久しぶりに熱を出した。
ケホッと続けざまに渇いた咳をする私を見兼ねた侍女がコップを差し出した。常温より少し冷たい水を口に含んでゆっくりと喉を上下させると咳が落ち着く。侍女が安心したように息をついたのがわかった。

「リル様、お薬は飲めますか?」
「…はい」

薬包紙に包まれた苦い粉薬に顔を歪める。どうしてこう、良薬は苦いのだろうか。良い薬を作るのはいいが味はどうにかならないのか。口に残る薬特有の苦さを水でやり過ごすが、味のしない水では余計に苦さが際立つ気がしてやめた。隣では侍女が棚の整理をしている。

「……あの、もう大丈夫なので」
「何を仰います。ただでさえお体が弱いのですから、せめて熱が出たときくらいはお側にいますよ」
「……いや、でも」
「リル様はもっと侍女を頼るべきですよ」

優しく諭され言葉に詰まる。本当にもう大丈夫なのに。熱はあるし体は怠いけどピークはもう過ぎた。あとは安静に寝たら明日には治るだろう。治るというか、いつも通りになるだけだけど。
それはともかくとして、侍女にこれ以上私に付き合ってもらうわけにはいかない。彼女には他にも仕事があるのだ。それに、少し体調を崩したくらいで大袈裟な看病をされてもどう対応したらいいのか困る。

「そうだな。リルはもっと人に頼れ」
「…別に頼るほどのことじゃ…」

侍女ではない声に違和感を感じ、言葉を切る。顔を上げるとそこにはいつの間に部屋に入ったのか、侍女の隣に彼ーーメリオダスがいた。全く気配がなかったことに侍女が「きゃあ!?」と驚く。

「め、メリオダス様!?いつからそこに!」
「さっき。バルトラからリルが熱出したって聞いたから見にきた」

彼はベッド脇にあるイスに腰掛けながら飄々と言ってのける。なんとなしに窓を見ると太陽が燦々と輝いていた。昼休みにはまだ早い時間なのに。答えはわかっているものの、一応聞いてみた。

「……仕事は」
「サボった」

わかっていても腹は立つので二の腕を摘まむ。触った感触から贅肉ではないのがわかってそれもなんとなく癪に触った。
彼はそんな私に気付いたように苦笑し、宥めようとしたのか、私に手を伸ばす。咄嗟に払いのけようと二の腕から手を離したが、その拍子に肩を軽く押された。何も力を入れていなかった体は簡単に横たわる。

「……何すんの」
「病人は大人しくしてろ」
「……別にもうへい…、ゲホッ」

さっき薬を飲んだばかりだが流石にまだ効かないらしい。元々効きにくい体質というのもあるのだろう。少しでも楽になるように体を丸めるが咳は中々収まらず、段々と息苦しくなってきた。「大丈夫か?」と彼が背中をさすりながら声をかけてくれるが答えられそうにない。侍女が差し出した水を咳き込みながら飲んでようやく落ち着いた。

「……も、大丈夫……」
「嘘つけ。ぐったりしてんじゃねえか」

深呼吸して呼吸を調える。突然咳が出るのも慣れっこだ。多少苦しいけど死ぬわけではない。

「メリオダス様、申し訳ありませんが今日はお引き取りください。この通りリル様の体調も優れませんし、あなた様も騎士団の任務がおありでしょう」

侍女が遠慮がちに、しかし芯の通った声でそう言う。そうだ、この人には国を守ってもらうという大事な仕事がある。それを放棄するほど私は末期ではないし、今だって心配するほどひどい熱があるというほどではない。侍女の言葉に私も頷く。
がしかし、そこで「はい」と言わないのが彼だ。

「オレがいなくてもあいつらは大丈夫だ。それに今日は団での任務はねえ」

ほら、この顔。悪戯をする子供のような顔をした彼を見ていい予感がしたことは一度もない。

「オレ個人の任務ならあるけど。な?リル」
「……どうせ父上の許可はあるんでしょ」
「もちろん」

何のことかわからない侍女が私と彼を交互に見る。そして「どういうことでしょう…?」と眉を下げた。長年私に仕えているとはいえ、流石に彼の性格はまだ把握できていないらしい。それは私もだけど。

「オレがリルの看病をするって任務だ!」
「えっ!?」
「……行って大丈夫です。寝とけば治りますから」
「リル様がそう仰るなら……でも本当に大丈夫ですか?」
「心配すんなって!ほら、お前も仕事あんだろ?」
「きゃっ、待ってください!いいですかメリオダス様、リル様は高熱があるんです。くれぐれもご負担になるようなことはなさらないようにお願いします!」

侍女が背中を押されながらも必死に何か言っているがよくわからない。彼が「大丈夫大丈夫」と笑っているから、大丈夫ということにしておいていいだろうか。



読書に集中していたからだろうか。太陽の光が熱くなってきたことに気付いて顔をあげた。カーテンを少し閉めようと体を起こすと、それより先に彼が閉めてしまった。カーテンに遮られて弱まった光が部屋を照らす。

「……あ、」
「そろそろ昼だな。食欲あるか?」

彼が何でもないように聞いてくる。……お礼を言うタイミングを逃した。熱は完全に下がってるからカーテンくらい開けられるのに。微妙な気持ちになりながら彼の問いに頷く。

「……少しなら」
「そか。んじゃ厨房に取りに行ってーー」
「失礼します」

まるで話を聞いていたかのようなタイミングで扉が開く。「昼食は食べられますか?」と聞いてきたのでさっきと同じように頷いた。侍女は安心したように微笑んで準備をする。

「お二人で何をしてらしたんですか?」
「本読んでた。リルが「簡単なものなら読めるでしょ」って貸してくれたんだ」
「そうなんですね…リル様が人に物を貸すのは初めてでは?」

何気なく尋ねられた問いに顔をそらす。別に、今まで貸す相手がいなかっただけで彼だから貸したわけじゃない。というか人に物を貸すくらい誰だってするだろう。高い本ならともかく、本屋に行けば大体ある本らしいし。
という思いをこめて頷いたのだが伝わらなかったらしい。「メリオダス様と仲がよろしいのですね」と言われた。……いや、別に、そういうわけじゃ。

「はい、準備ができました。食器はまた後で回収しますね」
「サンキュー」
「メリオダス様のお食事もありますのでお二人で召し上がってください」

では、と出て行った侍女を見送り彼と目を見合わせる。そういえばこの人と一緒にご飯を食べたことはないかもしれない。

「ベッドにテーブル持ってきて食うか?」
「…ん」
「りょーかい」

お行儀は悪いが移動するのが億劫だ。ベッドの縁に座って彼が持ってきたテーブルの前にある食事を見る。一応病人扱いだからパンがゆとフルーツだった。
彼が食べるまで待っていようと思っていると、何故か彼は自分の食事をワゴンに置きっ放しにして私の前に座った。食べないの?と首を傾げる。

「リルが食べてから食う」
「……別に一緒に食べてもいい」
「出たなツンデレ」
「…違う」

何度か繰り返されたやり取りにため息を吐く。何回否定すれば納得してくれるのだろうか。意外と頑固なことはわかっているから早々に諦めてスプーンに手を伸ばす。と、その手を掴まれスプーンを取り上げられた。

「……なに」
「食べさせてやろうかと思って」
「……は?」
「ほら、あーん」

パンがゆを掬ったスプーンが口に近づく。彼と食べるものだと思っていたんだけど、違うのか。何となく気に入らなくて顔を逸らす。

「……あなたもご飯食べたら」
「リルがこれ食べたらな」
「いや」

相変わらず何を考えているかわからないけど真面目っぽい顔をしてるのがむかつく。スプーンに手を伸ばすも上手く躱されてしまい取り戻すこともできない。ムキになって身を乗り出すとスプーンが口に迫ってきたため素早く身を引いた。

「……無理矢理食べさせようとしないで」
「リルが食べないからだろ?これ一口食ったらオレも自分の食べるから食え」
「……何で私があなたの言うこと聞かないといけないの」

真面目な顔から一変、からかい顔になった。この顔もむかつく。でもこのままだと彼が諦めるまで食べられない。それはごめんだ。
どうしようかと一瞬考えたあと、彼の手ごとスプーンを口に持っていく。私が意地でも食べないと思っていたのだろう、彼の力が緩んだ一瞬を狙ってスプーンを奪い取った。珍しく呆気に取られた顔をする彼に思わず笑みがこぼれる。

「……なめないでよね」

ふん、と鼻を鳴らして少し遅めの昼食を食べる。なんとかまだ温かいパンがゆは優しい甘さでおいしい。

「……リルはほんと面白えなぁ」
「……なにが」
「全部」

ふっと頬を緩める顔、は……初めて見た。なんとなく居たたまれなくて、「……食べれば」と彼のご飯を指差した。



リルの部屋は白を基調としているから夕陽の色に染まりやすい。オレの額とリルの額を合わせて熱を計ると平熱まで下がっていた。昼を過ぎた頃から咳も出ていないし顔色もいい。

「よく熱はでるのか?」
「……時々。慣れたから平気だけど」

上げていた前髪を手で直しながらリルが言う。病は気からと言うから寂しくなったりするのかと思ったがそうでもないらしい。だから早く熱が下がったのか?どちらにせよ今日は夜寝るまで傍に居るつもりだ。
棚の上の整理でもするかと腰を上げると同時に扉越しに「入るぞ」という声がした。キィ、と扉が開く。

「!父上」
「見舞いが遅くなってすまない。熱は下がったか?」

予想通り現れたバルトラにリルが雰囲気を柔らかくする。娘の顔をするリルを視界の端に写しつつオレも「よ!」と手を挙げた。

「……体調は良いです」
「少しだけだが時間が取れたから来たが……どうやら本当に大丈夫みたいだな」
「…いえ、来て頂いてありがとうございます」

「親として当然だ」とバルトラはリルの頭に手を乗せる。親バカと言いそうになったが、元来親子というのはそういうものなのかもしれないと思い口を噤んだ。
3人(といっても喋っているのはほぼオレとバルトラ)で雑談していると扉が控えめに叩かれた。恐らくバルトラの迎えだ。本当に少しだけしか時間がなかったらしい。

「陛下、そろそろ」
「もうか……悪いなリル。また来る」
「…はい、また」
「またなバルトラ」
「清々しい笑顔がムカつくなメリオダス」

その問いには笑うことで答える。見せつけるようにリルの頬にキスをするとバルトラの悲鳴が部屋に木霊した。うるせえ。娘は表情ひとつ変えずキスされた頬を手で拭ってるぞ。……傷付くな、これ。
喚くバルトラが煩かったのか、リルが「……父上」と一言発する。それだけでぴたりと止むから、やっぱりバルトラは親バカだ。

「……仕事、頑張ってくださいね」

しかしリルは呆れた顔はせず、仕方ないなという顔をしながらもそれを許すような表情をした。バルトラも和やかにリルに笑いかける。その光景を見て二人は親子なんだと改めて思った。

「ああ、そういえばリル」
「……?」
「喉は渇いてないか?」

扉の前で振り返ったバルトラの問いかけにリルの肩が一瞬、震えた。オレがその時の表情を見るより先にリルはいつもの顔に戻ってしまったから、リルが何を思って反応したかはわからない。でも取り繕うことを苦手とするリルは笑おうとして失敗したような表情を顔に貼り付けた。

「…………少し……でも渇いたら水を飲むので、平気です」
「…そうか。ならいい。大事にな」

何かを含んだ会話なことはわかった。その真意はわからないが、聞いたところで答えないこともわかりきっている。それに、バルトラが安心したように微笑んだから多分大丈夫だ。
ぱたん、と静かに閉まった扉の音を合図にリルが体を横たえる。何となしに椅子に座りなおすとリルが『聞きたいことがあるんでしょう』とばかりにオレに顔を向けた。

「喉、渇いてるなら水いるか?」
「……いい」
「そっか」

それしか言わないオレにリルが何か言いたげな顔をする。どうせ答えないくせに、という意味をこめて笑うとそれが伝わったのか伝わってないのか、不機嫌そうに眉を寄せて背を向けた。髪が重力によって下に流れ、白い首筋が見える。日に焼けてない、少し不健康な白だ。

「……リルって何の病気なんだ?」
「…!」

弾かれたように振り返るリルを真っ直ぐ見つめる。聞いても答えてくれなさそうな会話のことより、答えてくれそうな質問の方がいいと思ったからだ。それにこれは前から気になっていた。リルの相手をしてくれとは言われたものの、オレは何も知らない。年齢のような基本的なことから、何の病気なのか、何故部屋から一歩も出ないのか。

「リルは自分のこと全然話さねえよな。聞いてもはぐらかすし。そんなに言えない病気なのか?」
「……」

リルの銀色の瞳が惑うように忙しなく動く。そもそも言わないことがリルの意思なのか、リオネスに関わることだからなのかもわからない。リルは鈍感だけど頭の回転まで鈍くない。オレが言いたいこともわかってるはずだ。ちらり、銀色がオレを見た。

「…………正確には、病気じゃ、ない」

言える範囲を探りながら話しているのか、迷うような口調でリルは答えた。焦らせないよう、オレもいつもよりゆっくりした口調で問い返す。

「どういうことだ?」
「……お腹が、普通の食事じゃ、満たされなくて」
「飯の量少ないのはそれが理由か」
「……まあ。満たされないから、免疫力がなくて」
「それが原因で病気ってことか?」
「…いや、そうじゃ、なくて……」

緩く首を振って否定するリルからこれ以上踏み込むなという空気を感じ取り追求をやめる。リルは少し考え込み、言葉を選びながら口を開いた。

「……病気には、その、ならなくて……それより、ストレスとか、運動とか、そういうのが、」
「ダメなんだな。今回の熱もストレスってわけか」
「……ん」

詳細までは聞けなかったが、知りたいことはわかった。聞いた感じ、リルの病気(正確には違うらしいが)とリオネスは関係ない。リルの意思で隠したがってるなら、また知る機会もある。

「話してくれてありがとう、リル」
「……別に……信用してなくはないから」
「そっかそっか」

その時はオレも自分のことを話してみようか。リルがどこまで信じるかわからないし、嫌われるかもしれないことを考えると、まだ覚悟はできていないけど。でも多分、諦めるなんてできそうにもない。

「リル」
「…ん?」

オレの呼びかけに素直に応じるところがかわいい。顔の下半分を布団で隠して見上げてくる。あざとい。きっとオレじゃなくてもリルは同じように反応する。それはわざとじゃなくて、人に警戒心を持ってないからだ。男という生き物を理解してないからだ。自分に興味がないから、人からどう見られているのかを考えていない。
ーーだから、オレがキスしたくなったなんて、リルにはわからない。

「!」

1回目のキスは何の反応もなかった。今回は布団に遮られたキスだったけど、前回とは違ってリルは大きく目を見開いた。やっぱりかわいい、と思う。

「飯取ってくる」
「…………え?」

いつものへらりとした笑みを貼り付けてリルの上から退く。未だに目を白黒させているリルの頭を少々乱暴に撫でて部屋から出た。

『……なに、いまの』

扉の向こうで聞こえた声に口角を上げて。








←←
▲top


ALICE+