2人だけが知っている 特別な日

 2月14日。ここツイステッドワンダーランドではごく普通の日付である。市販に流通しているカレンダーや手帳にもハロウィンやニューイヤーのような記載は無い。ただ一人のカレンダーを除いて……。デイヴィス・クルーウェルのカレンダーには2月14日の欄にSt.V.D.の文字があった。
 バレンタインデー。この世界でその言葉を知っているのは彼と彼に教えた彼女だけ。32歳の2月14日。彼がこの言葉を知った初めての日だった。


「クルーウェル先生、バレンタインデーって知ってますか?」
 魔法の存在しない異世界からやってきた彼の担任クラスの生徒である監督生へいつものように放課後の個人授業をしていた。そろそろ休憩を取ろうと席を立ちクルーウェルがコーヒーを入れる。
「ばれんたいんでー?聞いたことがないな。生徒たちの間で流行っているのか?」
「いえ、私の元の世界のイベントで、実は今日2月14日がバレンタインデーなんです」
「なるほど。ハロウィンは共通なのに違うイベントもあるんだな」
「あー、もしかしたら名前が違うって可能性も……私の国では、女性が好きな男性にチョコレートを贈って気持ちを伝える日なんです。世界的にはカップルが愛をお祝いする日らしいんですけど」
 クルーウェルが淹れたてコーヒーをテーブルに置くと監督生は軽く会釈し、角砂糖2つとミルクを入れてかき混ぜた。そして、おもむろに鞄からワインレッドの包み紙に金色のリボンでラッピングされた箱を取り出してクルーウェルに差し出した。
「クルーウェル先生、好きです。受け取ってください」
「……Stay!仔犬!」
 あまりにも突然すぎる出来事に呼吸が一瞬止まった。この後どう言葉を紡いだらいいかわからない。口からはとにかく何か言葉に出さなければと口癖だけが飛び出していた。
「やっぱりダメですか?」
 監督生自身もわかっていたのか、涙を見せるどころか、悲しそうな顔一つしなかった。
「ダメに決まっているだろう!それともお前の世界では教師と生徒が付き合うのは当たり前なのか?」
「全然。バレたら懲戒免職ですね」
 倫理観はどこの世界でも同じらしい。クルーウェルは深いため息を吐く。
「全く……俺は未成年、ましてや生徒とは付き合う気はないし、もちろんソレも受け取らない」
 はっきり告げると監督生は取り出した箱を元の鞄へとしまった。


 次の年もその次の年も、監督生は2月14日になるとクルーウェルに同じ台詞を告げ、ラッピングされた包みを差し出す。クルーウェルも同じ言葉を監督生へ投げ、贈り物は鞄へと戻される。
 そして、4度目の2月14日。この日はいつもの台詞だけでは終わらなかった。
「クルーウェル先生、私、今年卒業するんですよ」
「無事に単位取れたらな」
「取れます、いえ、取りますから。先生が個人授業してくれたんだもの。卒業できなきゃおかしいでしょう?」
 今年もまた受取拒否で戻ってきたプレゼントを鞄にしまいながら、コロコロと監督生は笑う。あの時、クルーウェルにとって初めてのバレンタインの時と同じで、一瞬たりとも悲しそうな表情を浮かべない。
「来年のバレンタインデーは卒業済みですし、未成年じゃありませんから」
 パタン……扉を閉める音がやけに響く。
 ――来年のバレンタインデーは自分には存在するのだろうか。クルーウェルは考える。学校という狭い空間だからこそ、発生してしまった教師への恋愛感情イレギュラー。彼女が社会に出れば、若気の至り、学生の頃にある少女漫画地味たこと、そんな思い出に簡単に変わってしまうだろうから。

『私の国では、女性が好きな男性にチョコレートを贈って気持ちを伝える日なんです』

 生徒へのちょっとしたご褒美用にと机の引出しに入れてあるブランドチョコレートを一つ取り出して口に含んだ。


「クルーウェル先生、来週監督生、いや、今はユウさんだな、学校に遊びにくると連絡がありましたよ」
 2月初旬のことだった。
「そうみたいですね。連絡が来ていました」
 自分だけに連絡を入れていたと思っていたが、どうやらユウはトレインにも連絡していたらしい。どことなく残念に思ってしまうようになった自分に、彼は心の中で舌打ちをする。
「クルーウェル先生、私はコーヒーに砂糖とミルクは入れませんよ」
「ああ、失礼しました」
「誰か、この部屋でコーヒーを飲んでいた人は入れるんですかね」
 見透かされているのが悔しくて、たまには飲んでみたくなるものですから、と彼は砂糖もミルクもカップへぶち込んだ。
 彼からすれば恐ろしく甘い。脳みそが溶かされそうだ。退勤後、蕩けた頭で花屋へと寄った。


「クルーウェル先生、失礼します」
 入るよう促すと社会に出たからかより丁寧な所作で研究室の扉が開かれ、見慣れないスーツ姿の若い女性が入室してくる。
 クルーウェルにとって5度目のバレンタインデーが始まった瞬間だった。
「ユウ」
 真っ赤な12本の薔薇の花束をユウへと差し出す。
「クルーウェル先生?!」
「どうした?今日はバレンタインデーだろう?」
「そうですけど……?!」
「お前の住んでいた国とは逆で男性から好きな女性に贈り物をする国もあるそうだから、何も間違ったことはしていないつもりだが?」
「クルーウェル先……」
「『さん』だ。仔犬、お前はもうNRCここの生徒ではないだろう」
「えっと……あの?!」
「好きだ。付き合ってくれ」
 5度目にして初めて彼女は涙を見せたのだった。彼女の作ったチョコレートは、もう、彼女の鞄に戻ることは無かった。


 クルーウェルにとってもう何度目になるだろうバレンタインデーの今日、彼の車の助手席には108本の真っ赤な薔薇が華やかなラッピングで束ねられて置かれている。
 2人だけが知っている特別な日バレンタインデー|は、本日また新たな記念日へと生まれ変わるだろう。

END

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