わかりたくないと理性が首を振る


朧げに覚えていることがある。
ぼんやりとした世界で、誰かが何かを言っている。音は全く聞こえないのに、そっと握られた手の感覚だけは分かって、それだけで私はどこかほっとするのだ。同時に、どうしようもなく罪悪感も湧く。
待っていられなくてごめんなさい、とその気持ちを言葉にしたいのに、出るのは細い呼吸ばかりで、それが益々申し訳なくてそっと手を握り返すのだ。

これがいつに記憶なのかは分からない。もしかしたら物心がつくよりも小さい頃かもしれないし、何かで見た光景なのかもしれない。
ただ、思い出す度に心臓が握られたような切なさを覚える。

その手紙を受け取ったのは偶然だった。
元はと言えば父親宛だったのだけれど、それはそれはどうしようも無い人間であった父はすでに病気で他界。私に残されたのは僅かばかりのパンと、膨大な借金であった。

いよいよ明日もしれぬ生活を覚悟した時、その手紙を受け取った。そうして、一縷の望みをかけてこの荘園に来たのだ。そうして、奇妙なゲームに参加することになる。

ハンターが近くにいる!という通信を受け取り、暗号機から離れて身を隠す。じっとりと滲み出す汗が気持ち悪い。手の震えを隠すように、ぎゅうっと握りしめた。

サバイバーと呼ばれる私たちに課せられたのは、5つの暗号機の解読と、このエリアからの脱出だ。ただそれは簡単には行かなくて、ハンターと呼ばれる鬼が、私たちの命を狩ろうと徘徊している。
捕まれば一貫の終わり、逃げ切れば億万長者。
言わば、命と莫大な賞金を天秤にかけた鬼ごっこというわけだ。

「…っ」

辺りを警戒しながら、一度離れた暗号機に戻る。
元来足が早くない私は専ら暗号解読しかできなくて、それ以外は隠れてやり過ごす他ない。運悪く捕まっても仲間が助けてくれるけれど、うまく逃げられる筈もなく、むしろ無駄に怪我を負わせてしまう。そんな無駄骨をさせるくらいならと、私が捕まったときは見捨ててもらうようにしていた。

今回は写真家と呼ばれるハンターである。その証拠に、近くにあった写真機からはぼんやりとした光と共に別の世界が映し出されていた。
そのハンターは写真を撮ることによって作り出した虚像世界に入り込み、サバイバーを狩るらしい。勿論、虚像世界で受けた怪我は現実世界にも影響する。更には虚像世界が崩壊すると同時に時間が半分戻るというとんでもない効果があるらしく、折角解読した暗号が半分に減ってしまう。とても厄介で、できれば当たりたくない相手でもあった。

一瞬だけ、心臓の音が一層高くなる。解読が終わった暗号機から慌てて手を離し、壁の後ろへ逃げ込めば直ぐに心音は落ち着いた。同時にフラッシュがたかれたような眩しさが視界を覆う。崩れ落ちる足に、早鐘を打つ心臓に絶望した。
あの一瞬だけ感じた心音は、私の居場所を確認した時のもので、きっと写真世界の崩壊と共に虚像が殴られたのだ。

動かないで!手伝うよ!というメッセージに対して、ハンターが近くにいる!と返す。巻き込むわけには行かない。走り出した背中に、空気を裂く音が広がった。

「っ、た……っ!」
「先ずは一人」

往年の男性の声。倒れ込めば今斬られたばかりの背中を踏まれ、風船に括り付けられる。バタバタともがいても大した効果は得られず、難なく私はロケットチェアまで運ばれた。首の横にサーベルが突き立てられ、拘束される。そこで漸く、しっかりハンターを目に捉えることができた。
色のない身体には無数の黒いが走っている。どこかの貴族なのか、ジュストコールにジレをきっちり着込んでいる。裾に描かれた刺繍も同じく白黒だけれど、一目で値が張るものだと分かった。

そうして少しずつ顔を上げて虚な瞳を捉えた時、強い力で顎を掴まれる。痛みに呻けば少し掴む力が緩んだものの、逸らすことは許されなかった。

「……なまえ…?」

彼の口から出たのは、確かに己の名前である。何故ハンターである彼から、己の名前が出てくるのか。訳が分からずパチパチと瞬きを繰り返す。
それだけで、中身の無い瞳が驚愕で見開かれるのは分かった。信じられないと言いたげに何度も何度も指の腹で頬を撫でる。その度に言葉にならない息を吐き出し、悔しそうに顔を歪ませた。

私に気を取られてくれるなら、その隙に仲間が解読を進めてくれるので願ったり叶ったりだが、そうは問屋が下さない。無言で立ち上がった彼は近くにあった写真機を起動し写真を撮ると、その中へ消えていく。

その隙に、救助を得意とするナワーブさんが来てくれれた。草の陰で治療をして貰っていると、鐘の音がして、誰かが怪我を負ったことを知る。

「残りの暗号機はあと2台だ。あんたは解読が早いからな。任せていいか?」
「分かりました。次私が捕まったら見捨ててください」
「全員で帰るんだよ。諦めんな」

ぽん、と頭に乗せられた手は暖かい。二度ほど頷けば、にっと笑った彼が仲間を助けるべく走り出す。
どこかでまた鐘が鳴った。写真世界が崩壊する。2人がダウンしており、ナワーブさんからはハンターが近くにいる!というメッセージが送られてきた。

助けに行きたいが、先ずは暗号解読が先だろう。ダウンしてる2人からも、解読に集中して!とメッセージが来ていたので、ただひたすらに解読を進めることに徹した。そうして最後の暗号機を上げ、ゲートを開けるべく走る。ハンターはダウンしたサバイバー吊らなかったようだ。通電と同時に2人共回復し、別のゲートを開けている。
ハンターの気まぐれなのか作戦なのかは分からないけれど、私たちサバイバーにとっては好都合だ。早く逃げて!とメッセージを送り合う。
ナワーブさんも向こうに合流したらしく、これで全員で帰ることができると、全身で安堵した。
それなのに。

「今度こそ、ちゃんと待っているんだよ。なまえ」

耳から鬱蒼と言葉が忍び込む。振り向くよりも先に、目の前が真っ暗になった。

- 2 -
←前 次→