迷子がえらぶ

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 車体の振動で足元が覚束ない。咄嗟につかまり棒を握り直して体勢を整え、右肩から滑り落ちたリュックのベルトを元の位置に戻した。慣れた重さにひと息ついてドア側の壁に凭れる、緑谷よりも頭半分程度低い頭に目線を下げる。手入れのされた黒髪を鋭い横日が照らし、艶々と反射していて綺麗だ。緑谷のくせっ毛とはまるで正反対のストレート。
 寝癖が付かなそうだと思っていると、その髪がサラサラと揺れて同じ色の瞳が緑谷を捉える。どうしたのと言葉なく尋ねる姿にへらりと笑って誤魔化した。
 帰りの電車内はちょうど帰宅ラッシュとかぶっていて人が多かった。夏休み中だからまだマシだが、朝地方へ向かっていた行きと違って帰りは都市方面だ。停車するごとに乗車人数も増えている。今は余裕があるとはいえ、女子と密着するのは緑谷の心臓に負担がかかるのでできれば避けたい。隣ならまだしも真正面は刺激が強すぎる。

「緑谷くん大丈夫? 場所変わろうか?」
「えっ」
「たくさん歩いて疲れたでしょ? 壁側にいるの申し訳ないし……」
「そんな、僕は平気だよ。いつも訓練で走り回ってるんだからこれくらい全然。カイさんの方が先に降りるしこのままでいいよ」

 もしかして不安が顔に出ていたのだろうか。見当違いではあるが心配をかけまいと力こぶを入れる。廻は「そう?」とやや納得していない顔をしながらも浮かしていた背を再び壁につけた。
 まったく疲れていないと言えば嘘になるが、受験時のオールマイトとの訓練のおかげで体力にはそこそこ自信がある。疲れているのも歩いたからというより一日中どう動けばいいのか考えていたからだろう。実はずっと糖分がほしい。エネルギー効率のいいバナナが食べたい。

『まもなく電車が止まります。お出口は右側です』

 アナウンスと共に緑谷たちとは逆位置のドアが開く。大勢の人が出て行き、入れ替わりでそれ以上に雪崩れ込んできた人々に若干体を押された。足腰に力を入れて廻を圧迫しないようなんとか踏ん張る。気遣わしい視線を感じるが、同じヒーロー科で鍛えているとはいえやはり男女の差はある。廻の細腕にこの重さを耐えることはできないだろう。
 しかしこれもあと一駅。次は雄英の最寄、廻の降りる駅だ。緑谷はそこから加えて四十分揺られなければならないが、登下校で満員電車は慣れている。

「もうちょっとだね」
「うん。緑谷くん、今日は本当にありがとう」
「僕こそ、初めてカイさんとこんなに話せて楽しかったよ。次は冬休みだね」
「決まったらまた言うよ。予定すり合わせなきゃ」

 行きの電車ではまさか穏やかな気持ちで廻と話せるとは思っていなかった。朝起きたときからずっと緑谷は緊張していていたし、廻は相変わらず透明な分厚い壁を作っていたから。救うとは口にしたものの、緑谷も廻も本当に救えるのかという疑問が少なからずあった。全てではないが話し終えた今も、完全に救えたとは思っていない。
 ただ廻と普通に、対等な立場で話せるようになったことは大きな前進で、緑谷が少しでも認められた証左だろう。絶対的な廻のヒーローに近付けたのなら、それは救けるための一歩に他ならない。
 焦らず確実に。ゆっくりでいいと言ったのは緑谷なのだから。
 車窓の外を眺める廻が「林間合宿、始まるね」と呟く。

「うん。どんなことするんだろ」
「相澤先生のことだから絶対鬼畜メニューだよ。朝早そう。嫌だなあ」
「はは……カイさん寝起き悪いもんね」
「緑谷くんはいいの?」
「僕は毎日早朝トレーニングしてるから」

 信じられないという表情をする廻にくすくす笑う。行きの電車でうたた寝しているときにヘドバンしていたことを伝えるとかなり恥ずかしかったらしく、「そのときに起こしてよ」と血色のいい唇を尖らせた。
 じゃあ他のクラスメイト達はどうなのか、勝手に想像しながら話しているとアナウンスが雄英の最寄駅が近くなってきたことを知らせる。車体が減速し始め、景色が見慣れたものになってきたことで帰ってきた実感が湧いてきた。

『まもなく電車が止まります。お出口は左側です』

 ホームの人影がはっきりと視認できるようになった頃、ブレーキ音の後停車する。体を出口に向けた廻が首だけ緑谷の方を向いた。

「じゃあ緑谷くん、気をつけて帰ってね」
「それ僕の台詞……、うん、また明後日会おうね」

 ドアが開き、ばいばいと手を振った廻は人混みの中へあっという間に消える。通ります、通してくださいと叫びながら慌ただしく出て行く乗客で一瞬車内にゆとりが生まれるが、すぐにその隙間を埋め尽くす勢いで人が入ってきた。ドア側にいた緑谷は奥に押し込まれて廻の姿どころかホームも見えなくなる。

『ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめ下さい』

 ぎゅうぎゅうのおしくらまんじゅう状態になった隙間から手と顔を出していると隣の乗客の肘が横腹に当たった。見てみれば小声だが電話をしている人がいてそれが嫌で身じろぎしたらしい。迷惑そうな顔をしている。

(——そういえばカイさんも電話してたっけ)

 救けることや廻の話で頭がいっぱいで、相手が誰なのか気になっていたことを忘れていた。あのときいつもと様子が違っていたから緑谷は廻のSOSに気付けたけれど、思えばそれは解決したのだろうか。
 聞きそびれてしまったと溜息をつき、芋づる式にもうひとつ記憶を思い出す。緑谷を振り返った廻の言葉だ。
 距離が離れていて聞こえなかったが、口の動きからしてあれは。

(おにいちゃん、……だよな。たぶん)

 でも廻の兄弟は弟だけと言っていたし、口ぶりからして前世の佳乃は一人っ子だ。誰かと間違えたのだろうか。緑谷の勘違いの可能性もあるけれど。
 プシューと空気の抜ける音と共にドアが閉まる。発車に揺れる車内でぐっと全方向から圧がかかり、オールマイトのフィギュアの入った紙袋がかさりと音を立てた。思考を中断して慌てて潰されないよう片腕でガードする。背負っているリュックはともかくこれだけは守らねばならない。
 少し動くだけでも大変な満員電車の中、スマホを弄るために人の海から出した右腕を下ろして両腕で抱え直す。わからないことは林間合宿のときに聞けばいいかと、今はオールマイトのフィギュアの守りに専念することにした。



***



 君を救けたい。
 廻がそう言われたのは前世含めて二回だ。大好きなヒーローと、緑谷の二人。
 一回目は上の学年に生意気だといじめられているところを庇われて、しかし非力なために返り討ちにあった彼を逆に庇い直したとき。どの口がと思ったけれど、気付けば廻は頷いていた。その後色々あって慕うようになったが今は割愛する。
 二回目は、何も言っていない、した覚えもないのに言われた。ヒーローに似ていると思いつつも、ただのクラスメイトでしかない男の子に助けをこうつもりはなかった。差し出された手は掴むべきではないと頭ではわかっていたのに、もう一方で限界だった。
 誰かに手を引いてほしかった。間違った道には進みたくなかった。大好きで指針にしているヒーローに、胸を張れる人でありたかった。
 期待したのだ。初めて会敵するヴィランに怯えていたのに、身を挺して助けてくれた男の子に。自分でもどうすればいいのかわからなくなった現状をなんとかしてほしくて。
 緑谷は必死だった。絶対にたすけると若草色の瞳が主張していた。時には不慣れな挑発をして、廻が涙すればぎこちない手付きで背中を撫でてくれた。
 果たして廻が救われたのか、それは廻自身わからない。
 けれど当てもなく彷徨うのはやめた。一人でもちゃんと歩いて前に進めるようにならなければ、緑谷に申し訳が立たない。
 後ろを振り返るのは、まず真っ直ぐ歩けるようになってからだ。


「——もしもし、廻です」

 改札口を出て、借りているアパートがある東口方面に向かう。スマホを耳に当てた廻の口元はいつも通りにこやかで、しかし眼差しは真剣そのものだった。

「先生に代わっていただけますか? 名前を言えばわかると思います。……はい、カイで」

 駅の構内には雄英の生徒もいて、どこかで顔だけは見たことのある普通科の同級生が部活の荷物を持って友達と立ち話をしている。あちらは廻の顔を知らないらしく、目が合うことなく通り過ぎた。体育祭に出ていないから余計にかもしれない。
 のんびりとした保留音を聴いて待っていると、『はい』と低い声がする。震える喉を落ち着けるように深呼吸をした。胸に手を添えて、大丈夫と心の内で唱える。
 大丈夫。勇気ならヒーローにもらって、ここにある。

「……約束について、話したいことがあるの」

 緊張と不安と、恐怖。嫌な感情ばかりが湧いてくるが、逃げないと決めた。どくどく鳴る心臓はもう仕方ない。この人は“昔”から苦手だ。
 でも、この世界と向き合う前に精算しなければならないものがある。
 ガラスの自動ドアが廻に反応して開く。むわりとまとわりつく空気を払うように早足で歩き、屋根の影から日差しの元へ、大きく足を踏み出した。

「時間もらっていい? ——お兄ちゃん」





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