霞んだ月

※「歪んだ月」の続き/羅刹斎藤視点


俺の下から逃れようとしていた蒼い目が見開かれた。
同時に影が落ち、俺の首筋に冽々とした感触。幽かな音を立て、首周りの髪が少量落ちていく。刀を当てられているのは明白だ。
ゆるりと首を向けると、そこに立つは、矢張り鬼。

「何をしている」

怒気の含まれた声だ。
風間が俺に向ける刀に力を籠めたのだろう、問われた瞬間首筋に痛みが走った。

「見ての通りだ」
「そうか、その男が俺の……」

そこまで言って、風間は言葉を止めた。その目が驚きに揺れる。自分の愛しい男と同じ顔なのだから、それも当然であろう。

「あんたの、何だ?」

風間は俺と斎藤とを見比べる。
ただの間男だとでも思っていたのか。

風間と話すために、斎藤に挿入していた指を引き抜いた。
僅かな声が上がり、この声でいつもこの鬼を惑わしているのかと思うと不快な感情が湧きあがる。

「新選組とあんたとは、敵対しているのではなかったか?」
「貴様には関係の無い話だ……斎藤から離れろ」

刀を突きつけられたまま、俺は口端を上げた。
俺にしてはどうだと問えば、風間の片眉がぴくりと動く。
ただそれだけで、風間が酷く憤慨しているのを感じ取った。

かちゃりと金属音がして、首に当てられていた刃先が俺の肉を断つ。
逃げるつもりは無かったが、俺は仕方なく斎藤から離れた。
切られた首の皮は、何事も無かったかのように既に繋がっている。

俺は立ち上がり、風間を見詰めた。
紅い目が俺を映す。得も言われぬ感覚だ。

「斎藤は抵抗をしなかったぞ? あんたはこんな男で良いのか? 俺なら、あんた以外には決して靡かない」
「俺は斎藤以外を選ぶ気などない」

風間の返事に迷いはなく、今度は俺が憤りを感じる。
こんな人間のどこが良いと言うのか。脆弱で、鬼と釣り合う部分など無いではないか。
だが風間が再び刀を構える姿を見て、今は何を言っても無駄だと気付く。

「仕方ない、今夜はこれで帰ってやる」
「二度と現れるな」

返事をせずに俺は二人に背を向けた。
現れぬなど、もう風間に会わぬなど、そんなことは出来ぬ約束だ。

背を向けた俺に、風間が斬りかかって来る気配は無かった。
ただ静かに、斎藤の元へと進む衣擦れの音だけが俺の耳に届く。
振り返らずとも分かっている、きっと風間は辛そうな表情をしていることだろう。

たかが人間が、何故鬼に愛されているのだ。
俺は認めぬ。


帰る道すがら、地に注ぐ光が弱くて空を見上げた。
浮かぶ月は霞んでいて、明日は雨かもしれないと、俺は何故かそんなことを考えていた。

2011.11.24

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