしかして、左之さんて下手だったりするの?」
「左之さんが下手? 何のこと?」
「えっ、だからその……、ほら、夜のあれだよ」
「夜のあれって?」

 少しの間、お互いが何を言っているのか分からない時が続く。ようやく分かったのは、僕と左之さんとの夜の関係について訊かれている、ということだった。
 僕らが何もしていないことが判明すると、平助は飛び上がるほど驚いて「えーー!」と大きな声を出す。

「嘘だろ……左之さんが手を出さないなんて……。あれ、もしかして総司たちって恋仲ってわけじゃねぇの?」

 左之さんに想いが通じて、ついさっきまで嬉しい気持ちが続いていたのに、そう言われて突然不安になった。――いや、いまはそれよりも気になることがある。

「何で平助が僕たちのことを知ってるの?」
「何でって、この間左之さんの部屋から二人が話してるのが聞こえたから……」
「えっ!」
 
 今度は僕が驚く番だった。この間っていうのは、当然僕が左之さんに告白をしたときだろう。昼なら平助や新八さんと会わないと思って行ったのに、あの時間にまで左之さんに会いに来てたなんて、ちょっと仲が良すぎるんじゃないかな。

「あ、誤解すんなよ! 盗み聞きしようとしたわけじゃないからな! 夜に出かける誘いをしに行ったら、たまたま二人が先に話してただけだから!」
「……ふぅん」

 平助は僕が怒ったと思ったらしく、その後も何やかやと言い訳をしてきた。でも実のところ僕は恥ずかしかっただけで、怒ってなんかいない。それにもしかしたら左之さんが浮かれて平助に話したのかも、なんて期待もしちゃってたから、違ったことがまた恥ずかしかっただけだ。
 ただしこの期待は、「あの後からすげぇ左之さんが嬉しそうでさ」という平助の言葉で報われることになったけれど。

「でも意外だなー、左之さんが手ぇ出してないなんて」
「それって僕に魅力が無いって言いたいの?」

 これは強く否定されて、それから何故か平助が肩を落とす。どうしたのかと問えば、平助は新八さんとそういう関係になりたいそうで、左之さんと僕のことを参考にしたかったらしい。参考にというか、僕らのことを引き合いに出して新八さんをけしかけたかったみたい。
 そのことについて僕が助言出来ることは、残念ながら無い。かといって左之さんに相談すればとも言いたくなくて、つまらない返事しか出来なかった。平助はそれ以上我儘を言うこともなく、「突然ごめんな」と言って去っていく。去り際に「お前らのことは誰にも言ってねぇからな」と男前な言葉を付け加えて。

 平助が新八さんを、ということに関心を持たなかったわけじゃないけれど、いまの僕はそれどころじゃない。左之さんとあんなに仲の良い平助が不思議がるということは、左之さんが手を出してこないのは異例の事態だってことだ。
 さっき自分で「僕に魅力が無い」と言ってみたけれど、実際にそうなのかもしれない。左之さんて、本当に僕のこと好きなのかな……一度沸き上がった不安は簡単に膨らみ部屋の中に収まりきらなくなって、気づいた時にはもう、僕の足は左之さんの部屋に向かっていた。

「左之さん、ちょっといいですか?」

 障子の外から声を掛けると、僕の慌てた様子に気づいたらしく、左之さんの方から障子を開けて心配そうに僕の顔を覗いてくる。

「どうした、何かあったのか?」
「あったっていうか……」

 左之さんは廊下の左右を見渡して、誰もいないことを確認すると、僕の肩を抱くようにして部屋の中に入れてくれた。

「で、どうしたんだ?」
「その……、僕ってそんなに魅力ありませんか?」

 僕の言葉に、左之さんが「何言ってんだ」と慌てている。あやしい。

「左之さんがすぐに手を出してこないのはおかしいって、平助が……」
「平助? 何であいつが」

 唐突に出てきた名前に、左之さんが眉を顰めた。僕が平助に言われたことを説明すると、左之さんは笑い始める。僕は全然笑えないんだけど。
 左之さんが笑ったのは、僕のことではなく平助たちに対するものだったらしい。新八相手じゃ平助も大変だなぁ、と言って優しそうな表情を浮かべる。僕の好きな顔だ。
 だけど今はその笑顔に胸を高鳴らせることが出来ない。みっともないと思われるかもしれないけど、心が狭くなっている。

「……僕に手を出してこないことには、言い訳もしてくれないんですか?」

 そう言うと、左之さんが今度は困ったように笑う。

「お前は特別なんだよ」
「特別?」
「今だけの関係で終わらすつもりなんてねぇから、慎重になってるんだよ。焦って総司に嫌われたくもねぇし、それに……死ぬまで大事にしたいと思ってるからな」

 そう言った直後に左之さんは苦笑して、呟くように続けた。

「たとえ死んだ後だって、ずっと大事にしてやりてぇぐらいだ」

 どうやって、なんて野暮な言葉は口に出せなかった。それ以前に言う気も起きなかったけれど。方法論なんかじゃなくて、本気でそう思っているんだろうと感じたから。
 
「左之さんにだったら何をされてもいいですし、怖いと思わないって前に言いましたよね?」
「それは覚えてるけどな、実際に俺に迫られたら気が変わるかもしれねぇだろ」
「そんなこと無いですから!」

 僕の強い否定に驚いたみたいだけど、左之さんはすぐに嬉しそうに微笑んで言った。

「それじゃ、今夜一緒に寝るか?」
「何で僕に決めさせるんですか、もっと強引に言ってくれていいんですけど」
「……今夜、俺の室に来いよ」

 まだ昼間なのに、左之さんの声には夜が潜んでいる。声だけでなく視線にさえも、震えてしまいそうな色気があって、はいと答えた僕の声は小さくなっていた。自分から左之さんに誘えと言ったくせに、情けないけれど。
 

 約束通り、夜に左之さんの元へと行った。
 てっきり最初はいつもみたいに他愛の無い話しなんかして、僕がいつ手を出してもらえるのかやきもきすることになるんだろう、なんて予想していたのに。室に入るなり灯りは消され、左之さんらしくもない性急さで口付けもされた。
 既に敷かれていた布団に押し倒され、着物を脱がされる。僕の服を全て剥ぎ取ると、左之さんも脱いだ。同時に左之さんの匂いが鼻腔をくすぐり、心臓が期待と緊張でばくばく言い始める。
 この時になって、突然心配になってきた。僕はこういうことに全く慣れていないけれど、大丈夫だろうか。左之さんに幻滅されたりしないだろうか……。
 僕がそんなことを考えているなんて、夢にも思っていないであろう左之さんが、指先で僕に触れてきた。余裕のない僕でさえが気付けてしまうほど、それは躊躇いのある触り方だ。

「左之さん、もしかして僕とこんなことしたくなかったですか?」

 そう言うと、仄暗い部屋の中でも左之さんが目を見開くのが分かった。それから僕の頬へと指先が移り、壊れ物を確かめるかのようにぷにぷにと静かにつついてくる。何をしているんだろう。

「お前に強く触ったら、目が覚めちまいそうで……」

 左之さんはいつだって頼りになるのに、時折分からないことを言う。今は僕も左之さんも起きてるよね、それなら目が覚めちゃうってどういうことなんだろう。でも、大事なのはそこを追求することじゃない。
 僕の頬をつつく左之さんの手を、思い切り握りしめた。僕から触れれば、左之さんはきっと我慢なんてしないでいてくれる。だってこの間は、それが原因で僕を抱き締めてくれたわけだし……。
 実際、その効果は覿面だった。ただ、強く握りしめたはずだったのに、その手は簡単に振りほどかれて、直後に左之さんの方からぎゅうっと強く手を掴まれることになったけれど。

「夢じゃねぇんだよな」
「夢?」

 何の話ですか、という言葉は出せなかった。左之さんに口付けられたせいで。

 左之さんが珍しく弱気な面を見せていたのはここまでだった。何度もされる口付けの合間に、鼓膜から溶かされそうなくらい甘い声で「好きだ」と言われるから、僕の方がこれは夢なんじゃないかと思ってしまう。
 この後は、僕が一方的に翻弄されることになる。余りにも時間を掛けて後ろを解されることに耐えきれず、「もう止めてください」と言ったけれど、「痛かったら困るだろ」と穏やかに諭されて、結局指だけで一度達してしまった。

「僕ばっかり、こんなの……嫌です」

 羞恥にまみれた声で言えば、薄闇の中で左之さんが優しく笑う気配がする。それだけで泣きたくなるくらい幸せな気持ちになって、左之さん左之さんとしつこいくらいに名前を呼んだ。愛しい音を紡ぎ続ける僕の唇は、左之さんのそれで塞がれる。それでもまだ左之さんと言いたくて開いた口内に、左之さんの舌が入り込んで、絡められて……。
 どうしてだろう。左之さんのことが大好きなのに、いたたまれなくて逃げ出したいような気持ちになったのは。左之さんの胸の中に何とか留まろうと伸ばした腕の先に、何も縋るものが無くて怖くなる。

「左之さん、あの、服……着てください」

 僕の要望に左之さんが何でだよと吐息混じりに問う。

「だって、掴まるところが無いから……」

 そう言うと、左之さんは「あんま可愛いこと言うなよ」と言って笑った。僕の発言の、一体どこに可愛さがあったのか分からないけれど。

「服じゃなくて、俺に掴まれよ。ほら、背中に腕回せ」

 言われるまま伸ばした両腕を背中に回すより先に、左之さんが激しく口付けてきたから、腕の置き所が分からなくなる。お互いによく飽きなかったなと思うくらい繰り返された口付けの後、ようやく顔を離した左之さんに「左之さんの、ばか」と言ったらまた口付けられた。
 
 その後は――――苦しかった。上手く息が出来なくなっている僕を見て、左之さんは頭を撫でたり口付けをしたり甘い言葉を掛けたりして、ゆっくりゆっくり行為を進めてくれる。そのせいなのか、途中からはこれまで味わったことのない感覚に襲われた。今にして思えば、あれが酷く気持ちが良い、ということだったんだろう。何もかもが初めてで、その時には分からなかったけれど。
 結局左之さんの動きに僕の体力がついていかなくて、折角上手に背中に回せていた腕がぱたりと落ちてしまう。もう一度左之さんに掴まろうと上げかけた手は、左之さんの手に抑えつけられた。そうして左之さんの指先が、僕の指に絡められて掌ごと強く握られる。
 そんなものどこにも無いのに、あの日見た赤い紐が繋がっているような錯覚に陥った。同時に「たとえ死んだ後だって、ずっと大事にしたい」と左之さんに言われたことを思い出す。僕がそこで泣いてしまったのは、痛かったからでも苦しかったからでも、ましてや気持ち良かったからでもなくて、左之さんの深くて強い想いが本当の意味で理解出来たからだった。
 どうして左之さんは僕のことをこんなにも好きになってくれたんだろう。どうして僕が欲しいものをくれたのが、左之さんだったんだろう。僕は、こんな幸せになってもいいのだろうか。
 いま僕の心臓は、きっと左之さんのためだけに動いている。約束もされていないあの世に期待するよりも、生きていられる時間を大切にしたい。左之さんのそばにいると、柄にも無くそんなことを考えてしまうんだ。

 
 ――――左之さんがろうそくに火を点けて、ちらちらと揺れる灯りの中で僕の身体を拭いていく。自分でやりますと言ってはみたものの、腕一本動かすのすらままならなくて、結局全て左之さんにしてもらった。
 身綺麗になった僕の瞼に、左之さんが音を立てて口付けをする。何だかくすぐったい気持ちになって、僕はふふっと小さく笑った。
 ついさっきまで抱き合っていて、いまだってすぐそばにいるというのに、それでももっと左之さんと近付きたくて、左之さんが羽織った服の裾を掴む。気付いた左之さんが「どうした?」と優しく訊いてきたから、思わず「好きです」と言ってしまう。

「今日はもうそれ以上言うなよ、また手を出したくなっちまう」
「別にいいですよ」
「いいわけあるか、大事にするって言っただろ」
「そうですけど……」

 その時にふと、左之さんが思い出したように言った。

「今夜のこと、平助には言わなくていいからな」

 そう言って、左之さんが立てた人差し指を自分の唇に当てる。楽し気に目を細めて「しー、な」と囁くように付け加えた。この指がさっきまで僕に触れていたのかと思うと、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。顔が熱い。絶対赤くなってるけれど、こんな近くにいたら隠せない。
 そんな僕の頭を左之さんが優しく撫でた。まだ子供扱いされてるような気もしたけれど、僕らだけの秘密があるんだと思ったら、また心臓が高鳴ってくる。

 翌日、平助が性懲りもなく僕の部屋に来て、新八さんとの関係が進まないことを嘆き始めた。そのまま愚痴が続くのだろうと思っていたのに、平助が突然「あっ、左之さんとどうなった?」と訊いてきたから少しだけ焦る。
 それを悟られないよう、僕は「うーんとね、」と意味深に唸ってから平助の方へと顔を向けた。そして自分の唇の前に人差し指を立てながら、「それは内緒だよ」と言ってみる。そこには左之さんの真似をして、浮かれている僕がいた。
 そんなことは知らないはずなのに、どうしてだか平助が顔を赤らめていたから、もしかしたら人差し指には、見る者を恥ずかしがらせる不思議な力が隠れているのかもしれない。

お題/Lump様
2019.10.26
※めい様に捧げます


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