書類上の妻。形だけの夫婦。それを願ったのは私であり、彼だった。
最初にビジネス関係を持ちかけたのは私だ。
子供はお互いの家の跡取りを考え、最低でも2人以上。できなければ10年で解消。浮気良し、認知をするなら外で子供を作っても良し。
極力互いのプライベートには干渉しない。期待しない。
家の行事には参加。月一以上会うこと。
他にも細かい条件がいくつかあったが、大まかに言えばこんなところ。ビジネス関係とはいえ、曲がりなりにも大事にはされている。
「悟さん、ちょっとええですか?」
「うん、どうしたの?」
「貴方ここ2週間で何人に手出しました?」
機嫌良く振り向いた彼の顔が、笑顔のまま固まる。サングラスから光が消えた。焦っているような、必死で繕っているようなそんな雰囲気。多分頭の中では思い当たる人数を必死に数えているのだろう。今更驚きはしないし、何人に手を出そうが夫の勝手なので、その行為自体を追求するつもりは全くない。
「あー…うん。でもちゃんと妻がいるって伝えて、割り切れる子としかヤってないよ、僕」
「女の子が本当に割り切れるて思てるん?」
「無理かな、やっぱり」
「無理とちゃいます?悟さんは本当、外面はええんですから本気になる子も居てはるやろ」
「怒る?」
「なんで私が怒るん?悟さんの勝手やないですか」
「僕としては怒ってくれた方が嬉しいんだけど」
「この数年で趣味変わりはった?腹も立ってへんのに怒れません。怒ったところで止める気もあらへんやろし」
「うーん。そっか」
怒られる方が嬉しいとは、いよいよ本当に大丈夫だろうか。熱でもあるのかと額に手を当ててみたが、所謂平熱という物で、風邪は引いてないらしい。本人は何がそんなに嬉しいのか、大人しく額を触られている。よく考えれば、結婚して5年と言えど一緒に暮らした日数を数えれば2年にも満たない。それ故、まだ私の知らない性癖や趣味が沢山あるのかもしれない。
「妻帯者てこと伝えてるんは意外やわ」
「そこはちゃんとしないとね。波風立てない約束でしょ。織に迷惑はかけないよ」
迷惑ではない。でも困るのは、何も知らない非術師から飛んでくる妬みや生霊の対処だ。世間から見れば浮気に至る過程でどちらも同じように悪いのだが、2人に返してしまうと一般人の方は耐えきれない。なので、返す時はこんな状況を作った本人である悟さんに返している。呪詛返しをしたところで彼にとっては小石に躓く程度なので、力を逃すには丁度いい。ただ、送られてくるものが重くなればなるほど、少し加減が難しくなる。思わず大きなため息が出た。
「織、大丈夫?ごめんね?」
「ええんです、浮気しはっても。ただ、今日はぎょうさん来てはって。一度に全部返すと明日動けんと違うかなって」
今回ばかりは量もさることながら、少し重いものが多かった。多分多少なり呪力を使える窓や補佐監督関係者もいるのだろう。全く見境がないと言うかなんと言うか。彼が動けなくなることで支障が出ても困る。そもそも教員と特級術師という二足の草鞋を履きながら、どこにそんな余力があるのか不思議でならない。
「今回は無限下で防ぐほうがええのと違う?」
「いいよ。一気に全部返しちゃって」
「ええの?明日動けなくなっても知らへんよ」
「そしたら織に看病してもらうから、僕としては僥倖」
「なんで悟さんが自分で蒔いた種なのに、私が看病せんといけへん?」
「してくれないの?」
「…しますけど」
「おっけ。じゃあ一思いに宜しく!」
ピザでも注文するかのような軽さだ。既にベッドに寝っ転がって、今か今かと待ち構えている。呪詛を返されるというのに、これだけワクワクする人は他にいるのだろうか。常に無限下術式を使いすぎて脳の一部が擦り切れたのかもしれない。自己保管で反転術式を回していると言えど、その精度に問題がないとも言えない。
今度一度硝子ちゃんに彼の頭を診てもらおうと予定を組みながら、近くに置いてあった呪具、天羽々斬剣を振るう。数秒もしないうちに悟さんはベッドに寝そべったまま動かなくなった。
「苦しいと思いますけど、暫くの辛抱ですから。お清めの塩溶かしたお水持ってきます」
「いらないよ。僕、最強だから」
「そうですか。これに懲りたら、ペース落としてください」
「じゃあ明日デートしようよ」
「随分急やなあ」
「駄目?」
「夕方やったらええですよ」
「夕方は僕が都合つかないな。今日は?」
「そないに元気のうて何言うてはるの?」
「夜には元気になるからさ」
指先で手の甲を擦られる。こういう少しドキッとするような誘い方は、彼の経験数にもよるのだろう。数少ない特級術師ということで替えもきかないし、あまり無理をさせたくはない。でも言い出したら聞かないことも分かっている。
「ほな、悟さんが元気にならはった、らっ…?!」
「言質取ったからいいよね?」
「……もう回復したん?」
「織はさ、ちょっと僕に対して警戒心なさすぎだよね」
「夫ですから、警戒する必要あらしまへん」
「言質取ったからいいよね」
「ちょっ…!