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 体は子供、頭脳は大人の某名探偵の気持ちってこんな感じかな。
 白い千切りパンのような腕を振り回しながらそう思ったのは随分昔の話だ。あー、うー、ぎゃーしかバリエーションのなかった幼すぎる赤ん坊時代、母の腕に抱かれた私の目は死んでいた。
 なんせ前日までは立派に大人だった。
 それが目を覚ましたら語彙は失われ、立つことはおろか座ることさえままならない。薬を飲んで小さくなったという一見せずとも意味はわからないが理由がある某名探偵はまだマシだ。こちらは六歳児ですらなく赤ん坊だし前兆もなかった。普通に泣いた。赤ん坊の泣き声なのが更に心にきた。

「せんせー、おはようございます!」
「はい、おはようございます! 今日も皆んな元気ね!」

 しかしそんな私もすくすく成長して現在は小学生になる。両親の顔と名前は以前とは違っていて、私のそれらも異なっていた。初めは戸惑ったが名前は毎日呼ばれるものなので自然と慣れた。慣れないのは顔。以前と違い過ぎて未だに鏡を二度見する。

「それじゃあこの前した算数のテストを返すから、名前を呼ばれたら取りにきてね」
「はーい!」

 私が“こう”なってしまったのは恐らく某名探偵とは違う何らかの不思議パワーなので、元に戻ることは諦めている。前の生活への未練も特にない。家族仲はよくなかったし外で関わりのある人もいなかったから、今のこわいくらいに愛を注いでくれる両親の方が愛着はある。人生やり直しだ、やったー! とは思わないが、楽に生きたいのはそうなので適度に親孝行しつつ適当に生きることが目標だ。
 とはいえ今は小学生。人生で一番楽かと思いきや案外そうでもない。早く大人になりたい。義務教育が一番面倒。多感な時期だから問題事がたくさん起こるし何より人間関係が面倒くさい。友情に恋愛。青春とはしたくない者からすれば傍迷惑なものでしかなく、子供だけでなく教師という生き物も人によって当たり外れがある。結論として学校はクソ。
 それは私の通う帝丹小学校も例外ではない。なお意味は少々異なる。

「じゃあ次——江戸川コナンくーん!」
「はぁい」

 変声期前の高い声にぼんやりしていた意識が浮上する。担任に名前を呼ばれ、どこか気だるそうに立ち上がった小さな背中を目線だけで追った。大きな眼鏡、整った容姿、加えて文武両道。同年代と比べて小柄ではあるが、成長した彼が高身長なことを私は知っている。
 そう、彼は真実はいつもひとつでお馴染みの某名探偵。
 つまり同じクラスに面倒くさい存在が二名、関係者を含めたら五名いることになる。帝丹という学校名からして怪しんではいたが「同級生ましてや同クラスとは限らないし」とたかを括ったのがバカだった。入学式当日、教室でのオリエンテーションで未来の少年探偵団を見たときは絶望したし転校するか本気で悩んだ。だって事件なんて面倒くさすぎるもの、私は絶対に関わりたくない。推理ものはフィクションだから楽しめるのであってリアルにはいらない。でも両親への言い訳が思い浮かばなかったし、変に誤解されて心配をかけるのも本意ではないため泣く泣くやめた。幸いにも事件回避のための伝手はあって、私が校外で事件にエンカウントしたことは一度もない。校内で起きたときは即帰宅だ。そもそも校内で事件を起こすな。

「コナンくん、また満点よ。がんばったわね!」
「あはは……」

 だろうな。
 という、引き攣った笑顔の某名探偵の心の声が聞こえる。彼とは話したことはおろか目を合わせたこともないが、過去になんとなく読んでいた漫画の知識でその心情は察しがつく。特にテストで思うことは毎度同じだろう。子供のふりをするため、不自然でない程度に問題を間違えたいのに簡単すぎて間違え方がわからない、といったところか。
 結局満点を取ってしまうのは根が真面目なのと、元の姿のときから優秀なのもあって適当がわからないからだろう。私は根っからの不真面目なのでその手の悩みはない。

「佐川さーん」

 名前を呼ばれ、気付かれない程度にしていた某名探偵の観察をやめてさっさと教卓に向かう。テスト用紙を受け取る前に担任が「あのね、佐川さん」と控えめに声をかけてきたため、教卓の傷から顔を上げた。

「問題むずかしかった? 先生の授業わかりにくいかな?」
「別に」
「と、とにかく答えを書いてみることが先生は大事だと思うから、佐川さんもそうしてくれると嬉しいな」
「そうですか」

 無感動に頷いて手を差し出す。急かすように揺らせば担任は慌てた様子でテスト用紙を手放した。それを折りたたみながら踵を返して席に戻る。担任にあんな風に絡まれるのは想定内だし慣れた。今回のテストは特に、名前以外白紙なのだから当然だろう。
 満点を取ることに忌避感はない。ただこのクラスで常に満点なのは某名探偵と灰原哀だけなので、その括りに入るのは嫌だった。用心を重ねて共通項はできるだけ減らしておきたい。あと中学受験をするわけでもないのに小学生で満点を取ることにメリットを感じないため、テストはその日の気分で答案するかしないかを決めていた。
 でもそろそろ適当な点数を取らないと親に連絡がいきそうだな。次は半分くらい埋めとくかと思いながらファイルにテスト用紙を挟む。

「ね、ねえ楓ちゃん、テストどうだった?」
「さあ」

 話しかけてきた隣席の子に一瞥もくれることなく文庫本を取り出す。小学一年生が持つには厚すぎるそれを開いて、本の中へ意識を飛ばした。



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