締め切りはまだ先みたいです。/rb

色々なrbr企画にて書かせていただきました。元ページは現在パスワードがかかっております。

▼以下本文


ヴーッ、ヴーッ、

爽やかな朝には似つかわしくない機械音が頬を揺らす。私のような作家の朝には小鳥の囀りが相応しいというのに。
机で寝落ちしてしまったためにバキバキの体で画面にあるふたつの丸の緑に触れる。このバキバキの体も相応しくないな。

『もし。』
「もし。じゃないですよ"ぉ"!!」

これまた寝起きには相応しくない大声に思わず通話口から耳を離す。

「し・め・き・り!過ぎてます!」
『あー...その件か。うん、私も知っているんだけどね...』

この言葉もそろそろ変え時だな。

「いつもの〈イメージを練り上げてる段階〉ですか?だから早く手ぇつけろって言ったじゃないですか...」

ふぅ〜....と深いため息が聞こえる。ずず、と何かを啜る音も加わる。恐らく長丁場になると踏んで珈琲でも入れているのだろう。

『いや、今回はもっと最終段階に近づいている。ある台詞がね、決まらないんだよ。』

そう、私の月刊連載している小説の重要なワンシーンのその更に重要なワンシーン。告白の場面の台詞が決まらないのだ。

「ん〜...何のセリフなんですか?」
『告白だよ。愛のね。』
「こッ...あっやべ零したぁ!」

ぱたぱたと慌ただしく歩いているのだろう。ちょっとコーヒー入れ直しますね、なんてその場に居もしない私にわざわざ断るくらいには混乱しているらしい。

『大丈夫かね。』
「職場じゃなくて良かったです...」

家に居るということは元々原稿が出来てないつもりだったんじゃないか...

「で?告白のセリフですか?」
『そうだ。』
『私も今まで両手では抱えきれない程の愛の言葉を受け取ってきたけどね、作中とはいえ自分が言う側になると困ったものだよ。』

ある時は深紅の薔薇の花束を渡され、ある時はラブソングを送られ...そうだ、あの時の彼はトップアーティストとして幸せにしているらしいな。対談を読んだが私へのデビューシングルは無かったことになっているらしい。

「まぁ喋らなければ顔だけはいいですもんね」
『君は喋ってだけいればいいものを...』
「2mm伸びたんですよ、これは偉大です」
『素晴らしいじゃないか。赤飯を炊こう』
「キーッ!馬鹿にしてますね!」

電話越しでもハキハキとよく通る声はワントーン高くなる。
声...

『候補は絞れているんだ。少し手伝ってくれないか?』
「あぁ...なんの文才もない一般人ですが。」
『今から文章で送るからそれを読んでくれ。』
「わかりました」

走り書きのメモをキーボードに打ち込み送る。
通話口からピポン、と音が聞こえる。

「あ、来ました来ました」

〈貴方はこの世界のどの花よりも美しい。僕はそんな貴方に降り注ぐ雨でありたい。〉
〈ずっと貴方の傍に居たい。貴方という光が存在するためなら僕が影になろう。〉
〈貴方は僕の全てだ。僕は全て貴方を通してしか見ることが出来ない。君もそんな風に思ってくれていると嬉しい。〉

「...え?これを?読むんですか?」
『うむ。君のそのいい声を最大限に活用してくれ。』
「えー...ゴホン。行きます。」
『よし。』

「えー、貴方は、この世界の、どの、ん?どの花よりも?美しい?えーと」
『君は想い人に告白する時そんなしどろもどろになって愛を伝えるのかね?』
「恥ずかしいんですよ!」

まいったな。これでは何の参考にもならないではないか。

『うーん...どうするか...』


「好きです。」

たった一言だがはっきりと、そして力強く述べられたその言葉は確かに心を震わせる。

「...こういうシンプルなのでも良いんじゃないですか。」
『ふむ...ふむ!成程!』

空欄のカギ括弧にたった四文字を書き込む。
やけにしっくりくるこの言葉はきっと彼の本心からだろう。

『そうだろう?』
「ん?何がですか」
『君、私のことが好きだろう?』

沈黙。

「え!?なんで...いや、え"!?違う!いや違わんけど、え!?」

ガシャン、と音が聞こえる。彼、また珈琲を零したのではないか?

『違うのかい?』
「いや、違わな...あーもう!書けたなら編集局持ってきてください!」
『正直締め切り後の運転は怖い。』
「じゃあ取りに行きますよ...!」

かたり、ペンを置き原稿用紙を纏める。

『楽しみに待っていよう。その時にでも直接聞かせておくれ。』
「あーもう...!」

机から立ち上がり、顔を洗う。すっかり覚めた目で台所へと向かう。マグカップを2つ取り出す。
さて、珈琲でも入れようか。


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