赤子のときの記憶がある。
昔親に言ったことだ。子供の言葉だと彼らは信じなかったけど、それで構わなかった。私の親は私に興味がないと知っていたから。ただ、今は朝昼晩の食事を与えるだけの関係であっても、赤子の頃はそれなりにお世話になったことを覚えていると伝えたかった。
なんとなく生活に違和感があった。
親とのことではない。テレビや携帯電話、洗濯機など、一部の機械が物珍しく、どこか違うような、奇妙な感覚だった。ベランダから見える景色は新鮮だと思うのに、どこか落胆した。私の望む景色ではないと。
海がとても好きだった。
祖父母に引き取られた先でのことだ。生まれて初めて見る、どこまでも青い水の集まりに感動した。砂浜はゴミだらけだったが毎日通った。なぜか触れるのは怖くて、遠目から見るだけに留めた。
「——海浜公園には行かないでほしい」
突然祖母が私の腕に縋って泣いた。意味がわからず、答えを求めるために祖父を見つめた。祖父はあまり口をきかない私を無知な子供と思っているらしく、求めてもいないのに色々と教えてくれる。
祖父は震える祖母を見て首を振った。
「言われた通りにしなさい」
求めた答えではない。追求を重ねるように首を傾ける。
「……お前さんが海に連れて行かれそうで怖いんだよ」
やはり意味はわからなかったが、その日は家で過ごした。
一ヶ月ほど海を見ずに過ごしていると、ひとつの夢を繰り返し見るようになった。
ある人が延々と殺される夢だ。
現実味がないからか恐怖心はなかった。靄がかって顔が見えなかったことも理由だろう。殺された経緯は不明で、何かに胸を貫かれてその人は事切れる。同じ映像を繰り返し見せられて私の精神がおかしくなりかけると目が覚める、悪趣味な夢だった。
少しずつ私は疲れていき、1週間が経った頃に家を抜け出して海に向かった。祖父が言った「海に連れて行かれそう」を間に受けたわけではないが、いい加減限界だった。大好きな海に連れて行ってもらえるなら喜んでとまで思っていた。
久し振りの海は荒れていた。そういえば強風注意報が出ているとテレビで聞いたような。気にせず海に近づく。波が高い。恐る恐る伸ばした手は震えていて、しかし確実に潮水に近づいて行く。
本当に連れて行ってもらえるのだろうか。淡い期待に胸が高鳴った。
「何してんだよ!!!!」
——高波が目前に打ち付けられる。
気付けば私の体は背後に引き寄せられていて、そのおかげで波に攫われずに済んだのだとわかった。誰だろうと振り返る。
「あっ……危ないだろ!! 死にたいの!?」
子供だった。頰にそばかすがあって、年は私と同じくらい。男の子だが鍛えている様子はないから、私を引き寄せられたのは火事場の馬鹿力というやつだろうか。男の子は焦っていて、私の腕をぐいぐいと引っ張る。
「早く帰ろう! また波がきたら……」
「いい」
「えっ?」
「いい」
動かない私に男の子は呆然としていた。大きな目が困惑や焦り、恐怖で濡れていく。それでも私の腕を掴む力は強いままだった。離して、と腕を引くと男の子は我に返って、もう一度何か言おうと口を開く。
その背後で、強風に煽られた粗大ゴミの机が落下するのが見えた。今度は私が男の子を突き飛ばす。咄嗟の行動だった。衝撃に目を瞑る。
「……っ」
——痛く、ない?
「わ、わ、」
そっと目を開ける。男の子が尻餅をついて目を見開いていた。その視線の先を辿る。
机に潰されたはずの足が、透けていた。
「……え?」
透けている、のに、感覚はある。痛くない。
目を凝らすと、波しぶきでわかりにくいが靄のようなものが見えた。いや、靄というより、これは──霧だ。
その瞬間、ぱちんと記憶が弾ける。
「いっ……!!」
割れるように頭が痛い。十数年分の記憶が一気に脳になだれ込んでくる。男の子が慌てて側に来るのが見えて、男の子、違う、この子じゃない。私の知る男の子はもっと、もっと。
『お前、おれの仲間になれ!!』
ああ、そうだ、私は海賊だった。
夢で殺されていたのは、私だ。
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