この世界へやって来て数年経つが、未だ元の世界に帰る手掛かりは掴めそうにない。重い足取りで見慣れたあばら家に踏み入ると本に囲まれたクロロが黙々と読書をしていた。入り口まであるそれらは正直邪魔だが、今更文句を言ったところで行動を示さないのはわかりきっている。吐きそうになる溜息をぐっと堪え、顔をあげようとすらしない本の虫に「ただいま」と声を掛けた。

「遅かったな」
「クロロに言われたくない」

 この男の称号に本の虫の他に盗賊も追加されたのは記憶に新しい。マチやシャル達と共に幻影旅団と名乗っているらしく、町へ出掛けては盗賊行為をしている。最近は活動範囲を広めているのか、場所によっては何日も帰ってこない。その内流星街から出て行くことは明白で、それまでには元の世界へ帰りたいと思っていた。

「一昨日は市役所、昨日は図書館、今日は泥遊びか? オレはてっきり何か調べているものと思っていたんだがな」
「泥遊びじゃなくて探し物。何かないかと思って」

 クロロの言う通り、今の私の姿は泥だらけである。それもただの泥ではなく流星街の泥だ。酷い臭いだがお互い嗅ぎ慣れたもののため顔を歪めることはしない。不快なものに変わりはないから、少し失敗したとは思ったけど。
 とりあえず着替えてこようと積み重なった本の隙間をペタペタと歩く。ここにある本の多くは昨日クロロが盗んできたもので、古い文献だったりその一冊以外ない初版だったりと、とにかく貴重なものばかりだそう。その筋の人にはわかるのだろうが私には全くもってわからない。私にできることといえば下手に触らないことだけだ。

「それで、探し物は見つかったか?」
「まだ手掛かりさえ見つからないよ」
「そうか。ところでお前は何を探している?」
「なにって」

 知らずに話していたのか、この男は。思わず呆れて歩んでいた足が止まる。今にも抜けそうな不安定な床に泥がぽたりと落ちた。
 ある日突然この世界に飛ばされた私を拾ったのはクロロだった。何の前触れもないまま体も縮んでいた私は完全にパニックに陥ってしまっていて、クロロの質問にバカ正直に答えた。そのためクロロだけは私がここではない世界からやって来たことを知っている。
 この世界での生き方を教えてくれたのはクロロだ。食料の調達の仕方から人の殺し方まで、必要なことは全部。生きるのに精一杯だった私は何を教わっているのか正しく理解しないまま、或いは理解しようとしないまま、ただ言われたことをこなしてきた。
 だから今の状況は非常に困る。私は流星街での生き方は学んだが“外”での生き方は学んでいない。戸籍がないということは真っ当な職には付けないということ。“そういう”生き方を私は知らない。忙しそうなクロロにそれをまた教わるのは流石に悪いと思ったから、私は元の世界へ帰ろうとしているのだ。

「クロロは知ってるでしょ。私の世界に帰るの。やっと帰り方を探す余裕が出てきたから、今探してるの」
「お前の世界?」

 ここにきてようやく本から顔をあげたクロロが目を瞬かせる。まるで子供みたいな反応だ。何でそんな顔をするのだろう。もしかして帰らないでとか、そういう可愛いことを言ってくれたりするのだろうか。なんて、バレたら自惚れるなと怒られそうだけど。
 どうしたのと私が聞くより先に、クロロが首を傾げながら言う。

「お前の世界はオレだろう?」

 何を今さらなことを、という声が聞こえた気がした。当たり前のように、それ以外に正解はないとばかりに言うから、思わず頷いてしまう。その様子を見てクロロはまた本に視線を戻して、私はただ、魔法にかかったようにそこで立ち尽くしていた。






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