「くっそ……んであそこで揃わねぇかなぁあ!!」

意味もなく道端のゴミ箱を蹴る。
思いの外中身か詰まっていたらしく、足の指先が悲鳴をあげただけだった。
あまりの激痛に悶えて道端で蹲っていると「見ちゃいけません!」と言う声が聞こえた。ちょっと泣いた。

「銀さん、またスッたね?」
「うるせぇ」
「今晩はツケないよ」
「どいつもこいつもケチケチしやがってよぉ情はねぇのかよ」
「そういうのは今までのツケ精算してから言っとくれ」

蹲ったまま少し心の傷の修復をはかっていたら、たまたま通り掛かったらしい居酒屋の店主に傷を広げられた。
思わず胸元を押さえるが、財布の厚みさえ感じさせない懐に更にライフが削られた。
しかも店主は我関せずといった風体でさっさと通り過ぎた。
涙の滲んだ目元を腕で拭う。汗だと言い聞かせた。
はた、と目の合った子供に物凄く変なものを見る目で見られた。純粋な奴の目って時にこんなに残酷なんだなと思い知って、万事屋までの道程を進む。

この後の眼鏡と大食らいの説教を思って一気に足取りが重くなる。
1杯引っ掛けないと帰る勇気さえ湧かない気がした。そもそも彼処は自分の家だった筈なのに。

ぼりぼりと頭を掻く。
はあ、と大きな溜息を吐いて曲がり角を曲がる。
するとそこにはいつか見たおでんの屋台がぽつんとあった。
まだ日が暮れたばかりのその屋台には人影はない。

銀時はこれ幸いとばかりにそこに足を向けた。

「あぁぁぁあ親父ぃぃい!!純粋な子供に心を抉られた俺に何か奢ってぇえええええ!!!!」

絶叫しながら屋台の机に突っ伏した。
ガタガタと屋台が小さく揺れる。
頼むとばかりに机に頭を下げ、これ見よがしに拝んだ両手を頭上に掲げてみた。

この屋台は毎晩出ている訳ではない。
気前の良い世話好きの親父が、その日気ままに思いついた所に屋台を開くからだ。

以前この辺りに店を出していた時に、土地代がどうだと天人に絡まれていたのを助けた時から、毎度毎度金が無いと土下座する勢いで入れば、気さくな親父は「またかい銀さん。しゃーねぇな。」と豪快に笑ってくれるのだ。

今回もそれを期待して机に頭を打ち付けながら懇願する。
するとどうだろう。いつもはすぐ聞こえてくる豪快な笑い声が聞こえない。それどころか息を呑む様な声を聞いた気がする。心無しか緊張感も伝わってきた。
「あれ、やべぇついに愛想尽かされたか?」と内心銀時が冷や汗を流していると、暫しの沈黙の後、息を吐くような笑いが聞こえてきた。

「あいよ。」

その微かに笑った声は、いつもの親父とは到底結び付かない若者の声で、銀時はピシリと固まった。
そしてあまりの恐ろしさに頭も上げられず、額を机にぴったりとくっつけたまま、恐る恐る声を発した。

「あのぉ……もしかして今日いつもの親父じゃなかったり、します?」
「初めまして。おやっさんに頼まれたバイトです。知らない人に必死に頭下げられちゃあ奢らない訳にはいかないねぇ。」
「うわ……あの、なんていうか、ほんと申し訳ないっていうか、穴に入りたいっていうか、いっそ埋めて欲しいっていうか……」

もうなんなの今日!!!!俺厄日なの!?!?!

思わず顔を覆いながら叫ぶと、ふっと喉の奥を震わせる笑い声を頂戴した。しにたい。
でも奢ってもらえるのだから、酒は飲みたい。

未だ頭を下げたままの状態でいる銀時に構わず、ゴトッと通しと冷酒が置かれた。
ちら、と見ると情けなくも「ぐぅ」と腹が鳴る。
はは、と笑い声が聞こえた。その声も若くて銀時は戸惑いながらもお通しと箸を手に持った。
依然顔は上げられない。

「お兄さん、バイト始めたばっか?」
「……そーね。今日が初めて。」
「あ、そう……じゃあ俺の事は何も聞いてなかったり……」
「いんや。多分ここで店出したら、大の大人がツケてくれって懇願してくるからとは聞いたね。」
「……。」

お浸しが急に不味くなった気がした。
ちょっと親父。何その事前講習。やめろよ。
銀さんマダオみてぇじゃねぇかよ。まだそこまで落ちてねぇよ。

落ちてねぇよな?

もきゅもきゅと味のなくなったお浸しを咀嚼する。
おでんをつつく音と、出汁のちゃぷんという水音だけが聞こえた。

「美味しい?」
「あ、はい……餅巾着と大根ください。」
「図々しいな。」

菜箸が器用に大きな大根と、餅の零れそうな巾着を掬い上げる。ついでに卵や蒟蒻を拾う箸の先を眺めながら口を開いた。

「お兄さん、あの親父の孫かなんか?」
「いや、ただのバイト。」
「あ、そう。てか手、ほっそくね?」
「あ?こんなもんだろ。」
「いや、ほせーだろ。心無しか声も中性的だしよ。」
「はあ、失礼だな。汁ぶっかけるぞ。」
「え、ちょっと待って。なんかその声とか言葉遣いとかどっかで聞いた気がするちょっと待って。ここまで出かかってんだけど、」
「……」
「ちょ、黙らないで喋ってて思い出せそうだから!」
「ちょっと待てっつったから黙ったんでしょうよ。めんどくせぇな。」
「あ!!!!!その言い方!!!!もっと!!!!!」
「ちょ、声でけぇわ。変質者だからやめて。」
「あいつ!!!あれだ!!!!」
「……誰。」
「昔の女に似てんだ!!!」
「ほぉ……?」
「あースッキリしたわ。兄ちゃんサンキュな。お陰で思い出せたわ。あ、別に兄ちゃんがどうこうとか、口説いてるとかそういう事じゃ全くないから。」

魚の骨の突っかかりが取れたとばかりに笑顔で手を伸ばす。
もちろんおでんの皿を受け取る為である。
そして銀時はおでんの皿を見遣る。その皿の先にある顔を見て、彼は『死んだ魚の目』と評される目をかっぴらいた。


「イヤァァァァアアア!!!!!!!」


「ばっか、うっさい、」
「は!?!?!なん、ななな、なんで!?!?なんで!?!?巴!?!?!ホンモノ!?!?」
「お化けダヨ。」
「イヤァァァァアアア!!!!!」
「ねぇ、五月蝿いって落ち着けよマジ。」


「で?お前なんでこんな所いんだよ。」
「鼻血出てるけど。ウケる。」
「ウケねぇよ。てめぇが馬鹿力で殴るからだろ。」
「銀時が営業妨害するからだろ。」
「お前が悪いんだろうがぁあ!!!!!最初っから久しぶりとか何とか言えよ!!!!!」
「あ、銀時超久々じゃん。相変わらず天パとかウケる。」
「ウケねぇっつってんだろ!!!天パ馬鹿にすんなって俺ガキの頃から言ってるよねぇえええ!!!?」
「私ガキの頃から銀時の女だった記憶ないんだけど、それについて具体的に。」
「おまっそれ、それはあれだろうが、あのほら、ち、ちょっと言葉足らずって言うの?字足らずって言うの?」
「字余り?」
「そうそれ、字余り!」
「馬鹿なの?」
「ばばばばば馬鹿じゃねぇしッ」

目を忙しなく動かしながら、誤魔化すように冷酒を煽る昔馴染みに巴は声を漏らして笑った。図体ばかりデカくなった彼は、中身はちっとも変っていなかった。ガキのまんまだ。
昨日会った高杉もきっと中身はガキのまんまだ。
少しも変わらない旧友に嬉しくなったけれど、もう一緒にはいない事が少し寂しい気がした。

苦く笑って酒ばかり飲んでいる銀時の前におでんの追加を置いた。
ちら、とこちらの表情を窺ってから静々とお皿に手を伸ばすその仕草は昔と変わっていなくて口角だけで笑う。
それを見たのか銀時も少し笑った。

「お前、今なにしてんの?」

おでんを食べながら問う銀時に、巴は団扇で自分を仰ぎながら答える。

「おでん屋のバイト。」
「いや、そうじゃなくて。」
「色々バイトしてんよ。」
「…へぇ。そうか。」
「そういう銀時は?」
「俺?俺は万事屋やってる。」

胡散臭。
思ったのが顔に出たのか、片眉を吊り上げた銀時は胸元をごそごそと弄りだす。
そして一枚の名刺を差し出した。(その拍子に見えたスッカスカの財布は見なかった事にする)

「万事屋銀ちゃん…これ生活安定してんの?」
「…あったりまえだし?余裕だし?」
「まぁ余裕な奴が毎度屋台でタダ酒懇願したりしないよな。」
「そう思ったなら何で安定してるか聞いたの?」
「逆に何で余裕とかバレバレの嘘吐いたの?」
「見栄に決まってんだろ!!」
「かっこわりぃ。」

思ったよりも格好悪いの一言に傷付いたらしい銀時は、俯きながら糸こんにゃくを素麺よろしくズルズル吸い始めた。
何にも変わっていない、どうしようもない姿に呆れるけれど、きっとその義理堅いところは風化していないんだろう。でなければ、ここの屋台の店主が彼にタダ酒を許すわけがないし、この町で生きていけもしないだろうから。

戦場で白夜叉に背を預け、その背を護っていた事が脳裏を掠めた。



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