拝啓 旦那さま。
うららかな春の日差しが肌に心地よいこのごろ、お健やかにお暮らしのことと存じます。
さて、呪いの王が受肉したこともあり、そちらも慌ただしい日々を過ごしていると耳にしております。くれぐれも夜道にはお気をつけ下さいませ。五条本家では訪れる女性が後を立たず忙しなく動いておりますこと以外、変わりはございません。
5月の連休はこちらにお戻りになりますでしょうか。一族一同、首を長くしてお戻りをお待ちしております。
季節の変わり目ゆえ、どうぞご自愛くださいますよう。
今日も今日とて、訪れた派手な女性から事情を聞き紹介状を渡した。不審そうな眼差しを向けられたが、女性の話を鵜呑みにするつもりはない。取り敢えず良くしてくれている医者への紹介状を持たせ、まずは検査をお願いした。あからさまに不機嫌になったその女性は、ヒールを響かせて去っていく。見送りがてら、塩を巻いておいた。
厄介事は出来るだけ持ち込まないように伝えているのに、悟さんにはそれを改善するつもりはないらしい。
玄関を掃除している時に、カレンダーに書かれた印が目に入る。もうそんな時期なのか。
「そろそろ東京に行かななあ」
挨拶回りと手土産の用意をしなくてはいけない。また面倒臭い季節がやってきた。
頭の中で予定を立てながら、奥様、と呼びに来た使用人笑顔を向けた。
私がその人と会ったのは、たったの3回だ。
1回目はお互いが其々の次期当主となると決まった時。5、6歳にも満たない頃の為、その時の詳しい記憶はない。ただ、夕日に溶ける白髪が印象的だったのを朧気ながら覚えている。
2回目は婚約の時。もうすぐ高校生にもなろうかという、思春期真っ只中だった。その時の彼は、顔以外の印象は最悪。呪術界に疎い私の耳にも入る噂通り、傍若無人ぶりが甚だしく、どんな育て方をしたらこうなるのかとただただ不思議に思ったものだ。ただやはりというか顔だけは無駄に良かった分、同世代の異性からは人気があったらしい。身に覚えのない妬みなどが飛んできては悪さをするものだから、その対処法を考えることに青春をつぎ込んだ。全くいい迷惑である。
そして3回目は婚礼の儀。高専時代の刺々しさが消え、道化師ような立ち振る舞いに変わっていた。もはや形骸化したような結納の後、坂道を下るような速さで婚儀を決行。折り重なるような任務の間を縫って行われたため、あちらは疲れもあったのかもしれない。隣に座るその人はひどく退屈そうで、好いた惚れたもない三三九度は、感慨深さなどとはまるで無縁だった。
「本当にそれでいいの?」
「構いません。義務が果たせればそれで」
一応、ここ数年で気遣いというものを学んだらしい。
初夜の褥で、最後の確認とばかりに投げられた言葉。これから先のことを慮ってなのか、単にお互いの線引きの確認か。恐らく後者だろう。
「義務、ね」
「はい、悟さんも解っててこの結婚を受け入れたはったやろ?」
「ま、そーね。お互いに家を背負わなきゃいけないし、僕も変な期待されても応えられるか分かんないし?」
「ええ、期待はしておりません。お互いに」
「ははっ。お前、相変わらずつまんないね」
何度目か分からないそれに、ただ笑みを返した。つまらない、は私にとって最高の誉め言葉だ。
彼はこの春から東京で教員の道を歩き出す。今はそれなりに忙しい時期だから、今後のことは都度話し合えばいい。お互いがお互いの家の義務を果たすためだけの結婚。両者ともそれを分かっていたし、それに抗う必要もなかった。相手がいれば周りが煩くなることはない。メリット、デメリットを天秤にかけて追及した結果、形だけの夫婦となることを決めた。
それで良かった。それが、良かった。
「これからよろしゅうお願いしますね。悟さん」
愛してくれるな、と彼は言った。
そんな間違いは起きないと、私は答えた。
あれから5年。私と悟さんは相変わらず夫婦という関係を結んでいる。
「本当に良いのですか?いつも本当に有難うございます」
「とんでもない。あの人は人一倍世話がかかるでしょう?わがままに付き合ってくださって、こちらこそいつも有難うございます」
伊地知さんに持ってきた手土産を渡して、お互いに深々とお辞儀をする。以前会った時よりも若干ではあるが頬が置けているような気がして、いつか胃潰瘍で倒れやしないかと心配になった。
「それはそうと、本日五条さんは…」
「ええ、出張でしょう?良いんです、居ないと分かってたから来たんです」
「喧嘩中ですか?」
「いいえ。あの人がいるとゆっくり挨拶もできませんからね」
心配そうな伊地知さんには悪いが、怒ることはあれど彼と喧嘩したことなんてほとんどない。周りからも仲良しの太鼓判を押されるほど、喧嘩とは無縁である。当たり前だ、お互いに興味がないのだから。それが悲しいと思ったことは一度もない。最初に決めたデッドラインさえ越えなければ、何をしてもいいと、そういう約束だからだ。
「そうですね、確かに織が来ると五条さんは貴女の傍から動きませんし」
「おかげで恐妻と噂されて、私は迷惑極まりないんです」
恒例となった定期の挨拶回りも、この5年でだいぶ慣れた。表向きには仲のいいおしどり夫婦とも六眼すらねじ伏せる恐妻とも言われ、夫婦仲は良好だとの認識がされつつある。ただ、私の株だけが下がるような表現には若干の不満はあるが。
「そうだ、恵くんと真希ちゃんいてます?久しぶりに会いたくて」
「はい。伏黒君でしたら今日は寮に…」
「織!!何で僕に連絡くれないの?!今日来るなら言ってよ!!!」
ばんっ!と、枠がひしゃげそうな音を立てて引き戸が開けられる。そこには任務で四国に行ったはずの人が立っていて、思わず眉を寄せてしまった。居ない隙を突いたと思ったのに、何処で噂を聞きつけたのか。伊地知さんなんて、小さくて可愛らしい悲鳴を上げて身体を縮こませている。
「悟さん、もう少し静かに入ってください。なんでここに居るんですか」
「織が明日こっちに来るって聞いたから、ちょっぱやで任務終わらせたんだよ〜!」
きゃぴっ、と効果音でも付きそうな仕草で要らない報告をされる。何が彼をそうさせたのか、教員前よりも少し子供っぽい仕草が増えた。周りには好評らしいが、時と場合によって煽りにもなりそうな態度は余計に裏がありそうであまり好きではない。
「折角迎えに行こうと思ったのに何でもう高専にいるんだか。伊地知、あとでまじビンタね」
「えっ!!」
「そうやって伊地知さんで遊ぶの止めてあげてください」
顔を青くしておどおどとし始めた伊地知さんに誤って、残りの手土産が入った袋を持ち上げる。悟さんが来てしまった以上、もうここで世間話をするのは無理だ。粗方、高専関係者への挨拶は済んでいるし、もう場所を変えた方がいいかもしれない。
「ごめんなさいね、伊地知さん。またお話しましょ」
「え、あ、はい…」
「そん時は僕も混ぜてくれる?」
「話の腰を折る人は混ぜません。ほな、伊地知さん。また」
「あ、織待って、僕も寮に用があるから一緒に行こう。それと伊地知〜、明日の任務延期して!」
「えっ、そ、それはできません…!」
「いいじゃん、今日頑張ったんだし。明日は織とスイパラ行きたいんだよね」
「行きません。伊地知さん、明日の任務はそのままで結構です。悟さんは必ず向かわせるので」
「なら僕は今日もう上がるね!明日の朝まで電話で出ないから」
「そ、それは…!」
「悟さん、ええ加減にしてください。伊地知さん、何かあったら私に連絡ください」
どさくさに紛れて腰に回っていた手をはたいて落とす。わ、冷たい!という夫の言葉を無視して、応接間を後にした。廊下に出れば自然な動作で持っていた紙袋が攫われる。鼻歌でも聞こえてきそうな横顔は、任務の疲れなど微塵も出していなかった。
「任務お疲れ様でした。四国から直線で戻ってきたん?」
「まーね。奥さんだけ高専に残すのは心配でしょ?何があるか分かんないし」
「そう思うなら、認知くらいしはったら?また数人の女の子が実家の方に来はりましたよ」
「え?」
「悟さんが外で何人子供作ろうが怒りませんけど、節操と責任くらいは持ってくださいね」
「いや待って、え?ちゃんと避妊してるよ、僕」
「せやの?まあ相手方には遺伝子検査するように言うときましたから」
「待って、織!怒ってる?」
「怒ってません。呆れとります」
大袈裟に溜息を吐いて見せれば、大の大人が目に見えて慌て出す。怒らないと言っているのに、何を慌てる必要があるのかてんで理解はできない。捨てられるとでも思っているのだろうか。契約を交わした以上、それまではしっかりと妻という書面上の役割はこなすつもりだ。
「今回は返ってきてないから気付いてないかと思ってた」
「ちゃんと返してますよ。悟さん、移動もしてますし時差が出とるんやないですか?」
そう言うなり、横を歩いていた大きな体が視界から消えた。大きな石を踏んでバランスを崩したらしい。体幹がしっかりしているため、普段なら受け身でも取れそうなのに珍しいこともあるものだ。手土産に気を遣ってくれたのか、それを持った手は上に延ばされている。そういうところは優しいと思いつつ、高めの垣根に上半身を埋めながら笑っている悟さんに、ちょっと寒気を覚えた。
「まずは一つか。いや〜相変わらずだね」
「悟さんがね。起きれます?」
「手貸してもらえる?」
断る理由もないため、差し出す。同じように倒れないようにぐっと足に力を入れて、垣根から抜け出すのを手伝った。本当は手助けなど要らないのだろうけど、彼のこういう茶番には慣れている。所謂、夫婦間のコミュニケーションの一つでもあった。最近は特に、夫婦らしいことをしたがるようにもなり、少し対応に困っている。
「この感じだとあと2回かな。いつ来るのか楽しみだなあ」
「呪詛返しを楽しみにしてるの、悟さんくらいですよ。無限で防ぐことも出来るでしょうに」
「織からの返しは甘んじて受けることに決めてるんだ」
「変な人」
「だって、それって君からの愛じゃん?」
「……何言うてるの?」
「君は普段呪力を使わない。それなのに僕に呪詛返しする時だけは使う。つまり、僕のためだけにその貴重な呪力を使ってるってことだよね?そうやって考えたら何だか嬉しくてさ〜!」
アイマスクで見えないけれど、その奥がきらきらと輝いているのは何となく分かる。今回の任務で頭でも打ったんだろうか。浮かれて花を飛ばしながらそんなことを言う。傍から見たらやばい奴である。頭がイカレているのは知っていたが、まさかここまでとは。
2年くらい前はもう少し常人寄りだったと記憶しているが、勘違いだったろうか。
「…悟さんはいつから変態にならはったん?」
どことなく身の危険を感じて、距離を取る。大きな一歩でそれすら瞬時に詰めてきた悟さんは、上から覗き込むようにして顔を近づけてきた。
「ねえ、次はいつ返してくれる?」
あとその着物似合ってる可愛いね、とまるで口説くかのような言葉が続いて身体が震える。
そんな言葉今まで一度だってかけてもらったことはない、はずだ。新しい嫌がらせだろうか。
熱に浮かされた笑顔。そんな笑顔に背筋が薄寒くなったのは、今回が初めでだった。
先を歩き始めた悟さんが振り返る。夕日に照らされる白銀が、幼少の頃に会った彼と重なった。
「これからもよろしくね、奥さん」