先程からずっと叫んでいたのが嘘のように沈黙が落ちる。
高杉も刀から手を外し、ゆっくりと襖を向いた。
ピンポーン、と
また間抜けな音が響いた。

深夜3時に差し掛かる頃合い、近所迷惑も考えずに叫んでいた事から考えるなら、近隣住民からの苦情だけれども、どうもそれだけと言い切る事は出来ない面子が此処にはいる。
ごくり、と来島は息を飲んだ。

家主の顔を見ると、彼女はずずっと音を立ててお茶を飲んだ後、ガシガシと面倒くさそうに頭を掻いた。
そしておもむろに立ち上がる。
「テレビ点けとくべきだったかな」それだけを呟いて巴は襖を開けた。
それに来島はハッとして、黒の着流しに包まれた腕を掴んだ。
別段驚いた様子もなく、巴の目は来島を向いた。

「ま、まさか言うつもりじゃないっスよね…?」
「……なにを?」
「晋助様が居る事を、っス。」
「…、」
「巴さんが晋助様を警察に突き出すつもりなら、いくら憧れだからって容赦しないっスよ。」

ぐっと、腕を掴んだ手に力を込める。
睨むように視線をぶつけると、巴さんは息を吐くように笑った。
驚いて目を見開くと、ぽんぽんと掴んだ腕とは反対の手で頭を撫でられた。
優しいその手つきに唖然とする。
ピンポーン、とまた無機質な音が鳴った。

「来島、笠取れ。」
「え、晋助様、」
「早くしろ。これ以上放っとくと強行突破されかねねぇ。」

高杉の言葉に振り向くと、緩んだ来島の手から腕がするりと抜けていく。
あ、と間抜けな声が漏れた。

迷わずリビングを突き抜けて玄関に進んでいく彼女の後ろ姿を呆然と見ていると、高杉に笠を渡され茶室の中に押し込まれた。そして高杉は襖を閉め切り、草履を取る。

「あ、あの、晋助様っ」
「安心しろ。あいつは言わねぇよ。だから来た。」
「え、」
「それよりさっさと用意しろ。巴が引き付けてる間に出るぞ。」
「は、はいっス。」

畳の上で草履を履いてしまうのは些か抵抗があったが、高杉に倣う。
閉め切った襖の奥で、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。




「はーどちら様っすか〜」
「…女か。悪いな、こんな夜更けに。」
「悪いと思ってるなら何度もインターホン押すのやめてくれます?ただでさえ大音量でテレビ見てたのに五月蝿いったらないんで。」
「いや、大音量でテレビ見てたら五月蝿くねぇだろ。」
「なに、苦情?聞いてやらんでもないけど?」
「何で上から目線なんだよ。」

出てきたのは赤髪の女。
赤茶の瞳は女性にしては鋭く、吊り上がった眉が意思の強さを表している。
黒の着流し姿の彼女は紛う事なく部屋でくつろいでいたそれだろう。髪も些か乱れている。

酔っ払いから高杉に似た奴がこの辺で歩いているのを見たと通報があったが、信憑性は確かではない。
だが聞き込みをするぐらいの価値はあるかと、深夜のパトロール中、たまたま電気の点いていたこの部屋を訪ねたのだ。

眠そうに眼を細めている女は、軽く俺達2人の様子を見やったかと思うと、ガシガシと面倒くさそうに頭を掻いた。

「真選組が何の御用ですか〜悪い事はまだバレてないんですけどぉ。」
「へぇ。じゃあ悪い事してはいるんだねぃ。逮捕でさぁ。」
「ちょ、おい待て総悟。手錠出すな。」
「わざわざテレビ消して出てやったのに逮捕するとか、どうなってんの?マジ意味不明なんですけど。」
「いや、別に大音量について注意する為に来たわけじゃねぇよ。」
「は?違うわけ?じゃあ何しに来たんだよ。夜這い?」
「違ぇえ!!」
「違うのかよ、意気地なしかよ。」
「お前さっきからホント何なの?初対面なのに何なの?」
「俺は嫌いじゃないですぜ。」
「私も美形男子はやぶさかではない。」
「なるほどな。総悟と気が合うなら俺お前苦手だわ。」
「えっ…酷い…」
「えっ」
「うわ。夜中に押し掛けた挙句、一般市民の女性泣かせるなんざ男の風上にも置けねぇや。死ねよ。」
「いや、す、すまねぇ言い過ぎたっつーか、」
「で、ご用件をどうぞ。」
「この辺で怪しい奴見ませんでしたかぃ?」
「お前ら斬っていい?」

イラついた男の口角が引き攣る。
初対面にも関わらず、何故こんなにも振り回されなければいけないのか。
女は先程から息の合う男が見せた人相書きをじっと見つめる。
そして片眉を跳ね上げた。

「この人…」
「!…見たのか?」

やんわりと人相書きを取った女は、それを凝視したまま口を開く。


「くっそイケメンじゃね?」


「お前ホント何なの!?そういう空気じゃないの解って!?!?」

「うっさ。ちょ、近所迷惑だから。しー。」
「そうでさぁいい大人が何叫んでんでさぁ。しー。」
「2人して人指し指立ててんじゃねぇよ折るぞ。」

2人が口元で立てた指をあらぬ方向にグッと力を込めてやれば「いててて」という間抜けな声を2人分頂戴し、気が済んでから手を放す。
はぁと大きく溜息を吐けば、ぶつぶつと小言が聞こえてきたが、睨みを聞かせれば2人は黙る。

「で、見た事あんのか。1、2時間ぐらい前にこの辺をうろついてたらしいんだが。」
「見てないね。大体外も出てないし。…あ、ベランダには煙草吸いに出たけど。下の階の山下がさんがエロ本買ってきたのしか見てない。」
「そうか。山下さんが気の毒だから、それは忘れてやれ。」
「らじゃー。」
「チッ…結局無駄骨でさぁ。使えねぇな土方。」
「おかしいだろ、俺悪くねぇだろうが。」
「何?このイケメンこの辺にいるの?」
「酔っ払いの情報ではな。過激派の奴だから気をつけろよ。」
「今外出たらワンチャン会える系?」
「話聞けよ。」
「俺に会えたので我慢してくだせぇ。」
「え、好きぃ我慢するぅ。」
「真顔で甘え声出すの怖ぇからやめとけ。」

一際大きな溜息を吐いた土方はおもむろに煙草を取り出し火を点ける。
一つ煙を大きく吸った後、煙草を口から放した。
紫煙を吐き出す時に細まった眼光が女を見る。

「悪かったな。あと、結構五月蝿かったからテレビの音量には気を付けろよ。」
「…はいよ。あんた割といい奴ね。」
「割とは余計だ。…総悟、行くぞ。」

土方が背を向けて歩き出すも、後ろから総悟は着いて行く素振りを見せない。
眉を寄せて振り返ると、総悟は女とじっと見つめ合っていた。
ぎょっとする土方に構わず総悟は不思議そうに首を傾げた。対する女も不思議そうに首を傾げる。まるで鏡のような2人に土方は眉根を更に寄せた。

「あんた…どっかで会ったような、気が…」
「…気のせいじゃね?イケメンは忘れないけど?」
「そうですねぃ…俺もタイプの女は忘れないでさぁ。」
「付き合う?」
「考えときまさぁ。」
「おい、総悟。お前勤務中に女口説いてんじゃねぇよ。」
「はぁ女日照りの嫉妬は醜いですぜ。」
「嫉妬じゃねぇ!」

さっさと行くぞともう一度声を掛けると、総悟は今度こそ後をついてきた。
しかし階段を下りる所に差し掛かると再び足を止め、振り向いた。
そんなにあの女が気になるのかと、土方が少しの驚きをもって総悟を見やると、その視線を気にも留めずに彼は未だ部屋に引っ込まずに居る女に言を発した。

「俺の名前、沖田って言いまさぁ。あんたは?」
「…中原。」
「へぇ…んじゃ。」

ってきり連絡先でも聞くのかと思っていた土方は、自己紹介であっさり終わってしまった会話に拍子抜けする。階段で止まっていると、すぐに追いついた沖田が怪訝そうに土方を見た。

「何でぃ気持ち悪ぃ。」
「…いや、自己紹介だけでよかったのか。」
「え、じゃあ中原さん家でこのまましっぽりヤってきても良いって事ですか?さすが土方さん気が利きまさぁ。んじゃちょっくら、」
「おいこらまてまてまてぇ!!巡回中だろうがぁ!!」
「チッ…解ってまさぁ。だから自己紹介で済ませたってもんだ。」
「お前が初対面でそこまで気に入るの珍しくねぇか?」
「名前聞いても思い出せませんでしたけどね…どっかで会った気がするんでぃ。」
「へぇ…あれ口説く為じゃなかったのか。」
「土方の寒い口説き文句と一緒にするんじゃねぇよ土方コノヤロー。」
「殴るぞてめぇ。」


階段を下る足音に耳を澄ませながら、ソファに腰を下ろした巴は安堵したように大きく息を吐き出した。
目を瞑り、天井を仰ぐ。そして静寂の中小さく笑った。

「人相書きイケメン過ぎだろ…馬鹿杉め。」




「晋助様、巴さん1人で大丈夫っスかね?」

宵闇を歩きながら、来島は目の前を無言で歩く高杉に不安げに声を掛ける。
丸窓から抜け出した後、あの部屋に誰が訪れたのかなど知る由もないが、マンションの隅に停まっていたパトカーを見た。
やはり訪ねてきたのは警察だったと考えるのが妥当だ。一体誰に見られたのだろう。
俯いて考え事ばかりしていた来島は前を行く高杉が微かに笑ったのを感じ、顔を上げる。

「マンションに入る所までは流石に見られてねぇから大丈夫だろう。」
「で、でも…っ」
「アイツは警察が乗り込んでくるのも考えてわざわざ奥の茶室に通したんだ。後はどうとでもなる。」
「え、…あ、だから草履も…」
「それに、」

呟いた高杉が何かをひらりと翳す。
一体何かと目を凝らした来島に、高杉はそれを放って寄越した。慌てて受け取ると、そこには驚くほど達筆な字が躍っていた。

「二度と来んな。…チビ。」

ご丁寧にチビまで秀逸な美しさで書いてある。
思わず声に出して全文読んでしまった来島はハッといて、幾分身長を気にし過ぎている目の前の上司を恐る恐る見上げた。
くくっと喉を震わせて笑うばかりの上司に、怒ってはいないのかと小さく安堵の息を吐いた。

「アイツ、俺が行くのを解ってやがったな。」
「…え、」
「俺らが行った後でそれを書く時間なんてなかっただろ。しかも笠に挟んであった。笠に触るタイミングなんて和室に入る前しかあるめぇよ。」
「あっ…確かに…で、でも何で晋助様が来るのが分かったんスか!?」
「恐らく江戸に入ったって聞いたんだろうな。」
「で、でもそれだけで…だって今までだって何度か江戸には来てるんスよ!?」
「そろそろ俺がアイツを、巴を見つけ出す頃合いだと当たりをつけたんだろ。」

高杉の言葉に来島は絶句した。

星空を仰いだ高杉は、ふ、と息を吐き出す。
ネオンのせいで霞んでしまった夜空に呟いた。


「やっぱり欲しいな、…アイツ。」




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