01
 それは月も出ていない、真っ暗な夜だった。灯りと言えば見張り用の篝火くらいのものだったが、その火は遠くて俺の部屋に影響はない。
 だからこの日、俺がなかなか寝付けなかったのは明るさのせいではないはずだ。眠れない理由は分からないが、何度も寝返りを打つのには、もう飽きてしまった。

 どうせ眠れないのなら酒でも飲むかと、室を出る。とっくに暗闇に慣れた目で、迷わず廊下を進んで行く。確か酒の置いてある部屋はあっちだったなと、急ぐでもなく進む俺の視界に、蠢く影が見えた。
 途端に緊張する。誰だ、こんな夜中に……。
 その影は、何かを持ってゆっくりと進んでいく。足音を立てないように気を付けながら、俺はその影を追った。
 件の人物が見える距離になってやっと、そいつが相馬という小姓だと分かる。持っているのは、どうやら食事の膳のようだ。不審な人物ではなかったことに安堵はしたものの、こんな夜更けになぜ相馬が食事を運んでいるのかが分からない。あいつの体型から考えて、相馬自身が大食漢なわけではないだろう。ならあの食事は何だ、一体誰のための物なんだ?
 今は屯所に、怪我人も病人もいない。だから相馬が面倒を看なければいけない奴なんて、いないはずなのだ。ということは、矢張りあの食事は相馬用なのだろうか。

 眠れぬ夜というのは、つまりは暇なのだ。
 俺は好奇心に負け、相馬の後を付けて行く事にした。

 相馬は稽古場へと向かって行く。こんな時間に稽古か? 訝しむ俺の前で、相馬は迷わず稽古場へと入って行った。少し時間を置いてから、そっと稽古場を覗いて見ると、何故かそこには誰もいない。稽古場の出入口はここだけだ、いない訳がないのに。

消えた――?

 まさか、そんなことがあるものか。
 だが稽古場へと足を踏み入れ、辺りを探ってみてもどこにも相馬はいなかった。念の為、稽古場を隅から隅まで確認してみたけれど、相馬どころか鼠一匹いやしない。
 狐に抓まれたような気持ちで稽古場を後にしようとした時、隅の方の床に小瓶が並んでいるのが見えた。見たことのない瓶だったが、中には液体が入っているように見える。近付いて確認すると、その中に一つ徳利が混じっていた。持ち上げて振ってみると、ぱしゃぱしゃと美味しそうな水音がする。
 そうだ、俺は酒を探していたんだった。
 相馬のことは気になるが、明日本人に確認してみれば良い。今夜はもう寝たい、明日は俺の隊が昼の巡察なのだ。組長の俺が、寝ぼけ眼で京の見廻りなど出来ない。
 そう思って、徳利を煽った。


――がしゃん、と大きな音がする。

 俺の手から徳利が落ちていたらしい。割れて粉々になったそれが、足元に散らばっているのは見えているのに、拾う事が出来ない。苦しい。気持ち悪い。吐き気がする。熱くて熱くて、内側から焼かれてしまいそうだ。

「ぐっ……」

 叫び出したいほど苦しいのに、籠った声しか出てこない。それがまた苦しさを募らせ、息が出来なくなる。
 その時になって、誰だと叫ぶ声がした。余りの苦しさに朦朧とした状態で声のする方を見ると、壁だと思っていた木板がずれて、相馬が顔を出している。

そんな所にいたのか――

 そう思ったところで、俺の意識は途絶えた。
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