ふわり、優しい香りがした。朝起きたら人の気配がするというのは少しもどかしくて、とても幸せなことだと気付いたのは最近のことだ。

「こんなかわいい子ならなおさらね」
「……あら起きたの。おはよう」
「おはよう」

 優しい香りの正体は彼女、灰原哀の作る朝食の匂いだ。ご飯に卵焼き、昨夜の余り物の煮物と味噌汁。健康志向は科学者だからなのか元からの性格なのかは知らないが、そういうものに無頓着な自分からすれば大変ありがたい存在だ。
 気配を消して現れた自分に灰原哀は驚かない。もちろん最初は驚かれひどく怒られたものだが(とてもかわいかった)、最近は慣れたらしく一瞥をくれるだけだ。しかしたまに肩が跳ねるからそれを楽しみに自分は毎回気配を消すのだが。

「……朝からその顔はやめてくれるかしら。不愉快だわ」
「えー。僕はただかわいいかわいい哀ちゃんを見てただけだよ?」
「今すぐ顔を洗って博士達を起こしてきて。じゃないとここから追い出すわよ」

 キッ、と小動物が睨むように目を鋭くした灰原哀に「はいはい」と返事をして洗面所に向かう。本当に、あの子はかわいい。ああ言いながらも自分の分の朝食を作っているのだと思うと益々愛しさが増すじゃないか。
 洗面所で顔を洗って地下室へ降りる。普段阿笠博士は自室で寝るように心がけているのだが、たまに研究にのめり込んでそのまま寝たりする。あとは自分の一番のお気に入りが泊まりに来たとき。灰原哀と博士とその子で色んな意見を交わしたり研究したりするのだが、きちんと自室で寝る灰原哀はともかく男二人はその場で寝る。たまに部屋に戻るらしいが自分はいまだその場面を見たことはない。

「阿笠博士、起きてる?」
「おお、ユキ君かね! 今着替えておるからもうすぐしたら行くと哀君に伝えてくれんかの?」
「了解。コナン君は?」
「コナン君なら客間じゃよ。昨日はちゃんと部屋に戻ったようじゃ」

 なるほど。ようやく自分は彼がベッドで寝ているところを目撃できるらしい。扉越しの博士にお礼を言って客間に足を動かす。と言っても足音を立てないように歩いているから寝ている彼を起こすことはないはずだ。

「コナン君、起きてるかな?」

 反応はなし。では遠慮なく寝顔を拝見させてもらおう。ドキドキと鼓動が速くなるのは仕方ない。誰だって好きな子の寝顔を見れると思ったらこうなるはずだ。
 音無く部屋に侵入して安らかに寝息を立てる少年に近づく。ああ、いけない。普段自分はどんな顔をしていたかな。顔の歪みが抑えきれない。

「……コナン君」
「…………ん……?」

 呼び掛けると息と共に吐き出された掠れ声が返ってきた。眼鏡をかけていない彼はとても新鮮だ。大きな蒼い目がうっすらと開かれる。それだけの光景に心が満たされる。

「もう朝だよ。起きなくていいのかい?」

 頬に手を滑らせると子供特有のすべすべの肌。何度も味わったことのある感触なのに、彼のものとなると何故こんなにも神聖に感じるのか。傷付けたくないと思いながらも、いつか傷つくのなら自分が、とも思う。でもやはり、傷つけるより守りたいと思うのは自分の性だ。誰にも傷付けさせたくない——触らせたくない。

「……あさ……」
「うん。朝」

 意外にも彼の寝起きは悪いらしい。いや、そばに推理小説があるから夜更かししたのだろう。まだ眠いはずだが起こさなければもう一人のお気に入りに怒られてしまう。それはそれで興奮するけれど。
 さてどうしようか。いっそここはベタに口付けでもして起こしてみようか。そうだそれがいいと自己完結して今だボヤボヤしている名探偵の頬に手を添えて固定する。胸中でいただきます、と言いながら顔を近付け、彼の口から吐き出される息が自分の唇に当たったとき——

「起きなさい江戸川君!!!!」
「へ? ……っうわぁ!!?」

 パシュッと飛んできた麻酔針をひらりと避ける。強制的に彼から離された自分など構うことなく突然現れた灰原哀は彼を守るように背に隠した。

「博士が来たのに江戸川君が来ないから何事かと思えば…!! あなた何してるの!?」
「何って、寝ている子をキスで起こすのは鉄板だろ?」
「そういうのは恋人同士でしなさい! 本当にあなた最低ね!!」
「やだな哀ちゃん。興奮するじゃないか」

 かわいいねと微笑めば灰原哀は更に目を鋭くさせた。再び時計型麻酔銃を構えて牽制するが、拳銃の弾でさえ軽々と避けられる自分には意味がないと知っているはずだ。反抗の意思を示すだけのそれは、ひどく愛らしく、また自分を惹き付ける。

「江戸川君、あなた私に言うことはないの?」
「え? あー……サンキュー灰原。助かった。本当に」
「どういたしまして。今後この人とは二人きりにならないようにね。襲われても今度は助けないわよ」

 ある意味組織より危険なんだから。
 そう付け足して、灰原哀はようやく牽制を解いた。その視線はまだまだ冷たいが、まあいい。目を白黒させていた彼も状況を把握したのか、「本当に」を強調させた。まったく二人ともひどい。

「はぁ……朝食はもうできたわ。江戸川君も着替えはあとにしてさっさと食べて」
「お、おお」
「僕の分もちゃんとあるんだよね?」
「……不本意ながらね」

 本当に嫌そうな返事に流石に苦笑する。嫌われるのには慣れているが好きな子が相手だと少しは傷つく。
 すたすたと部屋から出ていく灰原哀に続くように名探偵も移動する。その肩をトントンと叩くと、常なら警戒するところを寝起きのせいでまだ寝ぼけている彼は素直に振り向いた。チュ、と頬に口付ける。

「んなっ…!?」
「ごちそうさま。今度は口にさせてね」

 頬を抑えて壁際まで身を引いた彼に微笑みをひとつ。声が弾むのは仕方ない。今度は口、次は首、その次は君からしてもらおうかな。なんて考えている自分に彼は気付かない。まだ自分の気持ちを冗談と思っている彼には。
 君からしてもらうときが楽しみだ。その時には堕ちていたらいいと胸を弾ませた。

***

 元ネタはツイッターのフォロワーさんから。






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